映画レ ビュー
カンヌ映画祭グランプリ受賞作

映画「殯(もがり)の森」小論





 はじめに

07年5月28日(現地時間は27日)だったか、第60回カンヌ国際映画祭で二席に当たる審査員特別大賞「グランプリ」を受賞したという「殯(もがり)の 森」という日本映画を翌29日にNHKBSが完全放映をした。封切り前の映画を放送するなど異例中の異例なことだ。おそらくNHKもこの映画の制作過程で 資金などの面で支援していて、カンヌ後に放映することを条件とする契約を結んでいて、このようなことになったのだろう。

茶の間の映画好きとしては、実にありがたいことだった。河瀬直美(38歳)という女流監督の映像感覚に期待しながら画面の前に坐った・・・。


  1 ストーリー

いきなりプロローグで美しい奈良の奥山の村が映る。茶畑のある風景だ。そこを葬式の列がゆっくりと進む。
 
やがて暗転して黒字を背景に小さくタイトル「殯の森」。

ここまでの映像は申し分ない。奈良の奥山の緑や茶畑の遠景にも匂い立つような雰囲気がある。
舞台は奈良の山間地に立つグループホーム。

出演者のほとんども地元の人のようだ。まるでイタリアの巨匠ルキノ・ビスコンティ(1906-1976)の「揺れる大地」(1948)のような作りだ。河 瀬直美という作家も、いつも生まれ育った奈良という地域を拠点に活動しているというから、奈良を母なる大地のようにして、むしろその土地を主人公にして、 作品を一本撮りたかったのだろうか。

その意味でも、この映画には、イタリアのネオリアリズモ(超リアリズムの意)のような手法と手持ちカメラを多様するなど、一見ゴダール映画の影響も見受け られた。

「揺れる大地」の出演者はすべて素人だった。舞台はイタリアのシチリア島のとある貧しい漁村。それだけに、現実の漁民の生活の苦しさと悲しさが、画面から 零れてくるような迫力と説得力があった。そして単なる社会批判というものを越えた人間を描く力強い映画だった。

私は、この時点で「殯(もがり)の森」も同じような作品かと思った。

最初のシーンは、プロローグの葬式の後(?)の坊さんの法話のシーンだった。このシーンで、何となく主役のジイサンが登場する。認知症を煩っているのを暗 示させた。この会話にも作品全体の筋の伏線があるのだろうが、法話の中に取り立てて、印象に残るセリフは見あたらなかった。

もうひとりの主役が登場する。介護士役の若い女性だ。ここからドラマが始まる。習字をしていて、この若い女性が自分の名「真千子」と書くと、隣にいた認知 症のジイサンが、この真千子の字の「千」の字を自分の筆で消して、さらに「真千子」の字すべてを黒く塗りはじめる。そして暴力的になり、この介護士を突き 飛ばしてしまう。

この介護士の心の葛藤が少し開かされる。実はこの女性は、幼いわが子を亡くしていた。そして夫と思われる男性になじられたことをトラウマとして抱えている のである。

ある日、この若い介護士が、軽自動車に、ジイサンを乗せて、山に行うとする。途中、小道で車が脱輪し動かなくなる。助けを呼びに行く女性。じっとして待っ ていてね、と言い遺したのだが、ジイサンは、勝手に自動車の元を離れて山道を分け入っていく。女性は人に会うことができず、やむなく戻るとジイサンがいな いことに気付く。

慌てて、山道を探し回る女性。畑の向こうでやっと見つけると、ジイサンはスイカを抱えてスタスタと行ってしまう。必死で追いかける女性。やっとのことで捕 まえると、スイカが落ちて、倒れたふたりは割れたスイカを食べ合って笑う。少し心が近づいたのか。

ジイサンは、山に分け入っていく。若い女性ももはや止めようがない。川を渡ろうとした時、雲行きが怪しくなって、突然嵐となる。濁流が流れてきて、ふたり はずぶ濡れとなる。

やがて夜。火を焚き、暖をとるふたり。突然ジイサンが寒さのためか苦しみ出し。女性は全身でジイサンの身体を温め、さする。このシーンはとって付けたよう なエロチックな印象があり、私は激しい違和感を覚えた。要するに観ていてあまり気持が良くないのである。

翌朝、ジイサンは、元気になる。ここで認知症のためか、ジイサンが神秘体験をする。彼は若い妻と思われる幻影に会い、ダンスをするのだ。

それが終わり、ジイサンと介護士は、どんどん奥山に分け入っていく。ジイサンの足が止まる。懸命に一点を掘り始める。そこには一本の木が目印の立ってい る。それはジイサンの妻の墓だった。どんどんと掘り続ける。じっと見ている介護士。ジイサンは倒れ、満足気な表情で横たわり、絶命する。天を見上げて号泣 する介護士の女性。しばらくして画面が突然暗転。「殯り」の短い説明文が現れて、タイトルバック。了。


 2 殯(もがり)の意味と作品のリアリティ

はっきり言って、あまりに呆気ないラストシーン。何が何か分からず、こちらにはカタルシスが一向に来ない。介護士が泣いている意味も、感情を共有すること もできない。何だこのラストはという感じで終わった。何かが足りない。

