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菅原氏からのメッセージ


義経ロマン五百キロの旅・大願成就

御礼の言葉

     各位 様

  謹啓 この度、源義経公8百十年祭が、六月十三日、神奈川県藤沢市白旗神社御分霊(御首)で、また七月二十五日、宮城県栗駒町判官森御葬礼所御分霊(御胴体)でそれぞれ斉行されました。これをもって、義経公の御霊は八百十年振りに合祀され、大願は成就いたしましたことを、まずもって皆様にご報告申し上げます。誠にめでたく、感激の至りでございます。

 私儀、菅原次男は、六月十三日の藤沢宿を皮切りといたしまして、義経公ゆかりの地を訪ね、四十三日五百キロの徒歩の御巡幸を始めました。その際、各地の皆様には、四十三日間の御巡幸の間、突然御当地を訪れ、ご迷惑をお掛けしましたにもかかわらず、心温まるご支援ご助力をいただきましたこと、衷心より御礼申し上げます

 こんなにも「二つの御分霊を一つにして、供養鎮霊したい」という私儀の素朴な願いが、各地域で、歴史、風土を研究されてされている方、村おこしをしている人、全国の義経公を偲ぶ人に共感を持って迎えていただけるものとは正直思っていませんでした。まさに皆様のお支援があったからこそ、四十三日五百キロの徒歩による御巡幸を成功裡に終了できたのだと確信いたしております。

 各地の皆様におかれましても、今回の義経公の大願成就を契機と致しまして、新たな「義経伝説」の一ページが開かれるのであれば、私といたしましてもこれに勝る幸せはございません。略儀ではございますが、これをもちまして、この度の御巡幸の報告と、皆様のご厚情に対する御礼の言葉とさせていただきます。本当にありがとうございました。

敬具

平成十一年七月二十五日 義経公大願成就の日

宮城県栗原郡栗駒町沼倉耕英東九十五―二

源義経公迎霊特使 菅原次男


飯坂温泉の皆様へ 

御礼の言葉

7月11日(日)は飯坂温泉にて、素晴らしい一時を過ごさせていただきました。飯坂八 幡神社宮司斉藤様、医王寺住職橋本様、飯坂温泉観光協会の皆様、遠藤先生、椎野先生、太鼓保存会の武山会長様、司旅館様、飯坂温泉観光協会の皆様、心の底より、感謝申し上げると共にこれからもどうぞよろしくお願い申しあげます。

712() 菅原次男


伝説の旅を前に

山は雲烟をえて  その霊をなし

      人は伝説をえて  その美をなす 

義経公の事実の美しさは、伝説にかざられて一段と美しくなり、義経芸術は文学からおこって、音曲・舞踊・操り芝居・歌舞伎・映画・彫刻・絵画、とその幅は非常に広いものがあります。栄光と悲運に対する同情と義憤、そして親愛と尊敬は国民感情のあたたかい流れのもとに育まれて、国民的英雄として永遠に生き続けています。

義経公、500km 43日間、奥州街道御巡幸の旅の目的は、義経公の二つの御分霊を一つにする迎霊の旅と全国にある義経公に対する伝記・史跡・芸術・村おこし等の取材の旅であります。みなさまの情報提供が大きなエネルギー源となりますので、あたたかいご支援をお願いします。

最後に、佐藤 弘弥氏の支援ホームページ開設に対して、心よりお礼申し上げます。 

5月8日 栗駒高原にて

     義経公迎霊特使・菅原 次男 


看板文

源義経公御分霊供養

文治5年閏4月30日奥州平泉の高館で自害し悲運の最期を遂げた源義経公の御骸は栗駒町沼倉の領主沼倉小次郎高次によって安置され判官森御葬礼所として今日に伝えられています。また御首は神奈川県藤沢の里人によって葬られ首塚として大切に守られています。それぞれの地元有志の方々によって源義経公を偲び没後810年を記念して御鎮魂致します。

平成11年7月25日 義経公御分霊供養祭実行委員会


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