ナスダック日本上陸の意味

 

1アメリカ経済復活の象徴としてのナスダック市場

資本主義社会にとって、株式市場の重要性は、人間にとっての心臓の役割を果たすと云っても過言ではない。

世界中で現在もっとも先進的な形で、株式市場をリードしているのが、アメリカのナスダック市場である。ナスダックは、コンピューターによる市場取引を基本としているので、場立ちやブローカーなどが、所狭しと入り乱れるニューヨーク証券取引所のような喧噪(けんそう)はない。ただ画面を見ながら、トレーダー達が、一喜一憂している。まさに21世紀を見据えた電子株式取引市場なのである。

いつの間にか、そのナスダックが、その取引高において、ニューヨーク証券取引所を追い越して、世界一の株式市場に発展してしまった。よく考えてみれば、それも当然のことかもしれない。何故ならニューヨーク市場には、GEやGM、フォード、デュポン、IBMなど、そうそうたる世界のトップ企業が並んでいるが、どうしても21世紀を牽引する企業かというと、いささか古くさい感じがしてしまう。それに対して、ナスダックの方は、マイクロソフト(ソフト世界一)、オラクル(マイクロソフトをライバルとするデータベースソフト会社)、サンマイクロシステムズ(jabaを提唱する先進のハードメーカー)、シスコシステムズ(ルーター部門世界一)、インテル(MPUの世界一)、デル(直販販売の先進的ハードメーカー)、アマゾンコム(最初のインターネット本屋さん)、ヤフー(検索ソフト世界一)など、これからどんな風に化けるかも分からないような旬な感じのする企業が並んでいる。投資家でなくても、わくわくするような賑わいではないか。

このふたつの市場を見て、一目で分かることは、企業の発展スピードが、ニューヨーク市場の企業とナスダック市場の企業とでは、まったく違うことである。つまりニューヨーク市場の企業は、ローリスク、ローリターンで投資妙味に欠けるきらいがある。一方ナスダック企業は、ハイリスク、ハイリターンで、非常にスリリングでリスキーな企業も多いが、一年で利益が数倍規模になり、あっという間に株価も数倍、あるいは数十倍になることだって考えられる。このナスダック市場の創設によって、アメリカ経済がよみがえったという経済評論家もいるくらいだ。それもけっして大げさな言い方ではない。アメリカの若い起業家たちは、はじめからナスダック市場への上場を目指して、自分のアイデアを武器として、次々とユニークな企業を立ち上げ、念願の上場を果たしてナスダックから資金を調達したているのである。このナスダックは、まさにアメリカ資本主義の英知の結晶である。アメリカ経済は、一時の沈滞から脱して、このナスダックという株式システムを立ち上げたことによって、二一世紀においても世界経済を牽引する責務を負ったと云っても過言ではない。まさにナスダックは、アメリカ経済復活の象徴的な存在である。

そのナスダックが、約一年間の準備期間を置いて、二〇〇〇年六月十九日、日本の大阪市場において、「ナスダック・ジャパン」として開設され、船出することとなった。
 

2 ナスダックジャパン設立パーティーで思ったこと

6月19日、6時、赤坂の全日空ホテルは、玄関付近から異様な熱気に包まれていた。「ナスダックの設立記念パーティ」があるためだ。ホテル関係者や、ナスダックのスタッフが、大声で案内をしている。黒塗りの要人のハイヤーが次々と到着し、ホテルはまさに、ナスダック一色に染まっていた。

促されるままに、会場に入ると、地下の大ホールには、既に入場を待ちかまえている人で溢れている。やがてアナウンスが流れ、報道関係のキャメラが並んでこちらを覗いている中を会場の奥に入ると、会場の中央には、立食パーティーのディナーが用意されていて、壇上には大きなプロジェクター画面が中央に二つ、脇に一つ用意されていた。

大きな会場一杯に、人が身動きが取れないほど入ると、壇上両脇に設えてあった和太鼓が叩かれてオープニングを告げた。どうもこれには違和感があった。何故なら、ナスダックという発想そのものが、メイド・イン・アメリカの発想そのものなのだから、私だったら、ニューヨークのバリバリの若手ジャズミュージシャンでも呼んできて、先鋭的なジャズでも流して、オープニングを飾ることを考えるだろう。やがて太鼓の演奏が7,八分で終わり、ビデオが始まり、マイクロソフトのビル・ゲイツが、ナスダック・ジャパンの設立に宛てたメッセージを語る。続いて日米様々な人間が、ナスダックへの期待を語った。その中で面白かったのは、コーヒーチェーンの「スターバックス」の若いCEOが、例のスターバックスのロゴ入りのコーヒーカップを掲げて、「ナスダックジャパン、創設おめでとう」とやったことだった。

