フォトジャーナリスト
「森住卓の撮ったイラク戦争の現実」を観て

-イラクを第二のベトナムにしてはいけない-





フォトジャーナリスト「森住 卓」(もりずみたかし)のホームページをみた。今年の3月に開始されたイラク戦争というものの、悲惨な現実が、そこには、余すところなく活写されていた。

その中に、「空爆されたダンスホール」(http://www2.cc22.ne.jp/~yfukuma/kubakuka.htm)と題された一枚の写真があった。粉々に破壊されたダンスホールの前で、呆然として、少女が佇んでいる。その目には、空爆を体験した恐怖が刻印されている。髪は逆立ち、左手には、何か大切なものが握られている。少女はやっとの思いで正気を保っているように見える。彼女は見てはならないものを見てしまったのだろうか・・・。

2003年3月20日未明、アメリカ軍によって、イラクの首都バグダッドに対する激しい空爆は開始された。その瞬間から、歴史と祈りの古都バグダッドは、瓦礫と死者と負傷者で溢れる町に変貌した。この戦争にいかなる正当性があるというのか。どのように喧伝されようとも、まだ空爆開始の最大の根拠だった大量殺戮兵器の存在は、9ヶ月近く経つ今でも発見されない。この現実はなによりも重いと言わねばならない。

イラクの人々に限らず、祖国が蹂躙されるのを慶ぶ人間はいない。問題は好戦的な思想を持った指導者が、いつの世も無くならないという現実だ。21世紀の民主主義が試されている。アメリカの民主主義とアメリカ人のアイデンティティが試されている。日本の民主主義と日本人のアイデンティティが試されている。

かつてロバート・キャパ(1913ー1954)という報道写真家がいた。キャパは、第二次大戦中、従軍カメラマンとして、戦争の真実を世界中に配信し続けた。彼はカメラというペンを持って、ナチスの残虐を暴き、ノルマンディ上陸を決死の覚悟で撮影した。またスペイン内戦では、「敵弾に倒れる義勇兵」という凄まじいまでの戦争写真を撮って報道写真の限界を超えたとも言われた。キャパは、1954年、インドシナ戦争に蹂躙されるベトナム戦線で、行軍中地雷を踏んで爆死した。まだ四〇才の働き盛りだった。

そのキャパに憧れる日本人がいた。沢田教一(1936ー1970)という男だ。彼は「ベトナム戦争のキャパになる」という強い信念をもち、泥沼に陥った悲惨きわまるベトナム戦争を四年間に渡って文字通り、死に物狂いで取材した。村が空爆に遭い、子供たちが、火焔の中を裸で逃げまどう様を夢中で撮影した「安全への逃避」は、1966年のピューリッツアー賞を授賞した。しかし彼もまたキャパ同様、1970年、カンボジアで取材中に銃弾を受けて、三四才の若さで、「戦争の真実」というものに殉じて亡くなった。

カメラマン魂というものはいったい何なのだろう。自らの命を落としても、まだ真実を世界に伝えたいと願う彼らの強靱な精神や行動力や正義感は。それはいったいどこから来るものなのか。キャパ亡き後、沢田に受け継がれたそのカメラマン魂は、森住の作品の中で脈々と息づいていることを感じる。

「戦争」。今また、何故、戦争なのか。それはブッダの教える「業」のなせる技なのか。人間は有史以来度重なる悲惨な戦争を繰り返しながら、それでも次々とまた別の戦争をはじめている。世界の指導者たちは、まるで戦争を永遠に止まらないメリーゴーランドのように弄んでいる。戦争で失われていくのは弱きものの命だ。戦争を世界から無くす方法はないのか。そのことを我々市民は、「いい年をして青臭い」と、何度罵られようとも、絶えず考え続ける必要がある。

