亀田興毅の世界戦を評す


世界チャンピオンになるということ

 
2006年8月2日(水)夜、亀田興毅の世界 タイトルマッチをみた。正直、悪夢を見て目覚めた朝のような嫌な気分がした。

僅か、10戦しか闘っていない19歳の新人選手が、かつてのモハメド・アリやマイク・タイソンなどのようなメイン イベンターとなって、7時半から始まった放送にもかかわらず、メインイベントの試合が始まったのは、9 時という有様だった。大体、亀田興毅という選手の実力が未知数なのに、よくここまで任せられるものだと驚いた。

この頃、ふしぎに思っていたのだが、最近まで、藤原正彦著のベストセラー「国家の品格」などの影響か、「品格」と いう言葉が盛んに使われるようになっていたが、どうもボクシング界に亀田三兄弟+父親が現れて以降、余り品格という言葉が問題視されることはない空気が出 てきたな、と感じているところだった。

プロボクシング界で、これほど品格のないスター候補は、かつて存在した試しがない。ただ世界に目を転じた場合、ど こまで才能があるかどうか未知数のスター候補生を、どこからか連れてきて、マッチメイクの妙を駆使し、世界チャンピオンに仕立て上げるというシナリオは、 世界中のボクシング界で行われていることだ。

しかしそれにはボクシングテクニックをマスターさせるためのそれ相応の時間とチャンピオンに相応しい強靱な精神と 人格の形成のためのモラトリアム(猶予期間)が必要になる。ところがなぜか、亀田の場合は、速成栽培のような手法が取られているために、本人のボクシング テクニックはもちろん人格の成長が速成栽培のシナリオに追い付いて来ていないのを強く感じる。

この僅か、10戦で世界チャンピオンになるというボクシングファンを愚弄したような悪しきシナリオを書いたのは、 TBSという放送局やプロモーターなどであろう。私は現在の作られた亀田ブームとも言える社会現象に拝金主義の匂いを感じる。この間、ボクシング界から も、某元世界チャンピオンが、「亀田は本物の選手と闘っていない」旨の辛辣な批判が出ていた。結局、この人物が先見の明があったということである。

プロボクシングのチャンピオンの苦労話というものは、日本人の琴線に触れる何かがある。戦後直ぐに日本人初の世界 チャンピオンになった白井義男がいた。昭和27年(1952)に世界チャンピオンになった時には、日本中が勝ったようになって、大ニュースとなった。

それから10年ほどして、現在のプロ日本ボクシング協会の会長であるファイティング原田が、世界チャンピオンに挑 戦し、死闘の末11回でKO勝ちして、世界王座についた。19歳の若さであった。原田はアメリカでもその猛烈なラッシュ戦法が「狂った風車」と好意的に取 り上げられるなどして、世界の頂点に上り詰めたのである。テレビで現役時代の原田のラッシュを見たことがある。あの頃の、日の出の勢いの原田には、戦後焼 け跡から這い上がっていく日本経済の復興の姿が二重映しに見えたものである。

子供の頃、貧しい家庭に育った原田少年は、アルバイトに精を出しながら、ボクシングに精進することによって、日本 チャンピオン、そしてついに世界チャンピオンとなった。原田のサクセスストーりーは日本中の人々の感動を呼んだものだった。あのヘビー級の伝説のチャンピ オンマイク・タイソンも、昭和63年(1988)、試合のために来日する直前、にインタビューを受けた際、日本に行く楽しみを聞かれて「尊敬する選手のミ スターファイティング原田にお会いすること」と答えるほどの選手だったのだ。

亀田興毅と登場してきた頃のファイティング原田との違いは、スピード感など、才能のレベルなど歴然としている。単 なる時代の違いではない。すべてを捨てて、ボクシング一本に賭けていた原田と、聞けばすでにチャンピオンになる前に同級生と同棲をしているという亀田興毅 との違いは、まさに象徴的だ。そんな増長を許してしまう周囲も周囲だが、まだ10戦しかしていない新米ボクサーが、世界チャンピオン以上の待遇されては、 本人が「自分は強い」、「何でもできる」と増長するのは、ごく自然な成り行きと言わなければならない。要は亀田が悪いのではなく、増長を作った周囲が一番 悪い。今の亀田よりも、側にいる父親が目立っているというのも妙だ。父親のために世界を取るというのは美しいが、世界チャンピオンというものは、もっと もっと孤独の中で修練を積むものであって、様々なパフォーマンスをマスコミが面白おかしく放映するものだから、本人はますます自分は特別と思ってしまって いるフシがある。まさにこれは勘違いである。