「殯(もがり)」という言葉を、その謎解きとして考えてみる。「もがり」は広辞苑によれば、説として「喪(も)あがり」の意味という考え方もあるという。 要は「喪が明けた」ということである。日本民俗事典(弘文堂 1972年刊)では次の説明が冒頭にある。

死にあたって、喪屋を作り、中に柩(ひつぎ)を置き、食膳を供し歌舞を行うことをいう。人が死 んで魂を呼び戻せなくなるのは1年後と考えられ、この期間にモガリノミヤ(殯宮)で霊魂を付着させる儀礼があったとされる。(中略)殯 に伴う呪術は形式化・・・し、・・・通夜に変わり、さらに服喪の形で残留している。「殯」の文字は中国古文献に見え、第一次葬(屋内葬)のことで、「葬」 まで屍(しかばね)を棺に入れ仮安置をする。ある期間の後に野外葬(棺の移動。・・・骨の処理を伴ったと考えられる)をするが、殯の期間は復霊を期待する 情がある。(後略)」

この広辞苑と民俗事典の説明ですべてが明らかになったよう に思われる。この映画のプロット(筋)は、認知症になってしまったジイサンが、どういう訳か、妻の喪が明けたことを思いだし、奥山にある妻の骨を掘り起こ して、正式に墓に埋葬してあげよう(?)として、その墓の前(殯の森)で亡くなってしまうというものである。言ってみれば、ジイサンには、民俗事典にある「の情」が湧 いたことになる。つまり形として「殯」は、死者を霊魂を年を経て弔い骨を別のところに移す風習であるが、また別に「甦り」を期待する情 が働くということである。映画のジイサンにもその思いが強く湧いたと考えられる。

古来日本には、山岳信仰(山中他界と水源信仰)の習俗があると言われる。簡単に言えば、山は死者の魂の集まる異界なのである。例えば高野山の奥の院には、 「骨(こつ)のぼり」という習わしが古くからある。これは周辺地域の人々が亡くなった故人の骨や髪の毛を竹の筒に入れて、奥の院に納めるものだ。奈良の吉 野からも納めていたと言われる。

愛する肉親の遺骨(遺髪)を山(高野山)に埋葬することによって、先祖の列に加えることのなる。高野山はその後、高野聖(こうやひじり)という諸国を回遊 し、高野山への納骨を勧める僧たちが活躍したと言われる。西行法師もその一人ではなかったかという説(五来重著「高野聖」角川書店 1975年刊参照)も ある。


こうしていつからか高野山の奥の院は、天皇から名もない庶民までが、宗派の如何に問わず、埋葬される墓所となった。
現在高野山が、さながら日本中の骨が集まる日本総墓所の様相にあるのは、もしかするとこの映画のテーマでもある「殯(もがり)」との関連もあると思われる。

ただ現在、そんな話しは、あり得ない話しでこの映画にはまっ たくリアリティがない。こんな奥山に勝手に屍体を遺棄したら、それこそ今は死体遺棄罪でお縄となる。誰でも老ければ認知症になる可能性がでる。認知症は私 たちの 問題である。夫婦が居れば、どっちかが先に死に、後に遺される者が必ずいる。その確立は二分の一だ。

もしも作者が、現代日本の老いの苦しみを作品として撮りたいのならば、「殯」というような、まったく時代を異にした風習を持ち出すのではなく、病院を垂ら し回しにされ「リハビリ難民」あるいは「介護難民」と言われる老人たちと介護の現実が自然と浮かび上がってくるはずだ。そうすればもっと多くの日本人が共 感できる生のドラマが出来たのではないのか。



 3 授賞式のスピーチにみる映画作家河瀬直美の感性

5月27日夜(日本時間28日未明)、授賞式の檀上で、河瀬監督は、次のような趣旨のスピーチをした。

映画を作ることは大変なことで、それは人生に似ている。人生には様々な困難があ り、人は心のよりどころをお金や服など、形のあるものに求めようとするけ ど、そんなものが満たしてくれるのはほんの一部。私は光や風、亡くなった人の面影など、私たちは、そういうものに心の支えを見つけた時、たった一人でも 立っていられる、そんな生き物なのだと思う。そんな映画を評価してくれて、ありがとう。これからも自分にしか撮れないものを映画にしていきたい。
(5月 28日付け朝日新聞などにより佐藤編集)

実際の映画を観る前のことだったが、そのスピーチは、実に堂々としたもので、彼女の日本文化を意識した内容で志も高く大いに共感を覚えた。黒澤監 督がアカデミー賞の特別賞(1990)を授かった時の、「映画を私はまだ分からない」という趣旨の有名なスピーチを思い出していた。「映画は人生に似てい る」なかなかいい比喩だと素直に思った。彼女の感性の集合体である受賞作「殯の森」を早く見たいと思った。

しかし、見終わった今、彼女の感性はともかく、作品としての「殯の森」には、首を傾げる結果となった。

様々な要因があるが、まず作品としてのリアリティがまるでないと思うのである。もっといえば、あり得ない話しであるということだ。大体奥山に自分 の妻の遺体を埋めるという行為を現代人がするはずもないし、法律的にできるはずもない。つまり「殯」は現実としてあり得ないエピソードなのである。

