共感という言葉

 
「共感」という言葉がある。この言葉は、他者の言葉や行動に感激し、その他者に共通の価値観を持つことを言う。そして「共感を覚える」とか「共感を感じた」というように使用する。英語で言えば「シンパシー(sympathy)」である。

共感とは、単にある言葉や行動に感動することではない。それは感情のレベルで言えば、他者の言葉に垂直的に同調を寄せることではない。言い換えれば、神の言葉を聞くように、相手の言葉にひれ伏す事ではないのである。 

「共感を覚える」とは、他者の言葉により近い距離や親近感を感じることである。だから言い換えれば、それは相手と同じ目線で、物事を捉える水平的な行為なのである。とすると、一定レベルの相手の言葉に共感を覚えられる為には、自分自身が、相手と同じレベルの心的状況になければならない。 

どんなに素晴らしい言葉を聞いても、それを受け止める自分の感覚が、言葉を発した人物より、遙かに低いのであれば、ウマの耳に念仏に終わってしまう。だからこそ我々は、素晴らしい人間の素晴らしい言葉や行動に共感を覚えるだけの勉強が必要になる。 

世の中には、素晴らしい人も、素晴らしい言葉も、至る所に溢れている。しかし自分が、余り共感を感じない、というのであれば、やはり自分の人間としてのレベルや心の在り方を考え直してみる必要があるのではないか? 

だから私としては、相手の発する言葉や行動を正しく評価でき、共感を覚えた相手に対しては「その感覚分かります」「共感します」と相手に対して、素直に言うことのできる人間であり続けたいたいと思うのである。佐藤 
 


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2001.2.8