鈴木真砂女の美しき人生

−野に咲くタンポポの如く−


 
俳人の鈴木真砂女(すずき・まさじょ)さんが、3月14日に亡くなった。96歳の大往生だった。

とかく俳句は余り好まない私だが、彼女は大好きな俳人だ。今の真砂女の最後の句集「紫木蓮」を味わいながら、その生涯を振り返ってみよう。

千葉の鴨川に生まれた真砂女の人生は、けっして順風なものではなかった。最初の結婚相手は失踪してしまう。その後も再婚、離別、上京、不倫など、まさに波乱に満ち満ちた生涯を送った。その余りにも劇的なエピソードは、丹羽文夫や瀬戸内寂聴が小説にしたほどだ。その後、自立のために銀座の路地裏に「卯浪」という小料理屋を開いた。その店を女将として切り盛りをしながら、俳句と出会い、句誌「春燈」を主宰する久保田万太郎に師事をした。

代表句に、「羅(うすもの)や人悲します恋をして」(句集 生簀籠)がある。

真砂女の句風は、野に咲くタンポポの如き凛としたものである。彼女の句には、波乱の人生にも臆することなく立ち向かう凛とした逞しさがある。迷うようななよなよとしたところがどこにもない。これがいい。芭蕉は、どこかで句作のコツを聞かれてまな板の鯉をさばくようにと答えたことがあった。真砂女の句にもこのような躊躇のない切れ味がある。読み手は、薄造りの新鮮なフグを賞味するようなものだ。

落雷の近しと鰺を叩きけり」(句集 紫木蓮)
なりはいや鰺を叩くに七五調」(同)
鰤(ぶり)の腹むざと裂かるる年の暮」(同)
秋刀魚焼く煙りの中の割烹着」(同)

90才まで、小料理屋の「卯浪」を経営し、経営の一線からは退いたが、五年前(98年)に出した第七句集「紫木蓮」(しもくれん)では、飯田蛇笏賞を受賞した。

とかく人は、「老い」というものに翻弄されがちだが、真砂女の場合は、それさえも句作のネタにしてしまう逞しさがある。

突然死望むところよ土筆(つくし)野に」(句集 紫木蓮)
手術台へ俎上(そじょう=まないた)の鯉として涼し」(同)

第二句を注目していただきたい。先に、芭蕉の句作のコツについて書いたが、真砂女は、自らもその鯉のように手術台の上に横になる。これは彼女の人生に対する覚悟の程を示す句だ。彼女の句に凛とした清々しさのようなものを感じるのは、彼女の心の根底にこのようなきっぱりとした精神によるのである。

そしてこの最後の句集の冒頭に置かれている、

来てみれば花野の果ては海なりし」が辞世の句ではないかと察せられる。

この句には、彼女の人生のすべてが凝縮しているように感じる。真砂女は、苦難をも逞しく生き抜いて、ついに花野に達した。そして花野の向こうには、どこまでも続く青い海が拡がっている。こうして真砂女は、自らの魂のうちにある海に還ったのである。何としなやかで美しい生涯であろう・・・。合掌。
 
佐藤
 

 


2003.3.17
 

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