平和運動の旗手
小田実氏逝く

日本の市民平和運動のシンボル



小田実氏の御霊に捧 ぐ
(07年7月12日 世田谷園乗寺にて佐藤弘弥撮影)

いきやうやう小田実なる生涯を駆け抜けたりし人を悲しむ


あのベトナム反戦のヒーロー小田実氏が、7月30日午後、病気(胃癌)との壮絶な戦いを終えて亡くなった。75歳だった。まだまだ本人もやりたいことは山 ほどあっただろう。また周囲もやらせてみたいことは星の数ほどもあったに違いない。

小田氏は、2004年に文化人たちが中心となり発足した「9条の会」では、梅原猛氏、大江健三郎氏らと共に呼びかけ人の一人だった。最後まで世界平和を 願い、日本と憲法9条の行く末を思い、一極集中と格差拡大の日本を憂いながら、グローバリズムに翻弄される市民が自民党政権へのノーの投票行動(07年7 月29日第21回参院選挙)を見届けるようにして静かに亡くなった。

今年の5月、小田氏は、知人友人に向けて、自分が末期癌で長くないことを知らせる手紙を送っていた。

 驚いた瀬戸内寂聴氏は、今年の6月5日病床を見舞った。寂聴さんは病床の氏をいたわるようにこう問いかけた。
 「小説家として最後まで書いてね……『すばる』7月号にギリシャの『イーリアス』の (翻訳)が掲載されているのね

 すると小田氏は、
 「(西洋古典学が出発点の)私も英雄叙事詩を残すようなことはないけれど、(小林) 一茶のようにこれが『これがまあ、ついの栖』の心境ですよ……あと2 年あればいい……ちゃんとうまいものが食いたい。何でもいいんだよ。その瞬間に思いついたものが食えればね」と、心境を語った。(以上は週 刊朝日 6月 29日号より引用)

この10年ほど、小田氏は、大学で最初に志したギリシャ哲学やギリシャ神話を再度研究していたようだ。一茶の句を引いて「これがまあついの栖か雪五尺」と現在の心境を漏らしたのは、あらゆる治療をし尽 くした上での諦観がひしひしと伝わってくる。

私は、若い頃小田実が”大嫌い”だった。へそ曲がりの私は、金回りの良い友だちがしたり顔で、「小田実の全仕事」(河出書房新社1970年から刊全11 巻)という分厚い本をこれ見よがしに小脇に抱えているのが、シャクだった。その友が「小田実はいい」と言えば、私はますますそっぽを向いていた。だから熱 中して読みあさったという記憶は一切ない。

別に彼の生き様が嫌いだった訳ではない。というよりは日本人の島国根性など、どこにも見あたらぬ天真爛漫な小田実という人間の突き抜けた生き様に嫉妬を感 じていたのかもしれない。

彼のライフスタイルは、著書の題の通り、「何でも見てやろう」(河出書房新社1961刊)ということに尽きている。彼は生涯、素直に、感じるままに、見、 聞き、行動をする、といういたってシンプルな生き方をして亡くなった。

私の潜在意識の奥では、「同じ日本人でありながら、なぜあんな風にしなやかに自然に、世界を見、聞き、歩き、権力など一向に気にしないかのように、正しい と思ったことを行動に移せるのだろう」といつもふしぎだった。

小田氏には、誰も簡単に真似のできないクソ度胸がある。何しろ、アメリカのハーバード大学に留学経験がありながら、アメリカ政府を敵に回し、まさにベト ナム戦争真っ直中の1965年開高健(1930ー1989)や鶴見俊輔(1922ー)らと、脱走アメリカ兵を支援する組織「べ平連」(ベトナムに平和を! 市民連合の略)を結成して、おおっぴらに行動をした。これは勇気という以上に、今考えても無謀なことのように感じてしまう。しかし小田実氏は、持ち前の柔 らかで柔軟な運動を展開し、1974年までこの行動を行った。

小田氏が平和運動に力を注ぐ背景には、子どもの頃の大阪での空襲体験だったという。

それにしても、世界中の国際的な政治組織がうごめく中で、小田氏らの行動は、無鉄砲で、非常に危険だったことは確かだ。後にソ連のKGBの公開文書か ら、べ平連にも資金が入っていたということであるが、それでも、小田実という人物を誰もKGBのスパイなどとは絶対に思わない。それは偏に彼の精神の高潔 さと私利私欲を越えた純粋な精神があってのことだ。

要するに、国家でもどのような組織でも、あの小田実の魂を、ねじ曲げ利用することなど出来なかったのである。別の言い方をすれば、小田実氏が、「小田 実」という20世紀に現れた新しい日本人の生き様をまっとうできたことは、偏に彼の魂が、純粋無垢だったという一点に尽きるのではないかと思うのである。

そのことを象徴するように、今、小田実氏の評価は、総じて日本国内よりも海外の方が高い気がする。事実2002年アメリカの「タイム誌」は、「アジアの英 雄」25人を選び、その中に小田氏は、イチローや北野武、中田英俊などと共に選ばれている。

また小説「玉砕」がドナルド・キーン氏によって翻訳され、2005年にイギリスBBCでラジオドラマ化され、高い評価を受けている。

またひとり、日本を代表する伝説の男(ヒーロー)が旅立ってしまった。合掌




2007.7.31 佐藤弘弥

義経伝説
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