私ははじめから作品を観ていて、何とか、軽自動車が脱輪するまでは、なかなか映像も美しいし、感性豊かな作家だなと感心していた。カメラも手持ちで、何や らゴダール風で才能を感じた。

それ以後から作品が急転換し、やたらと画面が冗長になる。森に二人が分け入ったこともあるが、画面も急に暗くなる。それでも認知症のジイサンは元気 になって、どんどんとクライマックス(妻の墓の前での死)に向かって突き進むのである。為す術のない介護士の若い女性はそれに付き従うしかない。

自然も一転、厳しい表情となり、美しいだけではない森の表情が出てくる。しかしもっと言えば、こんな軽装で山に入ったら、二人とも道に迷って死んでしまう 可能性だってある。

この映画を撮った作者は、自然に対して美しいと感じているかも知れないが、怖いという意識は薄そうだ。それに決定的なのは、人生に対する認識も自 然同様、深い認識もなければ、真の意味での厳しさも知らないように見える。いったい認知症のジイサンが、自分の妻の墓というおよそあり得ない場所を掘った 挙げ句に死んだとして、そのことにどのような意味を見出し得るか、考えてみればよい。

最後に介護士の女性は天を向いて号泣するのだが、作者としてみれば、認知症の老人がそれほど先立たれた妻を愛していたという、そのことに感動をし て泣いていたのだろうが、筋から言えば、介護士としてこの女性もプロであるとすれば、介護士の役目を果たすことが出来ずに、患者(クライアント)を死なせ てしまったという葛藤が、この号泣の中になければならないはずだ。

その為か私はこの奇妙なラストシーンを見ながら、何故泣いていると、首を傾げた。感動が共有できない。これならば、別に、死という究極のドラマにしなくて も、もっと深い感動を呼ぶ作品はいくらでも撮れたはずだ。

見終わった後、美しいはずだった奈良の奥山の景色も頭の隅に押し出され、およそリアリティのないストーリーで頭がいっぱいになってしまった。


 4 日本文化の中の「殯(もがり)」とカンヌ映画祭の質の問題

この映画の題である「モガリ」という言葉ひとつにしても、その言葉が日本人の中で、どのように受容され、そして法によって禁止され、どのように変化してき たかということの深い考察もなければ、当然映画にリアリティをもたらすことは不可能だ。

あるのは、「奈良の自然」、「認知症」、「介護」、「わが子の死」、「離婚」、「人の死」、という記号じみたシナリオ断片(当初の作者の発想)の食い散ら かしだけである。もっとシナリオは、推敲に推敲を重ね、他人の意見を聞いて練る必要があったということだ。

あの黒澤だって、才能あるシナリオ作家と共同で書き上げ、完璧な筋立てを作り上げていたのである。例えば、名作「生きる」(1952)では、黒澤 と橋本忍、小国英雄がチームを組んで完璧なシナリオを練り上げて、あのような世界の名作が完成したのである。だから観ていて少しも飽きが来ないのだ。また 冒頭で紹介した「揺れる大地」でも、登場人物は島の地元民であるが、助監督には、後に巨匠となるフランコ・ゼフィレッリ(1923− )が務めていた。才 能豊かな第三者の目を通していたということになる。

この作品に「グランプリ」を授賞するに当たっては意見が真っ向から分かれたということだ。それは当然であろう。日本文化の何たるかを、本当の意味 で知っていれば、この作品には違和を持って当然だ。逆に少し日本文化を囓った人間は、貧弱な知識を大げさにひけらかして絶賛をするかもしれない。

ともかく、この作品に「グランプリ」を渡したということは、カンヌ映画祭も、あまりにもアンチ・ハリウッドになっているせいか、目が曇っていると も考えられる。もう、あの黒澤やビスコンティが活躍し、ハリウッド映画には到底作れない世界の映画界の至宝たちがきら星のように活躍していたあのカンヌで はないということだろう。

厳しいことを言うようだが、この「殯の森」映画が、世界でも日本でも受け入れられるとは到底思えない。理由は明確だ。シナリオがまったくシナリオになって いないからだ。

河瀬直美監督には、是非独りよがりにならず、才能ある若いひとを周辺に集めてチームを作ることを勧める。現在のようなお祭りや年中行事のひとつに成り下 がってしまったカンヌ映画祭の「グランプリ」などは、早く忘れてしまった方はよいとさえ思う。

 ◇

幸い彼女には美しい映像を映像化する恵まれた才能が感じられる。自分でプロデューサーも兼ねフランスの制作会社に資金を捻出させる努力など志も本当に立派 だ。NHKBSでの異例の放映も、その契約の一貫だったのだろう。しかしその視覚的感性や技量を活かすために も、まずは完璧なシナリオを練り上げることだ。そして、日本という社会の現実とそこに住む人間を鋭く写し撮ったリアリティも感じられる面白い映画を撮って もらいたい。



2007.6.1 佐藤弘弥


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