キース・ジャレット・創造の秘密

 
どのようにして神の声を聴くか

永遠の言葉が語っていることをあなたの中で聴こうと思うならば、
まずあなたは完全に聴くことをやめなければならない。

(「シレジウス瞑想詩集」上 植田重雄・加藤智見訳 岩波 文庫 1992年刊)
佐藤弘弥
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ジャズピアニストのキース・ジャレットに「ソロ・コンサート」(1973 ECMレコード)という世界中に衝撃を与えたアルバムがあ る。このアルバムは、1973年、ヨーロッパのブレーメンとローザンヌでライブレコーディング録音されたピアノによる即興演奏である。当時、LP レコードで、三枚組での発売だったにもかかわらず、このアルバムは、ジャズファンだけではなく、クラシックファンまでが、キースの独特の感性とその音楽性 の高さに驚きの声を上げた。

周知のように、ジャズ音楽は、20世紀初頭、アメリカ南部のニューオリンズ周辺で、生まれた音楽である。この 新しい音楽のベースとなったのは、アフリカからアメリカに奴隷として連行されてきた黒人たちの民族色の強い音楽であった。そこに西洋音楽が融合 し、独特のリズムを持つデキシーランド・ジャズと呼ばれるような音楽が誕生した。その音楽は、あっという間に、シカゴやニューヨークといった大都市にも広 がっていって、デューク・エリントンやルイ・アームストロング、チャーリー・パーカーといったスターも誕生し、ジャズは世界中で演奏されるようになった。 ジャズの特徴は、 その即興性である。もちろん即興とはいっても、主題を決めて、その主題のメロディを楽器ごとに何小節という具合に自由に即興演奏を展開してゆくのである。

しかしこの「ソロ・コンサート」で、キース・ジャレットは、まったく主題のないまま、ピアノに向かい聴衆を圧 倒するような即興演奏を展開してみせた。ライナーによれば、ブレーメンでのコンサートの直前、キースは体調が思わしくなく、中止が発表されていたが、5時 間ほど前になって、キース本人から「どうしてもやりたい」という強い申し出があって、観客は、わずか200名ほどしか集まらなかった。とこ ろがいざ演奏が始まってみると、キースの表情は憑かれように一変し、感性の洪水のような凄まじい演奏となったのであった。

かつてクラシック音楽では、この手の演奏が盛んに行われていたらしい。こんな伝説的なエピソードがあるのをご 存じの人も多いはずだ。

ある日、モーツアルトが、若手の演奏家が即興で激しくピアノをかき鳴らすのを耳にして、その才能に驚き、「諸 君、これからはこのベートーベン君を注目しなさい」と言ったとか、言わないとか。

真偽のほどはともかく、当時は、即興演奏が普通だったと思われる。考えてみれば、バッハ(1685- 1750)の紡ぎ出した音楽の多くは、バッハ自身が即興的に演奏したそのままを譜面に起こしたような感じがする。モーツアルト(1756-1791)や ベートーベン(1770-1827)は、きっとパトロンの王族や貴族前で、キースジャレットのように、驚くべき集中力で、みずみずしい音楽をその場で作っ ては弾いていたであろう。

その小論のテーマは、キース・ジャレットの即興演奏(インプロヴィゼーション)を通して、創造という行為が、 どのようになされるかを考察することである。

私自身、何度か、キース・ジャレットの即興演奏をコンサート会場で直に聴いている。そこでいつも感じるのは、 とても静謐で神聖な気分に包まれるということだ。おそらくそれは、キース自身が、創造の神というものに祈りを捧げつつ、その神からの恩寵のようなものを受 け取りつつ演奏をしているからだと思われる。

つまりキースは、自分を巫女(シャーマン)的な媒体として、神の声としての音楽を聴き、それを己の五体を通し て、ピアノを弾くのである。

キースは、自分の音楽を語らない音楽家であるが、ソロコンサートのライナーノートに次のようなことを言ってい る。

「私は自分で創造できる人間とは思わない。しかし創造の道は、目指しているつもりである。私は創造の神を信じ る。事実このアルバムの演奏は、私という媒体を通じて、創造の神から届けられたものである。なし得る限り、俗塵の介入を防ぎ、純粋度を保ったつもりであ る。・・・」(「ソロ・コンサート」のライナーノートより)

普通、ジャズでも、クラシックでも、その日に、演奏する演目というものがある。演奏会には、演目を選び、その 曲目を何度も練習して、本番に備えるものだ。ところが、キースは、演奏の前には、「準備を調えないための時間が必要だ」というような非常に逆説的なことを 言った。これは面白い。準備をする時間ではなく、準備をしない時間が必要だ、というのだから。これは、心にたまった様々なものを、すべて真っ新にして、ひ たすら創造の神の声を聴くための準備である。その意味でも、キースは、音楽の神の神託を聴き、それを演奏する演奏家ということが言える。

神童と呼ばれたモーツアルトは、他人とわい談をしながら、一方では、自分の頭に聞こえてくる音楽を譜面に書き 取ったと言われている。確かにモーツアルトの創造した音楽の中には、とても人間世界では聴かれないような、メロディが淀みなく流れているものが多い。創造 の神あるいは音楽の神は、モーツアルトという人間を霊媒として、自らの声を人間に聴かせたのであろうか。

キースの音楽にも、きわめてそれに近いものがある。

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キースのソロ・コンサート会場は、普段のジャズの演奏会とは、少し違った独特の雰囲気がある。会場には、キースが、 今夜どんな演奏をするのか、という期待や張りつめた緊張が春の霞みのように立ちこめている。

