こころはざわめく

ブッタの詩


 

ゴルフ場で、完璧なショットと思ったものが、池にポチャン・・・。

するとこの詩が浮かんできた。

 こころはざわめき動き

 まもりがたく

 ととのえがたし

 されど智者はよくこれを正しくす

 いかだをつくるものが

 木をまっすぐにととのえて

 いかだを組むように

これは今から、二千五百年前のブッダの言葉だ。人の気持ちに今も昔もない。心をととのえるのに、ブッダも佐藤もない。ブッダだって苦しんだ果てに、すべての私心を離れてはじめて、心の安らぎを得た。人は誰だって、欲の固まりだ。別の言い方をすれば、人はいつも自分の心の奴隷だ。心とは、まさにやんちゃな子供のように、浮気で移り気で、つかみどころのない怪物だ。

ゴルフは、特に自分のいやな面が顔を出す競技だ。うまくいっているかと思うと、次には更に良いスコアーが頭にちらついて、欲が毒蛇のようにかま首をもたげる。そうなるとフォームが、がたがたに崩れ、まったく思うようにならなくなる。

球聖と言われるほどのゴルファー、ボビー・ジョーンズは、五十年ほど前の全英オープンにおいて、バンカーで腹を立てて、そのままアメリカに帰ってしまった。非難ごうごうのなか、彼はゴルフそのものを捨てた。それほど、心とはざわめき、まもりがたく、ととのえがたい怪物なのだ。

母の母国タイに行ったタイガー・ウッズも、カメラのシャッター音にこころを乱され、ミスショットをした。そこまではしかたない。その後が問題だ。彼はカメラマンをにらみ、ドライバーをバッグに、突き刺すように入れた。そして木の根本落ちた自分のボールを、木の皮をはぐほどの力を込めて打った。結果は、見事にバーデーだったが、もし木を打つことで、自分の手首が故障したら、どうするつもりだろう。樹木に対する思いやりも感じられないプレーは、これからのゴルフ界を、背負っていく人間としては決して褒められた態度ではなかった。

タイガー・ウッズが、どんなに天才かは知らない。しかし駄目になるときは簡単だ。己の心をととのえられないとき、彼もボビー・ジョーンズのようにならないとも限らない。

人に勝つ前に自分に克てる人こそ真の智者であり、勇者である。

こころをととのえよう。佐藤
 


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1997.2.17