納豆とグーグル


ー 情報にはウソがつきまとうと言うことー


最近、スー パーに行って、いつも食している銘柄の納豆がないことに気付いた矢先、それがフジ系の「発掘!あるある大事典U」(1月7 日放送)とかいう番組で、ダイエット効果があるいうことを聞きつけた視聴者が、納豆を大量に購入するようになり、品薄状態となったものと知った。

実に馬鹿げた事件である。今回の納豆は、問題になったからまだいいようなもの。何故か、問題にもならず、うやむや のまま、とんでもないウソやインチキが、まるで本当のことのように私たちの心に入り込んで、真実として受け入れられ、半ば常識化していることなど、沢山と は言わないが結構あるはずだ。

日本人は特にマスメディアにはからきし弱い。中でも占いなどは、「当たるも八卦当たらぬも八卦」であるから、まあ 許すとして、顕著なものは、ダイエットと称するものや健康食品一般、それに癌などの特定の病気に効く特効薬の類、果てはある地方の野菜や魚にまである。こ れを主婦の友と言われるような特定のタレントがテレビで食すと、店頭から商品が飛ぶように売れるというのだから始末が悪い。

日本人は、テレビや新聞、雑誌などに載ったものには、とことん弱い。何故か、疑うことを止めて信じてしまう。もっ ともこれは日本人に限ったことではなく、世界共通の心理現象のようだ。こうなるとビジネスをする側としては、上手にマスメディアに掲示されるが勝ちとな る。

昨日、NHKで、僅か9年でアメリカを代表する巨大先端企業となった「グーグル」の特集(NHKスペシャル「グーグル革命の衝撃」07年1月20日九時放 送)があった。たかだかインターネット検索企業として創業した「グーグル」だが、今やアメリカのビジネスの世界では、「グーグルの検索で5番以内に入らな ければ、熾烈なビジネス競争には勝てない」とまで言われるようになっている。15番目以下の企業となると、「存在理由がない」(グーグル検索に引っかかる ための支援企業者弁)という所まで来ているのだという。

これは世界が急速に、インターネット依存社会になりつつあることを如実に物語っているということだ。つまり日本で は、今回の納豆事件の示すように、テレビや新聞、雑誌という媒体がまだ巾を利かせているようだが、アメリカでは、仕事も探すのも、家具を選ぶのも、相手の 住所を探し地図を見るのも、すべてインターネットの「グーグル検索」に依存するような傾向が、特に若い世代の間で強まっているようだ。

確かにそうなると企業は、グーグルの検索の上位にランクされるために、サイトの情報を有償のアドバイスを受けてで も吟味するようになる。番組に登場したある花屋は、グーグルに掲載される広告を見直すことで、売上げを前年比で三倍に伸ばし、視力矯正手術の病院は、これ また急速にクランケを増やした、という例が紹介されていた。

こうしてグーグルの上位にランクさせるためのアドバイザービジネスも先端ビジネスとなったのである。彼らは、まる で巨大なグーグルという船に吸着するコバンザメのような存在であるが、これらの企業も順調に売上げを伸ばしているようだ。既に日本でも同じようなことが、起こっているかもしれない。

グーグルは、世界のあらゆる情報を、瞬時に検索しこれを抽出するという目的をもって設立された企業である。今で は、先行していたマイクロソフトやヤフーを凌ぐ巨大企業に成長する可能性が大とまで言われる。

例えば、グーグルは、最近「グーグルアース」という地図情報技術ソフトを開発し発表した。簡易なものは無料である が、質の高いものは、有償利用となっている。これによって、私たちは地球上の地図情報を瞬時に取り出せるようになった。これはとてつもないソフトで、軍事 情報としても、絶大な価値を持つものだ。

今後、グーグルアースの技術は様々な分野で利用されるだろう。これとGPS情報と携帯情報が連動することも予想さ れる。そうなると世界中の個々人が、どこにいるか特定されるようになる。またグーグルアースと衛星からの雲の情報がリンクして天気予報にも劇的な進展が生 まれるかもしれない。その他無限の活用の仕方が考えられる。

グーグルアースは、グーグルという企業にとって、ひとつの個別商品(モジュール)に過ぎない。グーグルは、それ以 外にも巨額な利益を生み出す可能性を持つアイデア商品を開発中だ。例えば彼らは自らの信用力を背景に、個人の資産管理やこれまでの購入した商品の傾向や管 理もデータベースとして保持する可能性もある。そうなるとグーグルは、ひとつの巨大な脳となるわけである。

番組の中で、グーグル本社の壁に書かれた社員の寄せ書きに「グーグル政府」あるいは「グーグル国家」というものが あった。これを見て、背筋が震えるような思いに囚われた。象徴的な意味合いを持つ言葉であると思ったからだ。すでに「インターネット社会」は、国家というものを遙かに飛び越えて進化 を遂げてしまっているのかもしれない。しかし凡庸な私たちには見えていないのだ。もっと言えば、グーグルの社員たちは、IT技術が国家の枠組みを呑み込みつつある という意識を持ちながら、まったく別の価値観で、いつしかグーグルという巨大な怪物となった自分たちが、今後に創り上げるであろう近未来の世界をリアリ ティをもって見通しているということになる。

現在、グーグルは、世界中の図書館の蔵書を、写し取って電子図書館する実験を行っている。こうなると、世界中の貴 重な蔵書が、グーグルを介して簡単に検索し読むことが可能となる。これは日本の国会図書館なども実験的にサービスを開始しているが、規模が違いすぎる。こ うなると、いよいよ日本という国家も個人もグーグルという巨大なコンピューターネットワークの一部として存在するしかなくなるかもしれない。今は著作権な どという狭い世界の考え方で、暮らしているが、グーグル革命という圧倒的な潮流の前では為す術を失うかもしれない。今後のグーグルの展開には注目すべきも のがある。

だがしかし、私は今後とも、グーグルとは懐疑のスタンスを失わず付き合っていくつもりでいる。それは何もグーグルを否定したり、きらいだというのではな く、グーグルのもたらす情報にも、ホンモノとニセモノがあるはずだ、という極めて単純な理由からである。所詮、グーグルは、検索エンジンに過ぎないのであ る。どんな優れた検索エンジングーグルでも、ホンモノを装うそれなりの技術も能力もある詐欺師やペテン師の高度な騙しのテクニックを排除しきれるとは思え ない。今でも検索した情報によって被害を受けたとしても、グーグル自身が責任を取ることは一切ない。であれば私たちは、グーグルにたちどころに列挙される 情報についての真偽を見極める眼力を養わなければならないののである。

今回の納豆騒動を傍観するにつけて、何と日本人は愚かしいのだろう、と正直なところ情け なくなった。マスメディアというものに、何度も騙されてきたことを考えるならば、まずは「提示された情報を疑え」と言いたい。テレビだけではなく、グーグ ルの検索情報だってインチキやウソの情報は数多くある。その意味でも、今回の事件を教訓として、日々流れてくる星の数ほどの情報を自らで精査しその真偽を 見抜く眼を養うことが必要であると思うのである。


2007.1.22 佐藤弘弥

義経伝説
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