めいめいの聴衆は、おそらくは「ソロ・コンサート」(1973年)や「ケルン・コンサート」(1974年)な どを聴いた上で、創造の瞬間を共有するつもりで坐っている。するとキースは、思いのほかにラフな格好でやってくる。華奢な体を前後に深く折り曲げて、聴衆 に会釈をすると、キースは、ピアノの前に静に腰を下ろす。そしてしばしの沈黙。キースは、トランス状態に入る霊媒のように、頭を下げ、神の声が聞こえてく るのをしばし待つ・・・。やがてゆっくりと両手が上がり、鍵盤に触れる。

キースの即興演奏の標準的な流れは、次のように展開される。
主題(メロディあるいはモチーフ)の探索→主題の発見→主題の展開→発展→絶頂→昇華→崩壊と混沌→新たな主題の発 見・・・。

主題がなかなか見つからず、キース自身が悪戦苦闘しているような時もある。いくら天才のキースでもいつもいつ も、創造の神の声が聞こえるわけではない。時には、インスピレーションが湧かず、鍵盤に当たり散らしているように聴こえる時もある。時には声を出し、足を 踏みならすこともある。

もうひとつ、キースには、ピアノに向かった瞬間に、完璧な構成が出来上がっているような演奏をする時がある。 「ケルン・コンサート」のアンコールなどは、まさにそんな感じなのだが、曲の主題といい、構成といい、あらかじめ、作曲していたのではないかと思うほど だ。

その夜のコンサートの良否は、良い感じの主題の発見できるかどうかにかかっているようだ。キースの演奏は、コ ンサート会場の周辺の景色や文化に影響を受ける。

1976年、キースは、日本を北海道から東京、名古屋、京都、大阪という具合にソロコンサートを快演し、「サ ンベア・コンサート」というタイトルのアルバムを発売した。LPレコードにして何と10枚組のアルバムだが、これはまさにキース・ジャレットという稀有な 芸術家がうち立てた金字塔ともいえる作品となった。

サンベアコンサートの演奏を丹念に聴いてみると、音の肌合いがまったく違うことに気付かされて驚かされる。北 海道では、さらさらと雪が舞い降りてくる中に白鳥が羽ばたいて飛んで行くような情景が脳裏に浮かんでくる。東京では、混沌から始まる。重くたれ込めた灰色 の雲が高層ビルの間から見えて、キースの心を憂鬱が支配している。そんな感じがする。キースは、その心を隠さずに、神との対話を始める。すると神は、少し ずつ、キースに語り掛ける。その度に心に深く覆い被さっていた憂鬱な雲が、キースの心から取り払われて、本来の空が、見え始める。キースは、これだと思い 始める。浮かばなかった主題が、一瞬で浮かぶ。キースは、次第に神懸かり、創造の神の化身となって、キースのピアノは天かける天馬のように自在なフレーズ を奏で始める。

一転、名古屋では、初めから、完璧な主題があふれ出るように溢れているような演奏になる。これはすべて、その 時、その場所の空気などが、キースの心のあり方に影響を与えて、様々な彩りを持つ演奏として昇華してしまうのであろう。悪戦苦闘しながら、主題を探し求め るキースもまたいい。簡単に、崇高で荘厳な演奏が出来るとしたら、それは創造の神そのものに成りきることになる。キースは、その苦悩を隠さない。実に人間 的だ。この人間としてのキースの演奏が素晴らしい。芸術とか、芸術が醸し出す美だとかは、本来、創造の神が、キース・ジャレットのような天才芸術家をし て、自己の意志を表現するものかもしれない。しかし私は、芸術家個人の人間的苦悩を垣間見ることができるからこそ、芸術は芸術としての価値を持つと思うの である。

あの淀みない神の恩寵そのものの如き音楽を作り続けたモーツアルトも晩年では、非常に暗鬱で、悲しげな人間味 溢れる音楽を発表しだした。交響曲40番の旋律の儚さは、他にたとえようなないほど悲しく響いてくる。レクイエムの重苦しい旋律からは、死というものを意 識した神童の恐怖感がひしひしと伝わってきて、戦慄を覚える。モーツアルトの芸術は、神との対話から発して、最後には、自己の人間的苦悩や恐怖心までも、 旋律にして遺したからこそ偉大な人類の遺産となった。つまりモーツアルト自身の人生への苦悩が作品に陰翳を生み、聴衆の心に強い感動を呼び起こすのであ る。

キースの場合も、創造の神の単なる代弁者としての霊媒や巫女的なレベルを越えて自己の魂の叫びとして音楽を芸 術として昇華しているからこそ、あのように聴く者の心を魅惑し圧倒するような美しい演奏ができるのであろう。

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かつてジャズ評論家の油井正一氏が、キースの即興演奏を評して、一度指が覚えた経験的なモチーフがでることはないの か、という趣旨の発言を行ったことがある。絶賛の渦の中での発言だけに、辛口の油井氏ならではの見識ある発言だと思う。

しかし私は、キースを擁護する立場からではなく、純粋に人間が創り出す「芸術」というものの性格の側面から、 油井氏の発言を否定する立場を取りたい。

キースの即興演奏(インプロヴィゼーション)を一言で表するならば、それは「創造の神との対話という加入儀礼 (イニシエーション)を通じて行われる音楽的昇華」ということができよう。この場合の「昇華」とは、自己の内面の思考や苦悩、そしてなによりも音楽的経験 の「消化」である。

