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今日は七夕である。 何気なくニュースを見ていると、子供の書いた七夕様の短尺出てきて、そこに次のような言葉が書かれてあった。 “おじい様が、いつまでも幸せで居られますように。” なぜかこの言葉をとても新鮮に感じてしまった。こんなきれいな日本語を使える子もいるんだなと感心したのだ。近頃、おじい様などと尊敬を込めて年寄りを呼ぶ子供などいるのだろうか。彼らの多くは、じいさんやじじいという言い方しか知らないと思っていた。 最近のテレビで話される日本語を聞いて、日本語をきれいな言葉だなと感じる人はいないだろう。ドラマにしてもバラエテイ―にしても、とにかく下品極まりない。NHKのアナウンサーの言葉すらもはや日本語本来の言葉の美しさは感じられない。 意外なことに、昨日のテレビでオノ・ヨーコ(ジョン・レノンの妻)の言葉を聞いて、これこそ日本語だと感じた。敬語の使い方が自然で美しいのだ。日本語の日本語たるゆえんは敬語の使い方にある。敬語とは相手を思いやる言葉使いのことだ。例えば日本語ではお父様
日本語の敬語表現には、尊敬語、丁寧語、謙譲語などの区別が明確にあり、かつての日本人は、言葉使いについて、学校というよりは、むしろ家庭によってシツケられたのである。オノ・ヨーコの家庭は旧家だというから、彼女がしっかりした日本語をしゃべるのはむしろ
かつては言葉使いで、教育程度や育ち具合がわかると言われたものだ。しかし今は、テレビで馬鹿なお笑い芸人やクズタレントがしゃべる言葉がカッコよく、ちゃんとした敬語表現を交えた日本語はダサイとしか聞こえないような日本人の耳になっているのだ。なんと嘆か
自分の耳を疑う必要がある。汚い言葉使いになれてしまっている感覚を見直そう。フランスでは自分の娘を自慢する時に「うちの娘は美しいフランス語を話します」と表現するという。正しい日本語をしゃべるためには、敬語の使い方を明確に覚える必要がある。そしてど
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1996.7.8