巨人黒澤明逝く

 
 

90年アカデミー賞特別賞受賞式の黒澤。
アメリカの二人の弟子、スピルバーグとルーカス。
 

 

我々はニセモノに囲まれて生きている。おそらく我々の周りの99.9%はウソとインチキとデキソコナイばかりだ。もしかしたらこの自分そのものが、ニセモノかもしれない。早くニセモノの衣服で身を固めている自分に気づかなければ、短い一生をニセモノとして終えてしまいかねない。

では我々はどうしたらいいのか。どのように自分が身にまとっているニセの衣服を脱ぎすてればいいのか?その一番良い方法は、本物に触れる事であろう。本物の感触を味わい、本物とニセモノを嗅ぎ分ける嗅覚をもつことだ。

そんなことを考えていたら、このニセモノばかりの世の中で、数少ない本物の男がこの世を去った。その人物の名は、あの映画監督、黒澤明。88歳の大往生であった。私自身、非常に影響を受けた人物だけに、大きなショックに見舞われた。

世界中が、彼の死に弔意を示した。
 

いち早くコメントを発表したのは、スティーブン・スピルバーグだった。黒澤を師とも父も尊敬するスピルバーグは、黒澤死去の感想を聞かれ、沈痛な表情で、サッド、サッド(悲しい)、と二度繰り返した。

彼にとって、黒澤は、ただの異国の映画監督ではない。黒澤の横にいる時の彼は、まるでおっかない父の前にいる少年のようだった。もちろんスピルバーグ自身、黒澤に映画の手法を教わっているわけではない。しかしおそらく世界の誰よりも黒澤の作品に多く触れ、深く研究し、その黒澤のやり方を自分の作品に取り入れているのが彼である。だからこそスピルバーグにとって、黒澤は、映画の本質を教わった師であり、偉大な映画の父とも言える特別の存在なである。

スピルバーグは、新しい映画を撮る時には必ず、黒澤の作品を何度も見て、自分の気持ちを極限まで高めてから始めると語っている。彼にとってみれば、何度となく、見ている作品だから、目を瞑っても、様々なカットが出てくるくらいなはずだ。しかしそれでもその作品に投影されている黒澤という芸術家の気をもらっていたのである。

人間というものは、不思議なものである。毎日顔を合わせているのに、心が通い合わない関係というものがあるのに、黒澤とスピルバーグのように、生涯にほんの数度しか会わなくても、理解し会える関係もあるのだ。おそらくスピルバーグの人生の目標は、黒澤の築いた映画の伝統を引き継いでさらに、もっと高い次元に映画芸術を引き上げることにあるはずだ。

そのためかどうかは知らないが、スピルバーグには、黒澤にない商才という才能があるような気がする。それは芸術的な面では大したことのない「ジェラシック・パーク」のような作品でも、とりあえず撮って、次回作の糧にするということだ。おそらく現在スピルバーグにとって、本当に撮りたい作品というものは、自分のアイデンティティーに絡んだような「シンドラーのリスト」のような作品のはずだ。

その点、黒澤は、自分で納得できない作品は、一切撮らないという非妥協的な真の芸術家である。例えば、1964年の東京オリンピックの記録映画は、その制作費が余りに安いこともあって、監督を引き受けなかった。また日米海戦を描いた日米合作の超大作「トラ、トラ、トラ」でも監督を途中で降りてしまった。スピルバーグは、そんな自分とは違うタイプの巨匠黒澤明を、心の底から敬愛しているのである。彼は黒澤のことを「映画の世界のシュークスピア、永遠の古典」と最大級の賛辞で称えた。要するに黒澤の作品が時代という壁を越えて永遠に残る真の芸術であることを認めているのである。この世に永遠に残り得る本物なものなど、そんなにあるものではない。

だからこそ我々も、もっと黒澤明の作品に触れて、本物の感触を知らなければならない。日本人が考えている以上に黒澤明は、遥かに偉大な人物であることは間違いない。もう一度「七人の侍」や「生きる」見てみよう。佐藤
 



 

義経伝説ホームへ

1998.09.7