例えば、ここに一粒の蓮の種があるとしよう。蓮の種というものが、どのくらいの大きさで、どんな形状をしてい るか、知る人は少ない。というより興味がない。多くの人は、美しい蓮の花ばかりを賞賛する。それはそうだ。大輪の蓮の花の刹那の美しさは喩えようもない。 小砂利を大きくしたような蓮の種を美しいという人はいない。また寒い冬を泥にまみれて、堪え忍びながら、夏の日をじっと待つ蓮の種の命の営みを誰も知らな い。でも、芸術とは、そんなものだ。種は芸術ではない。花となり作品となってこその芸術だ。

キースの即興演奏には、聴衆を圧倒する華がある。この華は、キースが、二度と同じ演奏はしないという強い信念 の中で実現される強靱な精神性から来るものだと私は思う。確かに、油井氏の言い分は分かる。キース自身、演奏をしながらでも、どこかに非常に醒めた感覚と いうものがあって、ふと、何気なく弾いたフレーズが、どこかのコンサートで聴いた音楽に近いと気付いたとする。また、あるいはモーツアルトやショパンや シューベルトが作曲した楽曲に似ているかもしれないと感じたとする。その瞬間、キースの音楽的な良心(あるいは信念)というものが、そのフレーズを別のモ チーフに変換しつつ演奏を展開してゆくのである。これはキースがソロ・コンサートを始めた時からの創造の神との約束なのである。

創造活動を継続することは厳しい道のりだ。それは人生にも似ている。同じフレーズが浮かぶものならば、キース の芸術的理性が、指がかつて経験したように鍵盤を走るのを抑制する。だからいつもキースの演奏会には、目的地に着くまでには、どうしても避けて通れない薄 い氷の張った氷湖の上を抜き足差し足で歩いて渡る旅人の心境にも似た緊張感が漂う。

キースは、先に引用した発言の中で、「私は、芸術というものを信じない。その意味で私は芸術家ではない」(I don't believe in "ART".In that sense I am not an artist.)と、言った。

またその後に続いて、「(しかし)私は、音楽を信じる。我々がここに存在した以前の広がりへ続く。その意味で 私は音楽家ではない」(I believe in music to the extent that it was here before we were.In that sense I am not an musician.)とも語った。

いささか禅問答のように聞こえるが、私は、これの言葉をキースの謙遜の言葉と捉えたい。謙遜を通じて、キース は、過去の音楽への繋がりを信じている。それはキースの心の中で、過去のモーツアルトやショパンが創造した素晴らしい音楽的な伝統が、「音楽の種子」とし て存在し、その種子の内的発展を通じて、キース自身が、今この時点でまったく新しい音楽として紡ぎ出す音楽のことを指している。その意味で、我々は、キー スの音楽に、どこか不思議な懐かしさのようなものを感じ、ノスタルジックな気分に浸る瞬間を経験するのかもしれない。

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キース・ジャレットに「チャンヂィレス(Changeless)」(ECM 1989)というアルバムがある。この アルバムは、1987年10月に行ったアメリカ公演ツアーでの録音であるが、ベースにゲーリー・ピーコック、ドラムスにジャック・デジョネットというトリ オの演奏だ。このトリオは、現代最高のピアノトリオと呼ばれ、ジャズのスタンダード演奏を行うことから「スタンダーズ」と呼ばれて親しまれているが、この アルバムの内容は、すべてキースのオリジナルで、哲学色の濃い作品に仕上がっている。

全体としては、トリオによる演奏だが、ほとんど、キースの即興演奏(インプロヴィゼーション)に、ゲーリー・ ピーコックとジャック・デジョネットがそれぞれの感性で感応し曲が構成されている。言うならば、ピアノトリオでのインプロヴィゼーションなのである。

アルバムジャケットには、禅の円相で有名な「○」の字が、薄いわさび色の地に、ポツンと描かれている。みる と、この字は、南画で有名な直原玉青(じきはら ぎょくせい:1904-)の筆とのことだ。

アルバムタイトルの「Changeless」とは、一定とか、変化のない、不変というような訳が適当かと思う が、キースは、このアルバムに、禅の覚りの境地である「円相」をもって、全体のコンセプトにしている。

滅多に、自分の音楽を語らないキースだが、このアルバムには、長文のメッセージを寄せ、最後の部分ではこのよ うな謎めいた言葉を発している。

『ひとつの真実が一時的な場合、私たちはみなその真実に到着する過程に用心するべきだ。「チャンヂィレス (Changeless)」(不変のもの)とは、私たちが本当に備えているすべてだ。(When a truth is temporary we should all beware of the process of arriving at that truth .The changeless is all we really have.)』

このキースの言葉を念頭に置きながら、キースの音楽的創造の秘密に迫ってみよう。

さてこのアルバムの2曲目に、文字通り、「エンドレス(Endless)」という曲がある。この曲を聴きなが ら、例の「円相」のことを考えた。禅のこころを伝える図として「十牛図」というものがある。十牛図とは、中国北宋の時代に、考えられた禅の教えをやさしく 説く10枚のの図のことである。なかでも廓庵禅師(かくあんぜんじ)という僧が描いたものが有名だ。

「○」の「円相」は、その八番目の図にあたる。算用数字の「8」を横にすると「∞」という字になり、エンドレ ス(∞)を意味する。この「○」を十牛図では「人牛倶忘」(じんぎゅうくぼう)と言う。これは禅において悟りの境地を指すといわれ体験で求められる究極の 境地とされる。しかしこの境地は、絶対的な無というような否定的な境地をいうのではなく、創造活動の根源となる境地と考えられている。

