読売新聞09年8月7日朝刊の文化面に、ユネスコ事務局長松浦晃一郎氏の氏のインタビュー記事が掲載されている。読売新聞文化部鷲見一郎記者の秀逸な記事だ。

この中で、松浦事務局長は、昨年(08年=平泉)、今年(09年=上野国立西洋美術館)と、二年連続に渡って「登録見送り」となったことについての見解を述べている。

確かに、このふたつの落選という結果は「平泉ショック」などとも呼ばれ、各地で活発になっていた日本の世界遺産運動にとって、冷水を浴びせかけられる結果 となった。中には山形県(最上川)のように、県知事選挙(09年1月25日投票)で、最上川の世界遺産運動が争点となって、現職知事が取り組んでいた取組 を中止するという地域も出た。

これに対し松浦氏は、「続けざまに、ユネスコの諮問機関から世界遺産登録への登録見送りという意見が出て、衝撃を受けすぎている。何でも出せば通る。何を 出してもダメは、というのは両方間違い」と語る。とかく日本人は、何か起こると両極に大きく触れすぎる傾向がある。松浦氏はそのことに警鐘を鳴らしている ようである。

その上で、問題の平泉については『案件自体は悪くない。もう少し専門的な説明が必要だった。・・・「浄土」についての専門的な理解が得られず、登録が見送られた。「平和の希求」といった点に 文化的価値を認める意見があっただけに、惜しい結果だった。・・・国内外の専門家の意見が十分に取り入れられていなかった。』と総括している。

説得力のある内容だ。松浦氏は平泉の案件そのものの価値が世界遺産登録されるべき価値はある、との前提に立ち、前回の推薦書において「浄土」の説明不足について指摘する。

日本人の多くも、この平泉の中における「浄土」について正しく理解している人は少ない。すなわち、08年の平泉の推薦書では、本来の「浄土教」と鎌倉仏教として発展した法然の「浄土宗」や親鸞の「浄土真宗」との違いが明確に説明されているとは言えない。

そもそも、平泉における「浄土教」は、鎌倉仏教以前の浄土教である。しかも浄土は、平泉の仏教文化の一側面でしかない。一側面を全体に適用して、これを説 明したために、9つのコア・ゾーンとの矛盾が生じた。イコモスは、この推薦書の論理矛盾を厳しく指摘した。この結果、結局平泉は「登録延期」となったもの である。

それまで日本は、世界遺産登録の優等生と見られていた。しかし07年には、石見銀山が、平泉と同じく、イコモスから登録内容が説明不足として、登録延期を 諮問されていた。これを日本政府の政治力で、登録に漕ぎ着けた印象が強い。このことで、非政府組織(NGO)イコモスが、日本の世界遺産運動全体に大きな 不信感を持ったことは想像に難くない。

松浦事務局長が言う内外の専門家の意見を謙虚に聞くという姿勢は、至極当たり前の指摘だ。仏教の専門家が、前回の推薦書作成委員に入っていなかったことを考えると、この間の登録までを牽引してきた文化庁の責任は重いと指摘せざるを得ない。

次回の平泉の世界遺産入りについては、先の松浦晃一郎ユネスコ事務局長の意見(「案件は問題ない。浄土の説明不足。平和希求の価値を認める意見があった」)を入れて、もう一度、平泉の遺産としての価値がどこにあるのかを、見つめ直す真摯な取組が必要である。その為には、何が何でも年内に、推薦書を書き終えて、2011年の登録を目指すという短絡的なスタンスではなく、一年ほど猶予を持つくらいの大きな構えが欲しいところだ。(09年8月7日 佐藤弘弥記)

2009.08.07

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