日本農業再生の道を探る思索の旅(6)


ギルガメシュ神話と21世紀の農業哲 学

− 文明と農業の未来−


1  農業は人類による環境破壊の第一歩だった!?

地球の視点から視れば、定住型の農業が発生したことは、環境破壊の始まりであった。そもそも文明とは、山野を切り開き、畑や田んぼを造り、穀物や果樹、野 菜などを栽培することである。もちろん近くには、人間が定住する集落ができ、それがやがては都市として発展していくことになるのである。

農産物を効率的に栽培するためには、水を引き込むことが必要となる。そのため灌漑技術が考案され、多くの人間の協力が必要となり、共同体意識が目覚める。

水は農業生産のためには欠かせないものだ。今日「四大文明」と言われる古代文明は、一様に水辺(大河の流域)で起こったものである。


2 ギルガメシュ神話が象徴するもの

古代メソポタミアに「ギルガメシュ叙事詩」というものが伝わっている。その中に、文明の本質を象徴するような「ギルガメシュ神話」というものがある。

ギルガメシュが王となって最初に行ったことは、森の怪物フンババに、斧と剣を鋳造し立ち向かったことだ。フンババが怪物だというのは、ギルガメシュ側から 見たイメージだ。フンババは、怪物などではない。長い間、樹齢数千年を誇る杉の生い茂る森を守り続ける森の王である。

このギルガメシュ叙事詩は、森の神フンババに立ち向かうギルガメシュの英雄的な行動を讃えるものだ。激しい衝突が起こり、ギルガメシュは勝利者となる。


3 ギルガメシュ神話を読む

その戦いの最後の模様が叙事詩にこのように謳われている。

 ギルガメシュは手に斧を取り
 一本の杉を切り倒しすと
 ・・・
 森の王フンババが叫ぶ。
 いったいだれがやってきたのだ
 いったいだれが私の山に生えた杉の木を切り倒したのだ
 フンババの眼から滝のような涙がこぼれ落ちた

 ギルガメシュは天の神シャマシュに祈った
 シャマシュはギルガメシュの祈りを聞きとどけ
 大いなる風をフンババに送った
 フンババは前にも後ろにも進むことはできなかった

 フンババはついにギルガメシュにこういった
 私はここを去ろう
 ギルガメシュよ
 わが主となれ、私はそなたの家来になろう
 私が育てた杉を切り倒し家を建ててはどうか

 ギルガメシュは迷った
 どこからか声がした
 フンババを殺せ生かしてはならぬ
 その声は友のエンキドゥだった

 ギルガメシュはフンババの首筋に斧を振り下ろした
 次にエンキドゥが、二度斧を向けた
 杉の大樹の悲鳴が二度聞こえた
 こうして森の王フンババは打ち倒された
 辺りを静寂が支配した

 (矢島文夫訳「ギルガメシュ叙事詩」ちくま文庫 1998年刊 を参考に佐藤弘弥が加筆して再構成)


4 ギルガメシュ神話から21世紀農業の哲学を得る

この神話は、斧や剣という武器を手にした人間が、自分の力に自信を得て、自然に立ち向かい、未開の山野を切り開いて、都市を建設していく歴史の過程が象徴 的に表現されている。少なくても、文明というものの本質は、未開の地を切り開いて、環境への決定的なダメージを与えることに他ならない。

私たちは、農業生産というものを、自然の摂理に適合した地球環境の維持にとって優しいものであるという認識をどこかでもっている。しかしそれは幻想に過ぎ ない。少なくても農業は、森林の征服であり、破壊の第一歩であった。それはギルガメシュ神話に示されるような悲劇である。

ギルガメシュが最初に征服した地はいったいどの辺だろう。現在のイラクのバクダットやシリア周辺だろうか。思えば荒涼たる砂漠が拡がる地帯だ。しかしここ にはギルガメシュ神話に象徴される文明化される依然は、青々と樹齢数千年にも及ぶ杉の大樹が生い茂る森林地帯が拡がっていたのである。

私は以上の考察から、これからの21世紀の農業の大切な哲学が見出し得ると考える。それはギルガメシュの失敗を繰り返してはならないということだ。

これからの農業は、かつての森林が持っていた機能を、農業自身が多少なりとも代替し始めなければ、文明が地球環境を破壊し尽くしてしまう(いやすでにその 大部分は破壊されているではないか?!)。そのことを現代社会は自覚しなければならない。

ギルガメシュ型とも呼びうる現代文明というものは、見境のない環境破壊を引き起こすという性(サガ)を持っている。しかし今こそ発想の転換が必要だ。それ は謙虚に地球に学ぶことである。しかもそうしなければ、私たち世界人類は、自分たちの文明が地球にもたらした凄まじいほどの環境破壊によって、滅び去って しまう危険すらある。

人類が今後もこの小さな地球という水の惑星において生き延びようとするならば、私たちが選択すべき手段は、地球そのものが本来持っていた循環型システム (森と平野と海を廻る水の循環)というものを素直に受け入れ、そこに無理なく参加するような発想の転換が必要となる。それには文明というギルガメシュの驕 りを捨て、地球に母屋の軒先を借りるような謙虚さが不可欠だ。



2007.09.7 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