緊張とゆとり

緊中緩(きんちゅうかん)の極意


 
 

忙中閑(ぼうちゅうかん)あり、という言葉がある。意味は、忙しい中にも、ひまな瞬間は見いだせるというほどの意味である。

戦国の武将たちは、戦に明け暮れて、いつ自分の首が敵の前にさらされるかもしれないような極度の緊張の中に身を置いていた。そこで武将たちは、わずかな一時を見つけては、小さな茶室に座して、お茶によって精神の緊張をとき、己を取り戻していたのである。これがまさに忙中閑あり、ということの始まりであった。

人はどんな緊張の中にあっても、自分というものを見失っては、いい仕事ができるはずはない。良い判断というものは、ゆとりから生まれるものである。そこで私は、緊中緩(きんちゅうかん)あり、という言葉を作ってみた。この言葉の意味は、緊張の中にこそ、ゆとりや余裕が必要だということである。

人は忙しい時にこそ、自分になりきるための一時を見いだすべきだ。もし緊張ばかりでゆとりの一瞬を見いだすことが、できないとすれば、その人間の肉体より先に、精神が緊張に耐えきれずに、参ってしまうに違いない。だからこそ、緊張の中には、緩(かん)が必要なのである。緩とは、本来、緩(ゆる)やかとか、のろい、という意味である。

最高の集中とは、精神の極度の緊張状態を指す。最高の集中ができてこそ、最善の判断や、最高の創造性というものが発揮できるはずだ。しかし最高の集中とは、緊張しすぎて、体が固くなってガチガチの状態になっていることではない。むしろ体も心も、リラックスしてグニャグニャになっているはずである。このグニャグニャな状態こそ緊中の緩(リラックスした集中)なのである。

最近スポーツの世界では、特に一流選手の中において、ここぞという時に、舌をだしながら、プレーすることが流行している。陸上のカール・スイスは、舌を出しながら、走ったり、跳んだりしている。またNBAのマイケル・ジョーダンも舌を出しながらシュートしたり、ドリブルをしている。また巨人のガルベス投手も、舌を出しながら投球しているのが、新聞に載っている。実はこれが緊中の緩である。彼らは意識して緊張の中にリラックスを作り出しているのである。

最新の運動生理学によれば、舌を出した方が、よりリラックスした集中ができるということは科学的にも証明されているらしい。リラックスした集中状態(緊中の緩)こそが、あのマイケル・ジョーダンの信じられないパフォーマンスの源泉だった訳だ。つまり彼らの舌だしプレーは、最新科学の、応用そのものなのである。

だからと言って、別にすべての人に舌を出して行動しろ、と言うつもりはない。そうではなく、人は、各自それぞれ、自分の集中方とリラックス方を考えておくべきだと言いたいだけである。例えばゴルフのグレッグ・ノーマンは、ティーショットの前に、必ず目をつむり、首を横にして、首を肩に乗せるような仕草をする。これがノーマン流の緊中の緩(リラックス集中法)なのである。

武士が茶室にて、緊張をとき、自分を取り戻すように、我々も忙中閑あり緊中緩あり、という言葉を噛みしめて、緊張の中でこそ、最高のリラックスした精神状態がつくれるようにしたいものだ。佐藤
 


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1997.6.23