私はキースの即興演奏の流れを先にこのように言った。

「主題(メロディあるいはモチーフ)の探索→主題の発見→主題の展開→発展→絶頂→昇華→崩壊と混沌→新たな 主題の発見・・・。」

この流れは、十牛図の流れと極めて似ている。

十牛図の流れを、次に説明する。
1牛を探す(尋牛)→2足跡をみつける(見跡)→3牛を見つける(見牛)→4牛を掴まえる(得牛)→5牛を飼い慣ら す(牧牛)→6牛に乗ってわが家へ帰る(騎牛帰家)→7牛を忘れてわが家に居る(忘牛存人)→8○(人牛倶忘)→9人も牛もいない心に春の花が咲き乱れる (返本還源)→10街で楽しく遊ぶ(入てん垂手)

この牛とは、キースの場合は、主題のモチーフのことになる。モチーフというを見つけ、飼い慣らし、意気揚々 と、自分の心という家に帰る。そしてそのモチーフをすべて捨て去って、また新しいモチーフを探す。この一連の過程が、実によく、キースのインプロヴィゼー ションの流れと似ている。

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十牛図における「牛」とは、何であろう。「牛」とは、人が求めるものである。人が「牛」を探そうという気持ち になる。これを仏教では、「発心」(ほっしん)あるいは「発願」(ほつがん)する、という。ともかく、十牛図において若者は、牛を探すという意思をもって 荒野に向かう。禅的に言えば、この過程は、自己の内部への自己発見の旅である。

「牛」とは、己の心の中にあって、心定まらぬものである。それを見つけ、それを自分の力で飼い慣らし、己の心 という牧場に放った時、牛は消えて、自己と一体になって「牛は消え、心はまっさらの「○」となる。だから「○」は、悟った者の心の有り様を指す。これを 「悟り 」という。

「悟り」を英語で言えば、「Enlightenment」である。この言葉を分解すれば、「En」- 「Light」「En」-「Ment」となる。「En」は、接頭語で、「Lighten」(明るくする。照らす)という動詞に付いて、そこに状態を表す接 尾語の「Ment」が付いて、「Enlightenment」(悟り)となったのである。

こうして、英語圏に広まった語としての「悟り」は、意識を自己の内に集中させて照らすことである。さらに分か り易く言えば、自己の心に光を当てて視る、といった意味になる。世界的な禅の大家である鈴木大拙博士(1870ー1966)は、この悟りを、明確に「自己 実現」(Self-realization) であると言っておられる。つまり、ブッダの自己実現の経験を教えとして、発展させたのが、禅の仏教なのである。

禅における「悟り」は、直観でもたらされるひとつの「アイデア」である。はっと、気付く、ふとした拍子に、心 にアイデアが浮かぶ。しかし何もしないで、アイデアが浮かぶのではない。発心をするから浮かぶのである。ニュートンが、リンゴが木から落ちるのを見て、万 有引力の法則を発見したのは有名な話だ。これも禅的に言えば、「悟り」である。何故、リンゴが落ちるということが、ヒントになったかと言えば、ニュートン は、常日頃から、モノが下に落ちるということに何らかの、力が働いていると考えていたからだ。「求めよされば与えられん」ということは、新訳聖書の有名な 言葉だが、悟りは、それを求めている人にのみもたらされる感覚である。

鈴木大拙博士は、アメリカのプリンストン大学で、「SATORI]と題した記念講演をなさったそうである。そ の時、博士は、こんなことを言われたそうだ。

「諸君よ、その時、わたしは、菩提樹のもとに坐しておられた釈尊の頭のなかを、その真上から眺めてみたことが あるのです。そうすると、釈尊の頭のなかには、ただ一つ大きなクエスチョン・マークの疑問符が見えておりました」

実に深い言葉だ。単純に判断すれば、悟り(知る)というのに、クエスチョン・マーク(?)が浮かんだ、という のは、一見、自己矛盾のように聞こえる。しかしよく考えてみれば、「悟り」というのは、単純に何かを「知る」ということと同じではなく、ふっとアイデアが 直観的に脳裏に浮かぶことを指すのだから、やはり「?」マークで良いのである。

これをニュートンの万有引力の発見で見てみれば、よく分かる。つまり、ニュートンは、このリンゴが落ちる力の 源に何があるかというアイデア(?)を発見したのであり、何も、万有引力の法則そのもののすべてが浮かんだ訳ではない。このアイデアは、キースの即興演奏 のモチーフにもよく似たものである。ニュートンは、それから、彼特有の粘着質な性格を駆使して、綿密な証明に取りかかるのである。つまり直観によってもた らされたアイデアは、思惟によって、名高い万有引力の法則として結実したのである。

ブッダは、その後、菩提樹の後で、自分がついに「悟り」に至ったことを悦び、わくわくしながら、その「悟り」 のクエスチョンを解いて行ったのである。これはニュートンの法則の証明に当たる。そしてブッダは、かつての修行仲間に、自分が達した人の一生の秘密(苦の 構造)を説きに向かうのである。

キースが即興演奏している時の頭の中を上から見れば、やはり、音楽のモチーフが、ふとクエスチョン(?)のよ うにして浮かんでいるのであろうか。その直感的に浮かんだ音楽的モチーフを、丁寧に丁寧に、展開して起承転結をつける。そして仕上がった作品が、今日我々 が聴いている一連のソロ・コンサートのアルバムということになる。


