日本農業再生の道を探る思索の旅(5)


飢えの歴史から考える日本農業

− 飢えの歴史と農業−


現代の日本人にとって、「飢え」という言葉は、ひとつの死語である。しかし僅か60年前には、家族の命を繋ぐために、多くの日本人は、東奔西走し、それこ そ死に物狂いで米や野菜などの食料を調達し、飢えを凌いできたのだ。

いつから日本人は「飢え」の感覚を忘れてしまったのだろう。高度成長期によって、お金持ちになり、大事なものは、命を繋ぐ食料から、右肩上がりで上昇した 都会の土地など資産に移ったからだろうか。


 1 日本人から薄れゆく飢えの記憶

私は最近疑問に思うことがある。それは本当の意味の「飢え(飢餓)」の感覚を知っているはずの60代70代の爺さん婆さんが、孫やひ孫と思われる小さな子 どもを連れて、食堂に来ると、その子どもが注文したものを残したのに、何も文句を言わないどころか、「無理しないでいいわよ。お腹を壊すから」などと言っ て、甘やかしている様である。

この連中は、少子化の傾向で、子どもの相対的な社会的価値が上がったのか、非常に子どもに気を遣うようになっている。自分たちが飢えという悲惨な青春期を 送ってきたために、自分の孫やひ孫には、そのような飢えという感覚を味わわせたくないのは、よく分かる。しかし子どもの躾けとして、自分が頼んだものを、 責任を持って食すること。それから食物というものが、天の恵みのような有り難いもので、世の中には、飢えに苦しんで栄養失調になり、この時間にも死んでい く子どもたちの存在があることを教えることが大切ではないかということだ。

このように、現代日本人にとって、飢えという問題は、遠い過去に起こった遠い記憶でしかないのかもしれない。マーケットやコンビニに行けば、溢れるよう に、見るからに美味しそうな食物が陳列してある。飢えは、もはや日本には無縁のことなのだろうか。


 2 飢えの歴史をひも解いてみる

ここに「飢餓日本史」(中島陽一郎著 雄山閣 1976年刊)という書籍がある。飢餓の歴史を丹念に追った研究所である。先行研究を綜合した中島氏の分類 に従えば、この一千年間に「十六大飢餓」というものがあるという。

それによれば、第一に上げられているのが治承四年(1180)〜養和元年(1181)の大飢饉である。この時には、鴨長明の「方丈記」にも記された大干ば つで、「平家滅亡の一因ともなった。」(前掲7頁)とされる。要は源平合戦と呼ばれた戦争の帰趨を左右したのは、西国を中心にして起きた大干ばつが背景に あったということになる。

また第十六が慶応二年(1866)の大飢饉である。原因は冷夏による大冷害だった。この大飢饉の中心は、東国、特に奥羽地方だった。そしてこの時には源平 合戦の時とは、逆に西国有利に働いたということになる。そのため、食料基地を関東と東北に置く徳川幕府の力は、薩長土肥などの西国大名と比べて相対的に落 ち、結果として「明治維新の夜明けを迎えた」と、著者は見ている。

こうなると、まさに、「飢え」というものが、政治的な変化にまで影響力を及ぼすものであることを、見せつけられる思いがして背筋が寒くなる。

いや、本当に背筋が寒くなるのは、個別に「飢え」というものがもたらす悲劇の現場に立ち会った時である。

「飢餓日本史」の中に、飢えの現場をレポートした紀行文が紹介されている。

飢 えの年のことを訪ねると、・・・幼児を生きたまま川に流すものが多かった。人が(飢えで)死ぬと、山の木立の下に棄て、あるいは野外にそのまま棄て、川へ 流したりする。イノシシ、シカ、イヌ、ネコ、ウシ、ウマを食い、また人を喰うものもでる始末だ。子が親の屍(しかばね)を、土葬するのだが、その余りを (喰らい?)皆、埋めるということはしない。いったん埋めたものを掘り起こして喰うものもいる。山中でも野外でも放置された屍を喰らうものがいた。煮た り、焼いたり、あるいは生のままでも喰う。・・・自分の子どもを殺して喰ったというものもいた。まさに人ではあるが鬼のような有様だった。この村でも二十 軒ほどが死に絶え、生き残ったものは半数に過ぎない。十軒や七、八軒の小さな村には、ひとりも残らず死に絶えたところもある。とにかく、(飢えて)人の肉 を煮ている時、(煮こぼれて)水滴が火中に飛び、たちまちジュと燃え上がるのは、人の肉の油によるものだが、これに過ぎる(怖ろしさは)ないというもの だ。
(前掲 167頁 高山彦九郎「北行日記」八戸藩久慈大野の記述より。現代語訳は佐藤弘弥)


怖ろしい記述である。この時の飢饉で、この八戸藩領内だけで、六万の領民の内の半数以上となる三万百五人が飢餓とそれに付随して起きた疾病が原因となっ て、命を失っているのである。この時、領内の治安は著しく悪くなって盗賊なども横行し、人心はすこぶる荒れてしまったことはいうまでもない。


 3 現代世界における飢餓と食料の問題

日本人によって、飢えの記憶は遠いものになったが、歴史を思い起こしてみることは大切なことだ。ちなみに、今世界中では、8億人もの人が、飢えの苦しみに もがいていると言われる。例えば、2001年の9.11事件後、テロの頭目であるビン・ラディンらが潜んでいるという理由で、アメリカが軍事介入したアフ ガニスタンでは、戦争のために、農業生産がストップし、600万人に及ぶ罪もない人々が飢えと日々闘っているのである。

