韓国の映画産業の急成長に学ぶ

−過保護社会と自己責任−


 
韓国の景気が急回復しているらしい。一時は、IMFの管理下に置かれた程、景気が悪かったのだが、そこまで悪かったのが、返って国内の危機感を呼び、眠っていた国民の力が爆発したのだろう。

韓国の景気の回復を物語るエピソードに映画産業がある。韓国の映画が日本でも矢継ぎ早に上映されヒットしているが、この韓国映画を支えているのが、インターネットによる個人のベンチャー投資だというから面白い。

韓国のインターネット熱は、日本とは比較にならないほど旺盛だが、日本ほど規制がないため、自由に新しいビジネスを立ち上げる環境が容易に醸成されてしまうのであろう。ともかく映画人は、自分の企画作品をネットで発表し、投資をしてくれる人間を探す。一方投資家は、作品の内容やヒットするか否かの判断を下して、一口1万円以下の金額をもってこれに投資するのである。もちろんそれがヒットし、興行収入が多く入れば、大きな配当を得ることができるのである。

映画産業に投資するビジネスがこの二年間で急成長を遂げていて、韓国映画産業を下支えする形となっている。これを日本で立ち上げる場合、出資法の問題が否応なく出てくるであろう。そうなると、それを立ち上げるために法的な整備確認、監督官庁への聞き込みなどで、面倒な問題が派生してきて、面倒な割りに、さほどの収入も期待できないということで、二の足を踏むことになって終わってしまう可能性がある。

要するに日本社会の閉塞感は、このがんじがらめの規制社会システムにこそある。何でもお上(官僚)が目を通し、それに許可を取らねければならぬシステムが、日本社会をひどく古くさい情報後進国家にしているのである。

まあ、おそらく日本で映画投資ファンドをやろうとすれば、大ウソを云って詐欺をする人間が当然の如く出るであろうから、「そんな水商売には投資させては駄目」とお上が目をむいて規制をかけようとするだろう。考えてみれば、極論かもしれないが、そんなことは知ったことではないではないか。騙される人間がいるから、規制をかけるような社会制度ではなく、すべて自己責任で、行動する思考法こそ、日本人と日本社会に一番問われている問題である。

ひとつの例として、大リーグの球場と日本の球場の作り方の違いに見る事が出来る。つまり大リーグは、ファウルが飛んでくれば、それをもらうために喜んでグラブを差し出す人間が前の方に陣取って楽しんでいるのだが、日本ではファウルがひとつ飛ぼうものならば、「ファウルにお気を付けください」とアナウンスが入る。見ればサーカスのライオンの檻のようになっていて、観客と選手は、まったく隔離されたように閉鎖されているではないか。向こうが「ボールパーク」ならこっちはまるで「ライオンの檻」ここに日本という社会の本質があるように思えてならない。まず塀を低くし、選手と観客が一体になることこそ大事だ。

結論である。過保護で規制過密社会の日本社会が変わらなければならぬ時が来たのだ。映画投資は、その中のひとつにすぎぬ。何事も、規制を思い切って撤廃し、自己責任において自由に社会参加できる風土を、今こそ作るべきではないのか。すべてを閉鎖し規制するやり方から脱却しなければ、「日本の景気底入れ」などという言葉は、またもや「狼が来た」のウソで終わってしまうに違いない。佐藤

 


2002.5.24
 

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