野茂英雄の引退に思う

野茂英雄小論

野茂英雄の野球人生と日本人
 

 1 野茂の「この道」・芭蕉の「この道」

芭蕉に、”この道や行く人なしに秋の暮れ”という晩年(元禄7年)に詠んだ句がある。

「この道」とは、いったいどんな道か。それは、芭蕉が句を推敲する過程で、「実際に見た道」から「風雅の道」、「人生の道」、という風に、この句を味わう 者に感じさせるように意図して発表したものと考えられる。

この道とは、目前の道を行く人がいない秋の暮れの景色の寂しさというよりは、芭蕉が歩いてきた「風雅の道(=俳諧の道)」を指し、その上で、我が目指す本 音(俳諧の道)のところを受け継いでくれる者がいないという現実について、嘆いているようにも感じられる。

ところで、昨夜(08年七月十七日)突然、日本人大リーガーのパイオニア野茂英雄(39)が引退を発表した。野茂は、いつも言葉より、行動で自己を語る選 手だった。それでも入団会見では、晴れ晴れとした表情で「後に続く者に夢と希望を与えられるように頑張る」と語った。その年、オールスターにも選出され、 13勝を上げ、いきなり新人賞を獲得。「モノマニア」と呼ばれる熱狂的なファンも現れ、「トルネード投法」は社会現象のようになった。ドジャーズの盟友で バッテリーを組んだ捕手ピアザは、「野茂はいつサイ・ヤング賞を取ってもおかしくない実力を備えた選手」と讃えた。その通り、両リーグで、ノーヒット・ ノーランを記録するなど、日米通算で」201勝を上げた。これは偉大な足跡だ。そしてアメリカのメディアは「日本からの最良の輸入品」と最大級の讃辞で野 茂の活躍を讃えた。

彼の日本デビュー以来のファンである私は、驚いたというよりは、「ほっとした」という思いがした。正直に言って、この数年間の野茂は、体型もすっかり太っ てしまい、ボールのキレもなく、おまけにコントロールの悪さは、若い頃のままで、大リーグで活躍するようなレベルにはなかった。誰かが、鈴をつけてあげな ければいけなかった。しかし野茂の周囲に、「物事には潮時というものがある。引き際を間違えてはいけない」と助言をするものが居なかったのだろう。それは 野茂が偉大すぎるほどの頑固さを持った人間だからでもあった。この頑固さこそが、パイオニアとしての野茂の真骨頂なのである。

野茂の切り開いた道を行って、その頂点に立つ選手がいる。イチローだ。彼は、今年の春、インタビューで自分が引退する日のことを聞かれてこう言った。

「腹が出たら絶対引退する」

その瞬間、私は「野茂のことを指しているのか?」と思った。ベストなパフォーマンスを見せることが出来ない時が、イチローにも必ず来る。今年のイチローを 見ていると、動体視力が、やや衰えているのではと感じることが多くなった。イチローだって、野茂のことは人ごとではない。成績がすべてのプロスポーツ界だ けではない。私たちは誰でも自分が歩いているそれぞれの「この道」において、自身の引き際を事前に考えておくことが大事だ。

考えてみれば、野茂は幸せものだ。何故なら、少なくても、芭蕉はその晩年には、自分が志し、切り開いて来た道の後継者がいないことに一抹の不安を抱いてい た。それに対し、大リーグを志す才能豊かな選手は増える一方だ。その筆頭に、今現在、日本最高の投手と言われるダルビッシュ有(21)がいる。

野茂英雄の野球人生をふり返れば、それまで、道のなかった大リーグ入りへの道を、たった一人、周囲に吹いた悪評をも蹴散らして、切り開いた功績は日米の球 史に残る偉業だ。今回、一部には、日本球界に復帰という声もあったようだ。しかし日本においても、今の野茂の力では通用しなかっただろう。また「大リーグ で燃え尽きる」と思っていたはずの野茂の美学にも、その選択肢は なかったはずだ。今はともかく、「お疲れさん」と声を掛けたい。そしてゆっくり、新たな道を見つけて欲しいと思う。


 2 野茂は野球界に現れたドン・キホーテ

野茂について、もっと早く引退した方が良かった、という見方をする者も多い。どちらかと言えば、私もかつての日本人が好んだ引き際の美学からいって、そう するべきだと思ってきた。

しかし最近の日本人の傾向として、簡単に引くのではなく、あれこれと試行錯誤を重ねて、その上で身を引く。あるいは一度身を引いても、テニスの伊達公子の ように戻って来て、再チャレンジするということもあったりする。

この傾向を冷静に考えてみれば、日本人の受け止め方も、以前のように一度引退したヒーローやヒロインが、戻ってきても、変な目でみないようになったのかも しれないと思う。要は日本人の考え方が変化してきているのだろう。

その意味では、野茂の引退までのひとつの「あがき」、「もがき」も新しい引退の美学という言い方も可能かもしれない。

ところで、野茂とはライバル関係にあった打者清原和博は、今(40)回の野茂の引退にコメントを発表した。

「誰も成し遂げたことのない男でも、引退の時には、悔いが残る、と言ったことに野茂の凄さを感じる。初対戦したとき、野茂ってこんなに大きいのか、と思っ た。」

「悔い」という「潔くない部分」まで、曝してしまう野茂の引き際に、今の清原の状態も被って見える部分がある。

野茂と清原が対決した時代を思い起こせば、野茂という人間が、最高の舞台で、最高の打者と自分の速球で勝負したい、と渇望のような思いを抱いたことが、思 い出される。日本でも、アメリカでも、野茂は、自分の最高のボールで、超一流打者に対し、決して逃げることなく真っ向から勝負をした。

アメリカでの最高のライバルは稀代のホームラン打者ボンズ(サンフランシスコ・ジャイヤンツ)だった。チャンスに打てなかった試合後、ボンズは、このよう に言った。

「野茂のようなレベルの投手と対戦する時は、たった一球を失投を見逃したら負けだ」と敗戦の弁を語った

勝っても、負けても、野茂には、真っ向から勝負をするのだという気迫のようなものが伝わってきた。それが「ノモマニア」と言われる熱狂的なファンを熱くさ せた最大の理由だろう。

こうして考えると、野球が好きで、自分の能力の限界を大リーグという最高の舞台で試してみたいと、本気で考えた野茂秀雄は、日本球界に顕れたドン・キホー テではなかったのか、と思うのである。

つづく


2008.7.30 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