キース・ジャレットのソロコンサートを聴いていて、感じるのは、「癒し」や「美しい」といった単純な感慨ではない。 彼の紡ぎ出す音には、強烈にこちらの魂に働きかけてくる何かがある。一言でいえば、彼の音楽は、道ばたにあって、馬に喰われても、文句も言わず、健気に咲 いている弱い花ではない。それは、その花を食べるようとする馬をも躊躇させるような強烈なトゲをもった大輪の薔薇の趣がある。

かつて、何気なく入った喫茶店で、キースのソロコンサートのような音楽が聞こえて来て、一瞬キースか、と思っ たことがある。でも、どうも違う。何か訴えるものがないのだ。結局、「ウインダムヒル」のジョージ・ウィンストンというピアニストの曲だと知った。誤解を 恐れずに言えば、ウィンダムヒル・レーベルの音楽は、キースの音楽の聴きやすい部分だけを抜き取ったような音楽である。これは、音楽というものに、癒し (ヒーリング)というものを求めている層が確実に存在していて、彼らがこのレーベルの存立を支えているからであろう。

キースのソロ音楽の特徴は、今まさに弾こうとしている一音一音に全神経を集中しているところにある。聴く者の 心を揺さぶるのは、その集中から来る緊張感のためであろうか。芸術というものは、単なる美しいだけの華ではない。それは時には、耳障りとまでは行かない が、聴きづらいような箇所も含めた総体なのである。少なくても私は、キースの音楽に、単なる心地良さを求めているのではない。私はキースの音楽に創造性へ の強靱な意思や天才というものをこの世に送る神の存在を感じることができるからこそ聴いている。

ところで、クラシックの場合、譜面がまずはじめにある。演奏家は、その音符の一音一音を、作曲者が、どのよう な思考をもって、創作したかということを考えながらステージであるいはアルバムで再現するのである。私が思うに、最良のクラシックの演奏家というものは、 作曲者が、創作した瞬間の感動をそのまま伝えられる音楽家のことである。

かつて、キースの音楽とクラシックの音楽を比較してみたことがあった。その結果思ったことは、時間に対する関 わりの違いを強く思った。おそらく、かつてクラシックの世界でも、即興演奏というものが、普通だった頃、バッハやモーツアルトやベートーベンは、それこ そ、現在のキースのソロコンサートをを凌ぐような凄まじい即興演奏を披露して、聴衆を感動の渦に巻き込んだことだろう。あるいは、その中で、特に人気の あったものが、彼らのピアノソナタの原型になったかもしれない。

実際にその創造の場に立ち会った人から見れば、その後、彼らによって譜面に起こした作品を、改めて別の演奏家 によって、聴いた時、ちょっと違うぞ、ということを思ったに違いない。

クラシックの世界にグレン・グールド(1932-1982:カナダ・トロント生まれ)という伝説的なピアニス トがいる。彼は、よくキースとも比較される天才的なピアニストだが、その音に対するこだわりは、想像を超えている。まず楽譜に対する研究が凄い。音楽家の 創作意図を深く分析し、演奏では、その音楽が誕生した瞬間を思わせる瑞々しさを醸し出す。音楽を聴いていると、この音楽は、今まさに創造されているのでは ないかという感じさえしてくる。

例えばベートーベンのピアノソナタ解釈でも、少しテンポが遅かったり、逆に早かったりする。そこには、グール ド独特の、楽曲分析に基づいた天才的な閃きがある。その演奏を聴いていると、時には、躊躇しながら、モチーフを探しているキースのような感じで弾いている 時がある。また演奏中にうめき声のようなものを発し、これもキースと似ているのだが、一旦、モチーフを発見したとみるや、圧倒的な早弾きで、怒濤のような 演奏をする。この部分も似ている。グールドの指は、まるで重力の法則に拘束されない「UFO」のように、縦横無尽に鍵盤の上を指が飛び回る。この凄まじさ はキースも敵わない気がするのだ。モーツアルトやベートーベンのような作曲家も、譜面に向かって、即興的に、曲を構築しているのである。それをグールド は、よく知っていて、作曲家が、心の有り様を、受けながら、再現して見せてくれるのである。

我々がキースのソロコンサートを聴いている時、結局、我々は、創造の瞬間そのものに立ち会っていることにな る。キースは、こうして、ジャズ音楽の可能性を、究極まで突き詰めたのである。その後、キースは、彼のソロコンサートの全てを譜面化することを許可した。 何十年かすれば、我々の子供達は、キース・ジャレットを20世紀の後半の作曲家として認識し、「ケルン・コンサートパート?」や「サンベア・コンサート・ トウキョウパート?」などというタイトルで、別の演奏家のピアノを聴くことになるかもしれない。


1973年7月12日のブレーメンで演奏した「ソロ・コンサート」では、体調がすこぶる悪く中止するはずだったとい うことは有名な話だ。

「キース・ジャレット 人と音楽」(音楽の友社 1992年 蓑田洋子訳)のイアン・カーの話によれば、とて もコンサートをこなせる状態ではなかったようだ。
「背中の持病が再発して悪化して、ツアーはこの時期悪夢と化した。・・・この持病の発端はジャレットが二十才の時に さかのぼるようである。彼はどうやっても発進しない車を押しているうちに、背中を傷めてしまったのであった。・・・彼はそのソロ・ツアーの間中、・・・コ ルセットを身につけていた・・・鎮痛剤を飲まなければならず、・・・ホテルに送ってもらうと、食事の時間には、ルームサービスを取るか、よろよろしながら レストランに降りていき、コンサートの時間が来ると、会場に連れて行ってもらってコンサートを行い、またホテルのベッドに逆戻りする・・・」(前掲書)