続いて、会場には式の進行を務める女子アナウンサーが登場し、最初のゲストとして、フォーリー駐日大使を紹介した。大使は壇上にあがるなり、「私なんかより、ずっとふさわしい人からのメッセージがあります」と云いながら、クリントン大統領の「ナスダックの創設により、日米両国の健全な経済発展を後押しするものと確信する」という祝辞を代読し始めた。私の隣では、ずっと日本語の進行を韓国語に同時通訳している人物もいた。見渡すと、会場には、どうやら韓国や台湾、香港などアジアの各市場関係者や、企業の連中も多く駆けつけている様子だ。その割には、アメリカ人の数が少ない気はした。

大使の挨拶が終わると、経済企画庁の堺屋長官が祝辞を述べた。この話は、結構面白かった。
これまで日本は、明治以降一貫して、官が民を指導するという流れが続いた。教育のシステムもそうだった。だから個人が自分で何かを考え行動すると、我流と言われた。しかし我々は今この我流を独創として、誰も考えないようなアイデアを尊重していくような社会としなければいけない。そんな中で、ナスダック・ジャパンが、一極集中の象徴でもある首都東京ではなく、大阪において設立されたことに意味がある。個性の時代、独創の時代、ナスダック・ジャパンの今後に期待します」というような内容だった。我流と独創の話の箇所では、会場から、失笑が漏れた。

続いて、19日初日にナスダック・ジャパンに上場した企業8社が紹介された。中には、24時間の雑貨マーケットで急成長した「ドン・キホーテ」という企業もいたが、この企業は、既に店頭市場に96年に上場し、さらに98年には東証二部に上場している企業である。ここで大いなる疑問が残った。更によく調べて見れば、8社中4社は、店頭市場からの移籍や重複している企業だった。またこの8社のうち、いわゆるIT(情報技術)関連企業は、5社あるが、今後ナスダックジャパンの目玉になるような有望企業は、正直な所見あたらなかった。

このことを見ても、日本ベンチャー市場のすそ野の狭さがいささか気になる。結局、ナスダック・ジャパンが、昨年アメリカのナスダック社と、日本のソフトバンクの共同出資という形で鳴り物入りでスタートしたにも関わらず、一年後の取引開始までナスダックジャパンの目玉になるような企業をピックアップできなかったことになる。

そんな日本市場で、ナスダックジャパンは、本当に採算を合わせていけるだろうか?この面では、半年前に始まったナスダックジャパンのライバルである「東証のマザーズ」も同じで、かなりの苦戦を強いられている模様だ。19日は、マザーズ市場も下げ、ナスダックの初日の値付きも決して手放しで喜べる水準ではなかった。

ともかくこうして日本経済の期待を一身に背負って、ナスダックジャパンはスタートした。ここで敢えて厳しい言い方をすれば、もしも現状のままで、真に有望なベンチャー企業が登場するようでなければ、アメリカ的な精神の権化ともいうべきナスダックジャパンは消滅し、当然日本市場からアメリカンシステムとしての「ナスダック」は撤退することになるだろう。

ナスダックジャパンでは、今後アメリカの有望企業100社ほどを、ナスダックジャパンに上場させる考えのようだ。しかしこれだって、東証の外国部を見るまでもなく、取引量が少なければ、間違いなく次々と撤退していくに違いない。ナスダックジャパンの船出は、その意味でも期待と不安が少々入り交じっている感じがする。

とは云っても、ナスダックのような徹底的な情報開示の許に、よりフェアな形で、新興企業に資金調達を可能にするシステムとしての株式市場の創設は、停滞し続ける日本経済復興には不可欠のものであることに変わりはない。今後の日本経済の健全な発展の為に、「ナスダックジャパン」と「東証マザーズ」が担う役割は極めて大きいのだ。ナスダックジャパンが東証のマザーズと凌ぎを削りながら、ユニークで独創的な新しい企業を育て、やがてそのことによって日本経済に活気が戻り、実のある投資ができる市場が出来上がることを心から期待したいものである。

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やがて式が終了となり、会場中央の食卓が開かれた。すると会場にいた大勢の来訪者達が、我先にと、食卓に集まり、まるで砂糖に群がる蟻のように見えた。軽い気持ちでは、はじき飛ばされるような雰囲気だ。とても料理をいただく気にはなれず、会場を後にした。せめてジャズでも聴きたかったが・・・。佐藤

 


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2000.6.21