例年、栗駒山には、紅葉狩りに出かける人が多い。栗駒山は、宮城、岩手、秋田の三県にまたがる霊峰である。これが紅葉の季節ともなれば、栗駒山への三県の
ルートがそれぞれ渋滞をなし、いつもなら小一時間の道が、五時間ほども掛かってしまうこともある。今年は宮城ルートで、紅葉狩りの車の乗り入れを里でス
トップさせ、そこから無料バスでピストン輸送するという試みもなされたと聞く。
それにしても日本人は、何でこれほど秋山の紅葉執着するのであろう。それはおそらく、自らの内に刻まれたDNAの記憶のようなものがあって、「秋」の季節
を感じた時、堪らなく秋の山に行きたくなるのではないだろうか。
つまり私たちのDNAは知っているのだ。かつて奥山が真っ赤に染まり、やがて白い雪の花が降って、辺り一面が白銀の世界になる。見事な美しさだ。しかしそ
れ以上に森に生きていたDNAは、美しさの奥にある冬の飢えの怖さを記憶しているのである。
栗駒山に限らず、日本人が秋の山に執着を持つのは、奥山の豊かさと美しさへの憧憬であると同時に飢えの経験を忘れないために秋になった山にクリやドングリ
の実を拾い極寒の冬に備える経験を忘れないためではないだろうか。もちろんこれは私の戯言と言ってしまえばそれまでだ。しかし私はこれほど日本人が秋の山
に魅せられる理由を他に探しかねてしまうのである。
ところで栗駒山の麓の里沼倉に、源義経(1159-1189)の胴塚と伝えられる判官森という里山があるが、義経と同世代の人に慈円(1155-
1225)という僧侶がいる。天台宗座主となり延暦寺に居た偉い人だが、歌人でもあった。その慈円が新古今集に次のような歌を遺している。
み山路はいつより
秋の色ならむ見ざりし雲のゆうぐれの空
心惹かれるいい歌だ。ふつふつと秋色に染まる比叡の情景が浮かんでくる。山路を歩いている慈円の前に、錦を羽織ったような山並みが拡がっている。やがて、
つるべ落としに、日は山の端の雲に隠れ、その雲が信じられないように赤く輝いている。歌人は、つい美しい秋の山に見取れ、家に帰るのも忘れ、そこに留まっ
ていたのだろうか。そこで私もふるさとの栗駒山を思い出しつつ・・・。
限りある命なりけり我ら皆今こそ見ばや栗駒の秋