特に、ブレーメンでの時には、体調が最悪で、キース自身、こんな風に証言している。
「ぼくはディナーに行き、痛み止めを何錠か呑んだ。・・・演奏をしには行ったが、どうなるのか見当もつかなかった。 ぼくはある特定の動きをしないようにということだけしか、注意が集中できなかったからだ。・・・そうしていないと、うっかり動きかけてはたちまち、またあ の激しい痛みに襲われた・・・いや、とんでもない!だからぼくは音楽がどうだったか覚えていなかった。ぼくが覚えているのは、その時なんとか演奏したとい うことだけだ」(前掲書)

キースのソロ演奏の最高傑作と評価されているのが「ケルン・コンサート」(1975年1月24日)だが、その 時にも、体調は万全ではなかったようだ。実は、前日ローザンヌから、車で移動したのだが、二十四時間眠っていなかったようだ。キースは、演奏会場で、実際 に眠りかけたようだ。
「ぼくはステージに出ていったときのことを覚えている。そしてこれがおそらく重要な点なのだが、ぼくは本当に眠りか けていた。腰をおろすだけでよかった。ぼくは、本当に寝てしまわないまでも、うとうとし始め、意識がぼんやりし始めた。・・・ぼくはもう、ピアノの前に 行って演奏するんだ。ほかのことなっっか、もうどうにでもなれ!」(前掲書)

おまけに会場に運び込まれたピアノ(ベーゼンドルファー)の調子もいまいちだった。ピアノの高音域が安っぽい 音がするため、中音域を多く使うような演奏になった。キースは、体調もそうだが、楽器の音の制約を受けながら、あのような世紀の名演と言われるような即興 演奏を成し遂げたことになる。
 


私は、ここで、キースの集中力がいかに凄いか、優れているか、などということを論じるつもりは毛頭ない。キース・ ジャレットというピアニストが、すこぶる体調の悪い中で、人々の心に残る素晴らしい演奏をしたということに興味がある。その理由は、優れた創作行為におい て、意識のあり方をどこに置くべきか、ということを解明するのに、多くの示唆を与えてくれると思うからである。つまりキースの音楽の創作の根本に迫りたい のだ。

私は、優れた芸術作品というものは、顕在意識よりも潜在意識とのネットワーキングによって創られるのではない かという見解を持っている。優れた創造行為は、顕在意識と潜在意識の良好なバランスによって決まる。それはいうならば、綱引きのようなものだ。この綱引き に勝つコツは、顕在意識には、あまり働かせず、潜在意識をうまく活用することだ。多くの場合、いつもは眠っているこの潜在意識に任せた方がより良い結果が 出る。インスピレーション(霊感)という言葉がある。インスピレーションは、創造行為の源泉であるが、それは意識の内部からやってくる。

CG・ユング(1875-1961)は、心の構造を研究し、人間の心には、決して意識化され得ない意識領域が あることを語った。それは潜在意識の奥にあって、集合的無意識という言葉で表される。時に個人の夢には、この集合的な無意識の次元からやってくる。そこで ユングは夢の研究などを通して、この集合的な無意識が、様々なパターンや彩りをもって、個人の夢や、民族の神話に反映することがあることを明らかにした。 個人の顕在意識は、実は氷山の一角で、人間は、その下に巨大な意識の固まりが眠っていることを忘れている。

我々の多く夢は、大概、個人のつまらない欲や願望の充足としてあるものだが、時々、何であんな夢を見てしまっ たのだろう、と思うことがある。例えば、天まで届くような白い尾根が目前に見えたり、白い鯨が、透き通るような青い海を泳いでいて、白い潮を吹く姿を見 て、目覚めると泣いていた、とか。まったく意識もしていないような印象的な夢が顕れることがある。

おそらく、キースのブレーメンとケルンでのコンサートの成功の影には、この集合的無意識からのインスピレー ションが決定的な役割を果たしていたと思われる。何もキースに限らず、体調がいい時というものは、よい演奏をしてやろうと、気負いが出る。そうすると、集 合的無意識など活用できなくなる。先のふたつのコンサートは、確かに創造の神からの贈り物のようだ。それはキース自身の体調が悪いという偶然もあって、顕 在意識の働きが弱くなり、意識を別次元に移行することによって、集合的な無意識からのインスピレーションが働き、あのような瑞々しい名演奏が生まれたので あろう。
 


キース・ジャレットが、20才の頃から、ギリシャ正教の宗教家G・I・グルジェフ(1877ころ-1949)に傾倒 していた のは有名な話だ。

グルジェフは、アルメニア生まれの宗教家であり、ドイツのルドルフ・シュタイナー(1961-1925)と並 び称される20世紀を代表する神秘主義思想家 である。その思想の骨子は、通常、人間本来の意識というものは、眠っている状態に置かれている。習慣に縛られ、その状態を覚醒と思い込んでいる。人間の本 質にある意識に目覚めるためには、何事にも激しい願望を持って、意識的(自発的)に行うことが必要である。そのことによって、人間は真の自我、真の自己に 覚醒することが叶うというものだ。彼の信奉者には、建築家のフランク・ロイド・ライト(1867-1959)や小説家のDH・ロレンス(1885- 1930)、演出家のP・ブルック(1925-)などがいる。

若いキースは、グルジェフ体験を通して、自己の内面にある本来の自分というものを強く意識するようになった。 キースの音楽の、深い精神性は、おそらくこの グルジェフの思想体験から来ていると思われる。しかし私が考えるに、キースとグルジェフの関係は、師と弟子という結びつきというよりは、一定の距離をもっ た関係のように思われる。私はこの関係の中に、キースの強い自己というものを感じる。

