コムスン騒動に思うこと

時代の寵児転落への道



時 代の寵児あるいは異能な経営者として、もて囃された「グッドウィル・グループ」(1995年設立)の総師折口雅博という経営者(46)が、コムスンの不正 請求など一連の謝罪会見に、歌舞伎の児雷也(じらいや)か天下の大泥棒石川五右衛門のような頭髪でマスコミの前に現れた姿には驚いた。

「経営のスピード」、「6千万の売上げが千倍になった」と、わずか46歳にして、資産数百億を有する億万長者の仲間入りを果たしたものの、ここで大きくつ まずく結果となった。

急ぎすぎた(性急)と言えば、それまでだが、今回のつまづきには、もっと根本的な間違いがあったようにも見受けられる。彼の経歴をたどると、常に自分で前 のキャリアを消してしまうようなドンデンガエシ的展開という性格的傾向が見られる。

高校から、公費で防衛大に入学したものの、民間の商社総合商社日商岩井(現・双日株式会社)に就職したのも、そのひとつである。普通であれば、防衛大卒業 生は、はじめから自衛隊の幹部候補生として、20人の部下を持つことになる。しかし彼は、そのような任官の道を拒絶して、商社に勤める。やがて、彼は、 「ジュリアナ」ブームの仕掛け人となり、実業家への階段を上りはじめる。

ディスコブームに翳りが見えるや否や、彼は今度は高齢化社会の到来を見越して、介護福祉事業に全面展開をする。それが第二の「ドンデンガエシ」だったかも しれない。その時、まったく違う分野に、見込みがあると踏んで、飛び込むのは分かるが、自分の人生観やライフスタイルとの整合性はどのようにとっているの か、とその転身スタイルに少々疑問をもった。

それからの「グッドウィルグループ」の躍進振りは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。マスコミは彼を時代の寵児と持ち上げ、経営者としての手腕が、様々 な新聞雑誌で取り上げられた。一部上場まで果たした彼は、様々な介護ビジネスや福祉施設をさ経営していた企業を次々と買収した。コムスンもその中のひとつ の企業だった。買収先の経営者をそのまま温存する形で、まるで古代ローマのようにして、彼は支配陣地を急拡大していったのである。

そして、九州という一地域の「コムスン」という企業は、「ゴッドウィル」の中核企業として、そのノウハウを全国に拡大させて、急成長を遂げたかに見えた。

しかし、介護ビジネスというものは、スピード経営という「折口流の経営」とは馴染まない性格を持つ、ボランティアの性格の強い事業だ。そんなに利益は望め ないかわりに、高齢化社会には欠かせないこれからの日本を支える大事な事業である。

しかし彼は、グループのトップとして、あくまでも、急拡大路線を、コムスンに取らせた。彼は古代ローマのように、コムスンの統治を前任の経営者に任せず、 急拡大路線を標榜し、新しい介護先を見つける事ばかりを、現場に強いることになった。

その結果、法律に決められた現場の責任者がいない時には、これをねつ造し、利益が少ない時には、加護保険料を水増しすなどの行為が現場で、次々と行われる ようになって行ったのである。

急がば回れという諺がある。彼はその言葉をまったく理解することなく、悪の道に知らず知らずに、踏み込んでしまったのである。結局、アングロ・サクソン流 のスピード経営ばかりを念頭に、この異能(?)経営者には、諌言(かんげん)をする部下も、敬愛する先輩もいなかったということになる。



今回の「グッドウェル騒動」から学ぶことは、ひとつはまったく違う道に飛び込む時には、、少なくても、人間として、自分が心からこれならばと、馴染めるも のでなければならないということ。もうひとつは、自分が間違って、道を踏み外したと思う時には、しっかりとそのことを指摘することのできる人間(部下でも 先輩)でも、側に確保しているということではないだろうか。

考えてみれば、折口氏の人生は、防衛大の授業料という「公費」をタダ取りして社会に出た挙げ句、今度は介護費用という「公費」に目を付けて、これを悪知恵 をもって引き出そうとして、コケてしまったという見方もできる。まさに世の中は、天網恢々(てんもうかいかい)である。

それにしても「グッドウィル」とは、英語で「善意」である が、とんでもない「善意」企業もあったものだ。



2007.6.14 佐藤弘弥

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