神の国発言を考える

国家維持装置としての「神の国」概念


 

森首相の「神の国」発言が物議を醸している。憲法に照らして問題なのは分かっている。森首相の発言を受けて、中学生が、街頭インタビューに答えて「主権在民」と明るく答えていたのが、やたらと耳に残った。

しかし問題はどうもそんな簡単な事ではなさそうだ。森首相が言った「神の国」とは、国家としての日本の始まりを規定する概念である。この概念の根底には、古事記や日本書紀で示された日本という国の成り立ちが、暗黙の了解としてある。未だに紀元三世紀と目されている女王卑弥呼が住んでいたと見られるヤマタイ国が、九州にあったか、大和にあったかも特定されていない現状だ。

世界史的に見て、日本の歴史の紀元三世紀が、神話的にしか語れないというのは少しおかしい感じがする。おそらく各地でそれぞれの正史らしきものが書かれていたが、大化の改新前後の国家動乱の折りに、意図的に灰にふされてしまったのであろう。逆に言えば、それは時の権力者が、日本の歴史に、万世一系の天皇家という国家維持装置を導入したために、歴史を常に、謎や幻想という暗いベールに包み虚偽的にしか維持できなかったことを意味するのである。

時の権力者が、中国の天子の思想のように、「より徳の高いものが、天子となる」という思想を取り入れていたら、日本の歴史はもっと明確に歴史の真実を語ることを許されていたであろう。そして紀元三世紀には、どの地方にどんな部族がいて、その族長の名はこうで、ということもおそらく特定できたはずだ。

そもそも古来より、日本各地には、出雲国をはじめてとしてそれこそ八百万(やおよろず)の国(神が、部族の長を頂いてそれぞれの地方を支配していた。その長は、八百万の神様であったのだ。そこにその全て国家として統合しようとする者が現れて、軍事力を背景として、「神の国の威厳」を説きながら、幻想としての形を整えていったのである。

さてここからは、あくまでも私の「日本国家成り立ちの推理」であるから、誤解のないように。

紀元三世紀前後、出雲の国の大国の主という族長(神様?)は、九州の日向にいた、アマテラス一族(火の国の巫女【=ヒミコ】の強引な国を譲れという圧力に屈して、国家併合に応じた。これが日本国家の原形となった。これによって大きくなった日向、出雲連合国は、大和に乗り込む。これが最初の天皇となった神武東征の伝説として後世に伝えられることとなる。こうして「神の国」の原形としての大和朝廷は成立したのである。

結論である。首相が持ち出した「神の国」という非合理、非論理的な概念は、確かに一面、日本という国家が、どのように成立し、維持されて来たかを物語る象徴的な言葉である。さらに分かりやすく言えば、この概念は、支配する側の人間が、支配する側の人間を、「神」という幻想によって、服従させるためのとっておきの言葉である。

大体、森首相に限らず、誰かが「神」や「仏」を持ち出してきたら、「何か意図でもあるのか」と疑った方が良さそうだ。国家の政治的最高責任者たる首相が、森氏の如き貧困な歴史認識しか持ち得ない日本という国は、本当にこれからいったいどうなってしまうのか。佐藤
 


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2000.5.18