とかく、現代人は、新興宗教というものに、妄信的になりがちだが、キースの自己は、たとえ大思想家グルジェフ といえども、強烈な冷静さで眺めているところ がある。言うならばキースは、グルジェフの思想を音楽を通して自己化しているのである。

キースは、1980年に、グルジェフの創作したピアノ曲を、「祈り−グルジェフの世界」(原題「SACRED HYMNS」=聖なる賛美歌 ECM)として発表した。この作品は、正確に言えば、グルジェフの弟子のピアニストが、グルジェフがアジアや中東各地の修道 院を巡り蒐集し、口ずさんでいた聖歌のメロディを、譜面化した作品群である。

私自身、このキースのアルバムを、はじめて聴いた時には、ショックだった。これがあのソロコンサートを行う キースかと思うほど、強烈に内省的で何よりも陰 鬱なのだ。キースは、おそらく楽譜そのものを忠実に再現しているのだろう。(キースは、クラッシックの録音でもそうだが、ジャズピアニストキースというも のを、こういう場合一切出さない頑固さがある。)はっきり言って聴きづらい。というよりも、心が締め付けられ重たくなるような気がしてくる。ブラックホー ルのような深い魂の深淵を垣間見た感じで怖い。これでは「音楽」ではなく、「音苦」だ、そんなことを言う人間もいるかもしれないほどだ・・・。

考えてみれば、これがグルジェフの思想そのものである。きっと、天国に居るグルジェフは、「音苦」だという人 間の姿を見ながら、「人が目覚めるためには、 ショックが必要だ。心地よいものだけが、音楽ではない。心地悪さがあって、人は心地良さを知る。習慣を越えて自覚せよ」と説くかもしれない。つまり彼の音 楽は、通常のキースという音楽家に対する固定概念を打ち破るメッセージを持っているということだ。キースは、この宗教家の作品を録音した後、その譜面は、 直ちにグルジェフの協会へ返してしまったという。

すなわちこのアルバムは、キースにとって、グルジェフに対する感謝の「祈り」そのものである。それは、明らか にコンサートで、聴衆に聴かせるような音楽で はない。しかしキースの内部では、このような真摯な思想的な葛藤があって、はじめて我々を訳もなく魅了して止まない一連の即興演奏が誕生したのであろう。

およそ、神代の時代から、人は、神への感謝を捧げるために「音楽」を奏でてきた。つまり本来、「音楽」は、神 への感謝あるいは神との対話という本質を持っ ていた。それがいつしか、音を楽しむと書いて「音楽」となり、音楽は、娯楽と誤解されることになったのである。

キースのソロコンサートの音楽における奇妙な懐かしさは、キースが、「音楽」本来の持っていた「神への祈り」 という本質を我々の魂に思い出させてくれるか らかもしれない。
 

10
キース・ジャレットの最新作は、ソロではなくトリオの演奏で、「去年(2003年)に発売された「アップ・フォー・ イット」(日本語にすれば、「その・ために・上がる」)である。このアルバムの副題は、「The Triumph Desire」。日本語にすれば、「願うことの勝利」ということになる。

このアルバムはライブ演奏で、2002年7月、ヨーロッパを襲った千年に一度といわれるような大雨の降り続く フランスコートダジュールで行われたものである。当日は、雨が激しくてとてもコンサートを実行できる状況ではなかった。散々悩んだ末に、キースが最終的 に、「よし、やろう。」と決断をしたらしい。雨はますます強くなる。ステージは、水浸しの状況となり、不安の中で「If I Were A Bell」の演奏が始まった。

キースは、その瞬間に、別の次元にいて、もはや不安も天候もどうでもよくなってしまった。ただ音楽を奏でると いうことだけが目的となって眼前にあった。キースだけではない。大手術を終えたばかりのベーシストのゲーリー・ピーコックは、体調の不安もあって、コン サートには、消極的だったにも関わらず、演奏が始まった途端に、トリップしたようになった。ドラムスのジャック・デジョネットも加わって三人の演奏は、神 懸かりの様相となった。

2曲目は、オリバーネルソンが作曲した「Butch & Butch」というアップテンポの曲だ。この演奏での三人の集中力は異常なほどで、雨の中で見ている聴衆は、ただ呆気に取られて三人の演奏に聴き惚れてい る様子が、録音の端々からも伺える。

キースの決断は、正しかった。天候もなんとか持って、コンサートは大盛況のうちに終えた。キースの演奏したい という思いが、豪雨を打ち負かした瞬間だった。まさにキースは、アルバムタイトルの通り、「音楽の・ために・ステージに上がり」、「願い」は叶えられたの である。副題の「The Triumph Desire」(願うことの勝利)はここから付されたものであろう。

キースは、このアルバムのライナー・ノーツに、こんなことを書いている。

「これを2003年2月に書いている。(中略)僕たちの国は、イラクとの戦争に突き進んでいる。今や世界は目 立って詩的感性が欠如しているかに見える。その結果、世界はこれ以上喜びや超越性というものが育ち辛い世となってしまった。(中略)若者は内面を見詰める という自身の仕事を忘れ、金と名声だけがすべての動機となってしまった。この世界に対する誠実さとはいったい何か?その意味とは?何故、音を紡ぎ出すの か?創りあげたものの違いとは何か。(佐藤訳)」

