高野山はディズニーランド?!


佐藤弘弥

高野山根本大塔

檀上伽藍に映える 根本大塔
(05年7月15日 佐藤弘弥撮影)

朱朱と燃ゆ る命の炎とも高野聳ゆる大日の塔 ひろ や


「高野山は、ディズニーランドのようだ」と言えば「天下の霊場高野山に対し不遜な言い方をするな!!」と叱ら れるだろうか・・・。

でも私は、弘法さんの最初の発想には、「日本人を密教思想で教化する」という建前の奥に、日本人の目を覚ますような圧倒的な仕掛けを創って、一目瞭然にし てやろうという思いがどっかにあったと思うのである。

高野山を歩きながら、その美しさを思う時、私の心には、何故か、浦安に突如として出現したディズニーランドが浮かんだ。確かに塵ひとつない高野山の古道を 大塔のある壇上伽藍から奥の院にかけて歩くと、その景観には、心が洗われるような清涼感がある。私はその雰囲気にどこかディズニーランドに似たものを感じ た。

弘法さんは、単に信仰のための山岳霊場として建設したとはとても思えない。高野山は人々の信仰心の彼方にある極楽浄土のミニチュアとして構想されたのでは あるまいか。極楽浄土とは、西方浄土とも呼ばれ、西方の彼方にあるというパラダイス(楽園)なのである。

奥の院からみれば、確かに様々な伽藍の立ち並ぶ壇上伽藍は西の位置にある。ここにある豪奢な伽藍が象徴するものは、弘法さんのメッセージである。それは、 「極楽浄土とは、この何倍も素晴らしい夢のようなところだよ。あなたもここに来てその事実を実感してみてはどう?」ということだと思うのである。

ブッダもいうように信仰とは、彼岸(真実の地)に至る筏であり、方便にすぎない。つまり信仰とは、彼岸に至るための道具(ツール)ということになる。人は 彼岸という世界が、どのようなものであるか知った時に、心の底から、その極楽浄土に行ってみたいと思う様になる。弘法さんは、きっとそのパラダイス(楽 園)のミニチュアを創って、日本中の人々をこの地に集め教化し、世界に冠たる国を作ろうとしたのではないだろうか。


2005.8.10 佐藤弘弥

義経伝説ホームへ
義経エッセイ INDEX へ