巨額遺産と人の幸福というもの

兼好法師の視点でみる武富士武井会長 の人生


 1 追徴金1330億円の取り消し

朝刊をパラパラとめくると、「1330億円追徴取り消し」の見出しがあり、その横に『「武富士」元専務に国側返還額1710億円』と小見出しがおどってい た。(読売新聞5月24日)

どうやら、国税局が東京地裁で敗訴し、追徴課税分「1330億円」を否定されたというものだ。

訴訟原告は、武富士の故武井保雄(1930−2006)元会長の長男で武富士元専務の俊樹氏。もちろん被告は国税局である。原告の俊樹氏は、05年国税局 に指摘された課税分など約1585億円を全額納付した上で、国税当局を相手取って、追徴金返還の訴訟を起こし争ってきたのである。

原告俊樹氏の主張はこうだ。99年に実父である保雄氏から、武富士株約1569万株を保有するオランダ法人の株式の90%を贈与された。俊樹氏は97年か ら武富士の現地法人の役員をしており、香港を生活の拠点としていた。当時の税制度では、海外に住所がある場合は、課税はされないというルールがあった。し たがって、この贈与については、申告しなかったというものだ。一方、国税当局は、香港の住所移転が課税逃れだったとする。ここに今回の裁判の争点がある。

07年5月23日、東京地裁判決は、俊樹氏が「現地法人の代表として勤務していた点などに照らし、日本に住所地があったとはみなせないと判断。海外赴任が 税逃れの目的だったとは言い切れない」(朝日新聞 5月24日)として、課税処分を違法とし、国側敗訴としたものである。

おそらく国側の控訴が予想されるが、もしもこれで判決が確定した場合には、1330億円に、利子に当たる還付加算金や既に払った延滞税も返還されることに なり、それらを合わせると国側の還付金の合計は「1710億円」になるということだ。原告俊樹氏は、もちろん国側の控訴がなければのことだが、二年ほどの 国税局との争いの中で、結局差し引き125億円ほどの返還金を受け取ることになる。

 2 吉田兼好の視点
さてさて、世の中には、桁違いの金持ちもいるものだ。1300億も1700億も125億も、私たちの生活実感と余りにもかけ離れた金額のためにこれが、多 いのか少ないのか、正直分からない。私はこの裁判についての善悪の判断よりは、”日本人にとって財産を残す”ということの意味について、いささかの興味が ある。

確か西郷隆盛(1827-1877)は、有名な漢詩「感懐」(かんかい)の中で「子孫のために美田を買わず(不為児孫買美田)」という遺訓を遺した。ここ には、財産というものは、子孫自らが、様々な人生の辛酸を経て、形成するものだという強い意志を感じる。

一方、吉田兼好(1283?-1353?)は、徒然草の第百四十段でこのように語っている。

人が死んで財産が残るのは知恵のある人のすることではない。後に残したものがつまらないモノで あったらみっともないことだし、仮に良いものだとしても、そんなものに未練を残していたかと思われるのもむなしいことだ。やはり財産がむやみに多いという のは感心したことではない。「私が貰う権利がある」などと言う者が現れて、死後に相続争いになるというのは醜いものだ。もしも死後、誰かれに残したいと思 う者がいるのであれば、生きている間に譲るのが良い。朝晩にそれがなくて困るというのならばともかく、できればそれ以外は、何も持たないでいたいものだ。」 (現代語訳佐藤)

さすがは、兼好法師、出家して世の中を達観した人間のいうことは違うものだ。先の1770億円の話しが帳消しになるほどの含蓄のある言葉だ。

要は世の中には、お金が無くて、困る人が大勢いるのだが、逆に使い切れないほどのお金を持ってしまって、その相続に死ぬ思いをする人もいるということであ る。

私がみる限り、使い切れないほどのお金を取得した人でも、人生において、何の苦労もなく穏やかな生涯を送ったという人は意外に少ない。いやむしろ、お金を 持ちすぎて苦しむ人生もある。武富士の故武井会長を見ても、莫大な遺産は遺したかも知れないが、それが幸せだったかどうかは分からない。

その故人にして、一時は日本一の金持ち(!?)、あるいは立志伝中の人物と騒がれたが、結局は、有り余る財産を子息へ相続しようと、知恵の限りを尽くし も、これがうまく行かず、トラブルとなり、裁判の決着も見ずに亡くなってしまったのである。

先の1300億円を越える贈与の半分でも、身内にというのではなく、これを公的な慈善事業などへの寄付でも行っていたとしたら、本人の人間としての評価も 自らの心の充足度もまったく違ったものになっていたと思われる。

やはり吉田兼好のいうように、人の幸せは、「お金」ではない。有り余る資産を持った人間は、兼好の言葉をよくよく考えておくべきである。

 ◇ ◇ ◇

 3 アメリカ ビル・ゲーツの場合
最後に、アメリカでは、鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(1835-1919)や、石油王ジョン・D・ロックフェラー(1839-1937)など、その
膨大な私財を慈善事業に投じて社会還元をした。現代のマイクロソフ ト社ビル・ゲーツ(1955−)にも、その伝統は引き継がれ、ゲーツ自身、08年に企業活動から引退して、560億ドルと言われる私財の多くを抛って自ら で創設した巨額基金をもって社会貢献に全力をあげると公言している。

アメリカには、資産家たちの寄付や慈善事業を助長する税制度がある。また市民の見方も、大金持ちがそんなことをするのは当然とする文化が定着している。日 本でも、これはそのまま受け入れてもいい”良きアメリカ文化”であると思う。

武富士の故武井氏の場合もそうであるが、上場基準が比較的容易になり、巨額の資産を形成することが容易になった日本社会にあって、立法に携わる人は、俄に 大金持ちになった日本人の公的寄付を助長する税制度の創設を考えるべきではないだろうか。


2007.5.25 佐藤弘弥


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