これを読む限り、このコンサートの「勝利」を、暗喩(メタファー)として、より積極的に捉えているようにも見 える。キースは、凄まじい豪雨の中でも、天に思いが通じてコンサートが成功裏に終わったように、世界の人々にも、世の中の現実を、詩的な感性をもって見つ め、どのような世界を創るべきか、真剣に考えるべきではないのか?というより積極的な世界へのメッセージを送っているのではないだろうか。

キースは、世界の人々に向けて、願うこと(Desire)の大切さを上げる。この願いとは、叶えられたらいい な、というような軽い次元の願いではない。もっと強い強い強烈な思いだ。それをキースは、かつてこのように語っている。

『「欲する」というのが単なる「欲望」ということを意味するという次元を抜け出したいんだ。単なる「欲望」と は違うんだ。「どう猛さ」というのは、「欲望」よりも基本的な次元にある。(I'm trying to ge out of this thing where want means something leke desire.Idon't mean desire. Ferocious is too Fast for desire.)』(「インナービューズ キース・ジャレット その内なる世界を語る」山下邦彦 ティモシー・ヒル:編訳 太田出版2001年刊)

この後にキースは、喩えとして、マイルスのトランペットの音色に言及し、他の人間が吹くと単なる弱い音でしか ないのに、マイルスがソフトに吹くと、そこにどん欲的(ferociousness)な音を感じると言っている。この英語の「ferocious」は、ど う猛という他に、凶暴なとか、残忍なとか、激しいといった訳に該当する情動的で動物的な感情の昂揚を意味する言葉である。

キースは、自分の音楽のキーワードとして、この「ferocious」を常に意識している。彼が自己の音楽観 を余すことなく語った「インナービューズ」の第一章は、「ferocious longing」(どう猛な欲望あるいは願望)というタイトルから始まる。

キースの即興演奏のスタイルもまたこの内なる「ferocious longing」から生まれたものであ る。これを私は、禅の教えをやさしく説いた十牛図に喩えて「牛」を探す行為と対比して説明した。牛を求めるという行為が、どれほど強いか、これがキースの 即興演奏のベースに流れていた秘密であった。

キースの音楽性と即興演奏に関して、何だかんだと難しいことを言ってきたが、要するに、キースは、音楽を奏で るということに人一倍どん欲な音楽家であったということが言えるであろう。また演奏するということに対して、誰よりも本気で取り組んでいるということにも なる。音楽は、彼にとって目的ではなく、本来の自己という辿り着くための手段に他ならない。それは丁度、ブッダが、「私の説く教えなどというものは、彼岸 に辿り着くための筏に過ぎず、そこに辿り着いたらもはや必要ないものだ。」と語ったのと似ている。私は、キースの音楽の創造の過程をつぶさに見ながら、彼 から素晴らしい音楽という他に、本来の自己へ辿り着く方法を学んだ気がした。了
 

あとがき

ポータブル・ミュージックプレイヤー「iポッド」に刺激されて、キース・ジャレットの即興演奏を追ってきた。 自分のCDの棚に眠っていたアルバムを、iポッドに入れて持ち歩くと、過去に聴いた音楽のすべてが、いつでも再現される。これは凄いことだ。

かつて、感動をもって聴いたキース・ジャレットの音楽が、iポッドを購入したことで蘇った。そこで改めてキー ス・ジャレットという天才について考えてみた。すると、その即興演奏の奥に、生命と言ったらいいのか、あるいは宇宙の営みと呼ぶべきか、そうした遠い過去 からの記憶のようなものが音となって昇華していることを強く感じた。キースは、その過去からの生命の記憶のようなものとネットワークできる稀有なアーチス トである。

私たちは、普段教育というもので学んだ小さな世界を「宇宙」だと思っている。だが、実は、そんなものは宇宙で もなんでもなく、人間の理性的思考の限界である科学というものが辿り着いた局所的な一視点に過ぎないのではないだろうか。それは、iポッドという器の中に キース・ジャレットという記憶が入った瞬間に、突然私の中に湧いてきた直観であった。iポッドを手にしながら、様々なCDを記憶させた時、「iポッド」そ のものが、人間のDNAか脳のようだ、とも思った。

ところで人間は、自身のDNAの解読を終えた。しかし解読とは言っても、塩基の配列を知り得たに過ぎない。知 りたいのは、その配列が「意味」する「生命の歴史」そのものなのだ。それは丁度、エジプトのロゼッタストーンが、ナポレオンによって、発見された時と同じ 状況にあり、解読はこれからということになる。おそらく、その配列には、生命が、この地上に現れて、未知のウイルスと戦い、この地球の環境に適合するため に、創意工夫してきた歴史がくまなく書き込まれているに違いない。

難病と言われて久しいガンがある。また新たにエイズ、サーズという病が、人類の生存を脅かしている。しかし DNA解読の過程で、それらについての決定的な治療法も見つかるだろう。むしろそれは時間の問題と言っていいかもしれない。

キースの音楽を聴きたい時、iポッドでは、ファンクションから、Kの字を探し、「Keith」でみれば、すぐ にお目当ての、曲を探すことが可能になる。同じように、DNAの配列から、過去の似たウイルスと戦った記憶があれば、それがガンやエイズやサーズの治療法 のヒントになり、新薬の合成も、タンパク質のレベルで可能になるだろう。

iポッドのもたらしたインスピレーションが、単なる音楽革命に終わることなく、様々な発想の転換と人間の創造 性の根源に関わる研究の始まりを告げることになるかもしれない。そんなことを本気で思っている。



2004.2.23
2004.3.01 Hsato

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