井伊直弼に学ぶ

 
 
 

かつて日本は、黒船に乗ってきた米国の圧力によって、260年間続いた鎖国を解いた。しかしその中で最後に開国を決断した人物は、将軍徳川慶喜ではなく、彦根城主の大老井伊直弼(1815〜1860)であった。

この人物の評価は、死後140年近く経ってもいまだ定まっていない。この人物が歴史の面舞台に登場したのはわずかに二年。その間、大老職についてすぐに日米通商条約(1858年6月)に調印した。この調印に至る手続きにおいて、井伊は天皇の意見(勅命)を聞かなかったとして反対派の猛反発を食った。しかし、もし彼が決断していなければ、国は更に意見が分かれて混乱したはずだ。

彼は一人全ての罪を背負い決死の覚悟で、この条約に調印したのである。その結果、1860年現代の皇居の桜田門のところで暗殺されてしまった。井伊直弼については、安政の大獄(これによって思想家吉田松陰は、刑死している)という反対派の大弾圧ということもあり、あまり芳しくない評判しかない。しかしこの人物がいたからこそ、今日の日本があると言っても過言ではない。たとえ悪者の評判をとり、百数十年の後においても、間違った評価しか受けないとしても、指導者は決断しなければならないこともある。

このように改革というものは、覚悟がいる。さて井伊の後を受け継ぐべき現代の指導者たちはどうだろう。

つい最近まで、橋本首相は「たとえ火だるまになっても」などと、威勢のいいことを言っていたが、昨日の行政改革会議の席では、声の大きい大蔵官僚に推しきられて、大蔵省の財政と金融の分離解体は見送りとなった。

これによって、日本版ビッグバンそのものものが、骨抜きの改革に終わることが鮮明となった。何と言っても、日本版ビッグバンの最大の難問は、大蔵省改革と1200兆の国民の金融資産のほとんどを抱える郵政改革のふたつである。まずそのひとつが早くも馬鹿な政治家と欲の皮の突っ張った官僚によって崩れてしまったのだ。国の行政の全てともいえる財政と金融の舵取りが、大蔵省にすべて握られているような姿は、日本版ビッグバンの掲げるフリー(自由)・フェアー(公正)・グローバル(世界標準)という精神に、明らかに逆行するものである。世界の先進国の中で、財政と金融の両方を支配している省庁というものは、大蔵省以外には存在しない。

そもそもビッグバンの目的は、日本という金融市場に、世界中の金融業者(プレーヤー)を集めて競わせることである。市場を開放するということは、場所を提供することに他ならない。スポーツで言えば、英国で開催されるテニスのウインブルドン大会のようなものだ。ウインブルドンは、世界一のテニスプレーヤーを決める大イベントである。しかし最近、地元英国選手と言えば、優勝はおろか、その名前すら聞かれないのが現状である。このようにウインブルドンは、英国選手のためにあるのではなく、ただ場所を提供しているだけなのである。それでもウインブルドンは、世界最大のテニスのイベントとして動かしがたい権威を持っている。何故なら、そこは世界一公正かつ神聖なテニスの聖地として、誰もが認める場所だからである。ウインブルドンが英国にもたらす経済効果は、抜群である。この大会のテレビ放映権料だけでも数十億円といわれ、地元英国には、ウインブルドンを観戦するために、ファンが殺到する。

もしこの大会で、ある審判員が、地元英国の選手をひいきしたジャッジをしたら、ウインブルドンはいっぺんに権威というものを失ってしまうであろう。また選手が、ある時は、審判席について、ジャッジまでしだしたら、ゲームは、まったく独りよがりのものとなってしまう。誰がそんなインチキなゲームに金を払ってみにくるだろうか。日本において、大蔵省が、財政と金融の両方をみるということは、そんなインチキゲームをやる市場を日本につくるようなものだ。

再び鎖国をして日本だけでゲームをするつもりなら話はべつだ。元々ビッグバンの真の狙いは、日本の金融市場をロンドンやニューヨークと並ぶ、取引市場にしようとするための改革であったはずだ。おそらく今回の大蔵省の分離できなかったことは、たちまち世界の市場関係者に大きな失望を持って迎えられるであろう。

覚悟のない指導者には困ったものだ。私の見る限り、明らかに日本は、国家崩壊への道を進んでいる。企業も含めて、今や日本中が経費を削減し、リストラに取り組んでいる中で、日本の大蔵省をはじめとする日本の省庁は、規模の縮小や解体どころか、膨張の道をまっしぐらに突き進んでいるようにしか見えない。

官僚組織というものは、放っておけば、自己増殖し、膨張していくモノだ。どこかでポリシーを持った人間が、命を張ってでもくい止めなければならない時がある。しかも現在、日本の財政は、アメリカを上回るような巨額の財政赤字を抱えており、財政破綻をしかねないところまできているのである。企業であれば、倒産だ。まったく日本の指導者のあほズラにはあきれるばかりだ。井伊直弼に学べ。佐藤
 


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1997.8.21