またアフリカのスーダンでは、あの世界中が注目しているダルフール地方では、政府軍が20万と言われる人々を虐殺したと言われる国であるが、国民250万 人もの人々が飢餓に苦しめられている。

またエチオピアでは、2000年から3年連続で大干ばつに襲われ、先進国が勇んで持ち込んだ「緑の革命」も機能しないこともあって、全人口の5分の1に当 たる1430万人もの人々が飢餓に苦しめられた。

「国連世界食糧計画(WFP)」(注*)によれば、現在でも「東アフリカでは干ばつが長引き、ジブチとエチオピア、ケニ ア、ソマリアで約625万人が飢餓に直面」しているとHPで伝えている。

<注 *>
WFP 国連世界食糧計画は、国連唯一の食糧援助機関であり、かつ世界最大の人道援助機関です。飢餓と貧困の撲滅を使命として1961年に設立が決定さ れ、1963年から正式に活動を始めました。ローマに本部を置き、世界各地に現地事務所を設けています。(国連世界食糧計画のHPより引用)


日本人は、もう一度、歴史をふり返り、自分たちの遺伝子の中に組み込まれているはずの飢餓の記憶を呼び戻して、食料を生産する農業というものの大切さを考 えるべきではないかと思うのである。


 4 食料自給率から食料依存率への発想の転換

「飢えの歴史」同様、現代の日本人がまったく、今、忘れていることがある。それは日本の食料の外国への依存度が、どんどん高まっているという現実だ。今年 農水省は、この食料の外国への依存度が60%を越えたと発表した。はっと気づいた読者がおられるかもしれない。食料自給率(カロリーベース)ならわかる が、食料依存率は初耳だと。


わが国の食料自給率の推移(農水省「食料・農業・農村白書 平成 19年度版より)

もちろん食料自給率と食料依存率は、単なる読み替えであり、同義の言葉である。たったこれだけで、食料を外国に依存しているのだという現実感がでないだろ うか。この考え方は、私の発想ではない。実はアメリカの農業経済学の専門家ジェームス・R・シンプソン氏(フロリダ大学名誉教授)の発案である。

シンプソン教授は、その著「これでいいのか日本の食料」(副題「アメリカ人研究者の警告」山田優監訳 社団法人 家の光協会刊 2002年)で、日本の食 料問題を次のように述べている。少し長いが引用してみる。

20年間の間に、世界銀行やアジア開発銀行、一般企業など、多くの組織との仕事で、三 〇カ国以上を旅した。

 こうした国際的な仕事のなかで、 あるべき農業 政策と、そうでない政策が与える影響を、じかに見ることができたことは大きい。「経済発展」の名のもと、倫理に反するさまざまな農業政策が押しつけられて いる。たとえば農産物輸入の自由化の国際的合意にサインし、市場開放を実行する行動がどんなに重大な意味をもつのか、・・・心底わかったのだ。生半可な政 策では農業をけっして守ることができない。(中略)

 研究者として、日本が食料依存率 をこれまでの水準以上にあげていくことは、完全に間違いだと確信している。そして、日本が次回のWTOの農業交渉で真剣に立ち向かわない限り、さらに悪化 することも確信している。

 私は食料の心配しないですむこと は譲ることの できない権利であり、日本人は、国内の食料供給水準を保つことによって夜も安心して眠ることのできる権利があることを、強く信じている。(中略)国家は国 内食料供給の水準を、あるていど自分で決定する権利があるし、日本の場合はよい実例になると信じて疑わない。

 米国をはじめ、多くの国の人 は、・・・食料依存率について考えたこともない。米国は、掛け値なしの食料輸出国である・・・欧州の多くの国でも言えるだろう。

 ただしこうした国々の国民のほと んどは、食料依存が深刻な国々の事情を知らないのであって、食料自給にはじめから反対しているわけではない。

 日本の食料市場開放に熱意を燃や しているのは、なんとしても自分の手柄を勝ち取らなくてはいけない米国政府の貿易交渉担当者や一部の政治家、それに食料輸出関連団体の幹部ぐらいだろう。

 米国で農業経済学を通じて調べて きたが、日本 を含めどの国でも『国内で食料を供給する基本水準を定める権利がある』と答える人の方が圧倒的に多い。食料依存率の限界は四〇%というのが、一般的な回答 だ。つまり食料の自給率で六〇%までは権利として認めようというわけだ。」(53〜56頁)

 このアメリカの研究者シンプソン教授の考え方を日本の農政に取り入れるべきだ。現在の自民党政権の農政は、アメリカの利害を「グローバル経済」と巧みに 言い換えた市場原理主義者の仕掛けた罠に囚われていると思う。農水省の作成した各国との食料自給率の差異を考えても見よ。このグラフにはないが、オースト ラリアなどは、このグラフには収まりきれない230%もの自給率を誇っている。日本人の生命と直結する食料をこれ以上、外国に頼るような愚を犯しては断じ てならない。


諸外国の食料自給率の比較(農水省「食料・農業・農村白書 平成 19年度版より)

問題は、農水省が戦前から、常に余剰な米を買い入れて、過剰な米農家保護政策をとってきたために、自立した農業生産への転換がなされなかったためである。

シンプソン教授が、引用文の冒頭で婉曲に表現した「あるべき農業政策と、そうでない政策」というのは、日本農政に対する過保護とも言える農政への批判と受 け止めたい。その上で教授は、食料依存度が60%を越している日本の農政に対し、決して世界標準な考え方ではないから、WTOでも、米国との2国間協議の 場でも、権利としての食料依存度(食料自給率)が、60%という危険水域にあることを主張しなさいと言っているのである。この考え方は、今後の日本にとっ て、極めて大きな示唆というべきではないだろうか。



2007.09.5 佐藤弘弥

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