終わりよければ、クリントンよし

 
 
終わりよければ、すべて良し、という言葉がある。

まさに現在のクリントン米大統領は、この言葉を噛みしめながら最後の任期を全うしようとしているのであろううか。目の前には、イスラエルとパレスチナ紛争の合意の仲介問題を抱えている。これは下手をすれば、大規模な中東戦争に発展しかねない問題で、今後とも曲折が予想される。また国内には、株価暴落の危機が叫ばれており、終わりよければで終われるという保証はしずらい状況になる。

あんなに若かったクリントンも最近では、白髪のおじさんになってしまった。何でそこまでして、大統領になるかと言えば、やはりそこは人間の業とでも言おうか、権力の座について、JFケネディ(JFK)のように颯爽と生きてみたかったのかもしれない。

しかしかといって、JFKがそれほどすごい大統領だったかと言えば、最近は生前のスキャンダルや、マフィアとの付き合いが噂されるなど、その評価は、時を経て次第に下がっていく傾向がある。これはやはり、JFKという人間のメッキが剥げてきたということであり、辛辣な言い方が許されるなら、やはりJFKがホンモノではなかったということになる。

人間の評価というものは、このように時代によって、変化するものであるが、その逆に亡くなった後、年を経るたびに評価の上がっていく人物という人も、時には現れる。最近ではその筆頭として、日本の一外交官、故杉原千畝氏を上げることが出来るかも知れない。

考えてみれば、彼がなした行動は「言葉にすれば6000人に命のビザ」ということで終わるが、「6000人」の人が命を救われる、という現実は、本当にすごい快挙としか、言いようがない。考えてもみよう。その6000の人々には、それぞれ家族がいたはずだ。つまりその人たちが救われたことで、その背後にいる数万の人々が救われたということに等しい。少なくても数万の家族の恩人となったことになる。

やがて救われた人々のうち、年老いた人々は亡くなり、若かった人は、若い命を産んで、家族の輪をふくらませていく。するといつの間にか、数万の人々の歓喜は、数十万となり、もしかしたら一国も形成するほどの命の輪に成長するだろう。私はイスラエルの人々の杉原千畝氏に感謝する気持ちというものは、そのような類の気持ちの発露としてあるのだと思う。

だからクリントンも、杉原氏を見習って、自己にこのように問うべきであろう。
「今、私は本気で、この二つの国の国民を救おうと全力を尽くしているのであろうか。やるべき事をすべて成したか。本当に今イスラエルとパレスチナの人々の命を救えるのは、この世界に自分しかいないのだ。」と。

今更、彼のスキャンダルなど、問うべきでない。そうしたならば、クリントンは、いつの日にか、名大統領としての評価を受けるかもしれない。

そしてまさに、”終わりよければ、クリントンよし”となるかもしれない。佐藤
 


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2000.10.19