ふと、「戦争は何故この世から無くならないのか?」と考える。おそらくそれは戦争が悲惨である一方で、戦争によって、利益を享受するものたちがどこかに存在するだ。そして不思議だが、戦争には、いつの世にも、どんな戦争にも、大義が付き、神が憑く。ボブ・デュランの「戦争の親玉」という歌がある。どんな戦争(それが例え正義の戦争であろうと、侵略戦争であろうとも)にも、その背後には、大義が存在し、必ず戦争を肯定する神が憑く。そしてあらゆる戦争は美化されて「聖戦」とされる。あのカソリックの総本山バチカンが、つい最近、かつての十字軍遠征は、イスラム教徒に対し、あまりにも無慈悲な戦のやり方をした、として遺憾の意を表明したそうだ。なるほど、神ですら、判断を過つことだってあるのだ。だからこそ我々は、戦争が起き、パニックとなり、戦争を賛美する神を崇める前に、その戦争の背後にあって、その戦争を指揮し指導する人間の行状をじっと凝視する必要がある。そしてその戦争には正しい大義あり、指揮するものが正しい判断によって、その戦争を遂行しようとしているのかを見極めなければならない。そもそもあらゆる戦争には実は大義など存在しないのかもしれない。神すら間違を犯すのだから、私たち人間の目(判断)というものは、つねに曇っていると思っていい。

仏教の言葉に、「一月三舟」(いちがつさんしゅう)という言葉がある。これは、実は月は止まっているのに、舟が北に進めば、月はその舟に乗る人からみれば、同じく北に進むように見え、南に行く舟の人からは、南に行くように見えるということを指す。つまりたったひとつの月が、その人の立場(ポジション)によって、まったく違って見えるということだ。確かに私たちは、ものを判断する時、自分が、現在どの立場(ポジション)にいて、何をどのように観ているのか。ということをまず認識しなければ、いつも誤った判断しか下せないことになる。

あの9.11のテロ事件以降、私には、アメリカの市民の目が曇っているように見える。彼らは巨大なアメリカという船に乗って、月がどっちに向かって進んでいるのか、分からなくなってしまったのだろうか。何度も言うように、イラクを爆撃する大義はなどどこにもない。今もって、大量殺戮兵器は見つかっていない。一方、イラクでは、占領軍としてのアメリカ軍に対する抵抗が続き、「イラクは急速にベトナム化している」という見方もある。ベトナム戦争の時、アメリカの若い兵士たちは、戦争が泥沼する過程で、「いったい私たちは何のために戦っているのだ」と叫んだ。自分たちの親兄弟のためでもなく、祖国の防衛のためでもなく、結局、彼らが言われたことは、「東南アジアが、ドミノ倒しで、共産化してはいけない」という上からの命令だった。その結果、若いアメリカの兵士たちは、誰もその意味を説明できない無意味な死を遂げた。その兵士の家族たちは、今もそのベトナム戦争の心の傷を癒せずにいる。イラクでも同じ事が起きるかも知れない。実に危険だ。

ベトナム人には、どんな犠牲を払っても、絶対に祖国を他国に蹂躙させてはならないという強い信念があった。アメリカとベトナム、どちらの大義が正しかったのか。それはもはや言うまでもない。大国アメリカが間違えていたのだ。どんなに世界一の装備を誇る世界一の軍隊でも、世界中が注目する中で、ある民族を殲滅することは許されない。幸いアメリカには、強い民主主義の伝統がある。市民が大統領選挙で、リーダーを変えることによって、アメリカという大きな船は、まったく別の方向に舵を切ることが可能となる。イギリスの人々も、来訪した現大統領ブッシュに抗議の意味を込めてデモをした。世界中の市民の目がイラクに向けられている。わが日本はどうするべきか。今この時点で、本当に自衛隊を派遣すべきなのか。国連はいったい何をしているのか。世界の民主主義が試されている。日本人の民主主義が試されている。

イラクを第二のベトナムにしては絶対にいけない。森住卓の撮影したイラクの現実を観て、そう思った。了

佐藤のイラク戦争関連のエッセイ等



2003.11.21 Hsato
 

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