昨夜の試合もそうであるが、まるで自分の巣の中で、ケンカを競わせているようなものに見えた。ボクシングの実力を みても、背中を丸めて重心の低い亀田に対し、相手の左右のパンチはよく伸びていたし、クリンチワークもダッキングもできない亀田の敗戦は、第一ラウンドか ら火を見るより明らかだった。明らかに実力不足、経験不足なのである。ボクシングのスタイルも、ファイターなのか、ボクサーなのか、まだ自分のボクシング スタイルも確立していない。そんなに足も使えないようだし、スピードもフライ級の中では、そんなに早い方ではない。並である。またスタミナも19歳として は、ある方ではない。今のままでは、世界のトップランカーと対戦したら、あっさりと負けてしまうに違いない。

相手の選手が亀田を称して、「ただの子供。弱いボクサー。人間的成長が必要。」と短く言ったのは、よく亀田の現在 の実力を表している。このクラスのボクサーをマッチメイクでスターにして、視聴率を狙うTBSにも、大きな責任はある。もしも本当に彼の実力を向上させた いのであれば、彼の父親も放送局も、彼を世界の舞台に出して、真の実力のある選手にぶつけて、何が不足しているのかを、真剣に学ばせるべきである。その意 味で、今回亀田が負けていれば、それこそこの試合が亀田の本当の意味の世界への船出になった可能性もあった。

昨日の負け以降、「亀田・亀田」と言って、幻想を見ていたファンが、今急速に、亀田から離れつつある。この現象 は、昨年のフィギュアスケートで、四回転の天才と祭り上げられていたミキティこと安藤美姫が、すっかり四回転ノイローゼのようになって、オリンピックで は、実力の半分も出せなかったこととよく似ている。

過度な期待が、18歳や19歳の乙女にのし掛かった時、その期待の重みに堪えきれず、彼女は、結局自分が、少女の 肉体の頃に偶然のようにして飛ぶことが出来た四回転という幻想のワナに落ち込んで負けたのである。その対極にいたのが、荒川静香だった。彼女は、幾多の挫 折を経ながらも、その都度雑草のように這い上がって、自分の得意とするスタイルを確立し、ついにはオリンピックで金メダルを獲得したのである。世界のチャ ンピオンになるということは、誰かの筋書きでなれるほど生やさしいものではない。かつて、実力世界一と言われたマラソンの瀬古選手の中村コーチは、「マス コミの方々は、瀬古がオリンピックチャンピオンに簡単になれるように思っているようだが、オリンピックで金メダルを取るということは、自分の頭の上に人工 衛星が落ちてくるほど難しいことだ」と語ったという。このことは、自分の愛弟子である瀬古選手の実力を認めつつも、何が起こるか分からない。それほど世界 一になるということは難しいということを言いたかったのである。

それは実力だけで、金メダルは取れるものではない。運も大切ということを意味している。結局、瀬古が実力世界一と 言われた1980年のモスクワオリンピックの時には、ソ連のアフガン侵攻があり、アメリカあ日本などの西側諸国はオリンピックをボイコットすることになっ た。こうして瀬古選手は、世界一メダルを取れないまま引退することになったのである。

小手先のマッチメイクやシナリオなど、世界チャンピオンという称号の前には、通用しないということを言いたいので ある。最後に、後味の悪い勝者に納まった亀田が「どんなもんじゃい」と力こぶを作ったようだが、実に空しい行為だった。思わず、テレビ画面に向かい「礼節を重んじ、恥を知る日本人はいったいどこへ行ってしまった」と叫びたくなった。ガッツ石松の「日本人は立っていれば世界チャンピオンになれるのか」という皮肉な一言がすべてを物語っていた。

それにしても、マスコミにおべんちゃらを使わなければ生きれないボクシング関係者や芸能人の亀田同情論とも言うべ き、ゴマスリ会見も実に見苦しく情けなくていけない。本当のことを言うと、自分の干されるとでも暗黙のプレッシャーでもかけられているのか・・・そう疑っ てしまった。こんなことを続けていたら、日本のプロボクシング界は、間違いなく、ファンから早晩そっぽを向かれてしまうだろう。

結論である。ここは腹を据えて「プロボクシング は、フェアーなスポーツである」という強い信念を持って真摯な改革を断行することが急務だ。採点方法や興行のあり方も含め、時代に見合ったエキサイティン グスポーツ「プロボクシング」に進化してもらいたいものだ。かつての大ヒーロー、ファイティング原田(日本プロボクシング協会会長)の出番である。


2006.8.17 佐藤 弘 弥

義経伝説

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