人が感動するということ!?

ミスター感動・滝沢修


劇団民芸の滝沢修氏が、去る六月二十二日、逝去されたのは、既に記した。

昨日(七月二日)深夜、NHK教育で、故滝沢修氏の追悼番組として、「炎の人」(ゴッホ小伝)が上映された。これは23年前の昭和51年、滝沢氏が70歳の時の舞台だ。氏は35歳の青年ゴッホの役を、実にみずみずしく演じて居られる。すこぶる感動した。うまく表現できないが、その演技に感動させられたというより、滝沢氏その人が、感動そのもののように思えたほどだ。

滝沢氏は、この舞台の中で、画家としてのゴッホを表現するために、絵筆を細かく使い分けたり、パレットやイーゼルの扱い方、デッサンの仕方、など実に細かいところにまで気を配った演技をされている。ちょっと言葉は悪いが、偏執狂的にさえ思える程の緻密さだ。改めて氏の研究心というか役者魂に、圧倒させられる思いがした。

どんな舞台でも、見終わった時が、最高潮にあり、次第に記憶の片隅に追いやられて、小さくなってしまうものだが、こと「滝沢ゴッホ」については、その演技の凄みが、じわりじわりと、伝わってくるような不思議な感慨を持つに至った。これが役者の力というものかもしれない。紛れもない感動がそこには存在した。

大体人間は、歳を取る旅に、感動が薄れてくるものだ。すごい事件があっても、「なーんだ、そんなのよりももっとすごい事件が起きたのを、知っている」と、なる。要するにモノに動じなくなる。動じなくなると言えば、聞こえが良いが、要は無感動な人間になっていきがちだ。やはりそんな時は、滝沢ゴッホのような、本物に接するに限る。

もしも人間の一生が、歳を重ねる度に、無感動に陥っていく老いの過程であるならば、これほどつまらないことはない。無感動症候群とでも云おうか。それでは、到底生きているとは言えないし、人間らしい一生とも言い難い。人間は、池の底から立ち上ってくるメタンガスの泡(あぶく)ではない。何十年かして、死ぬのを待っているような只の泡のような人間で、いい訳がない。しかし残念ながら、ほとんどの人間は、一瞬で消えていく泡そのもののようだ。

人間は何故、歳を重ねる度に無感動になっていきがちなのか。それはおそらく、つまらぬ経験や取るに足りぬ知識が増えて、感動する気持ちを抑えてしまうからだろう。とすれば、人間は幾つになろうとも、自分が人間として感動できる様々な装置を心に持っていなければならない。しかしこれについてはこんな言い訳をするヤカラが必ず現れる。

「結構生活に追われていて、学生時分のようにはいきませんよ」

まあ、ごりっぱな言い訳だが、実にくだらない。大体暇で、お金がある人が、何か、意味のある偉大な仕事を為したことがあるだろうか。たいがいは、自分の内面にある信念に突き動かされて、貧乏や健康の害することも顧みず、努力した人が、初めて感動を常に味わえる人間様になれるのだ。

たとえ生活に負われても、考えること位は出来る。いやむしろ生活に追われるからこそ考えられるというものだ。イエスキリストだって、山上の垂訓で言っているではないか。「金持ちが天国に行くことは、ラクダが針の穴を通るほど難しい」と。別にイエスのように生きろなどと、お説教を云うつもりは毛頭ない。ただ「歳を重ねても感動する位のことはできるようになれ」と言いたいだけだ。

イエスでなくても、一人の人間が、何かに夢中になり、一生懸命考えれば、その考えというものは、必ず誰かによって、引き継がれ、同じような感情を持つ人が、意識の子孫として、後世に残るかもしれない。イエスキリストは、実の子を持たなかったが、キリストの考えを信ずる者が、キリスト教徒となり、多くの子をなしたと一緒だ。

その意味で、故滝沢氏は、劇団民芸という家屋に多くの子をなした。23年前、滝沢ゴッホの相手役として、40半ばでゴーギャンを好演した岩下浩という俳優もそのひとりだ。その岩下氏が、それから23年後の今年、またもやゴーギャン役を演じている。岩下ゴーギャンは、骨太の演技の出来る岩下氏の生涯の当たり役である。その岩下氏が、いみじくも今年の公演の後できっぱりとも云ってのけた。

もう、滝沢修の霊は、舞台のどこにもいません

その後、岩下氏は、奥歯をかみしめるような仕草をした。いったいこの短い言葉の中に、岩下氏は、どんな感慨を言い含めたのか・・・。その言葉にも泣けた。それにしても岩下氏は、幸せな人だ。「ミスター感動」とも云うべき滝沢氏と長年、丁々発止の競演をして来られたのだから。このように感動は至るところに転がっているのである。佐藤
 


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2000.7.5