第二幕

 第二幕の要旨

第1場.海尊と八尾は、奥山を下りて平泉に向かう。
「自分の犯した罪がどんなものであるか。いっぺんしっかり見るんだね」
という八尾の諭しの言葉にショックを受けた海尊は、内心びびりながらも、義経と弁慶の果てた平泉の高舘を目指す。

第2場.海尊は、変装し八尾と二人で、廃墟となった平泉の町を歩く。そのあまりの変貌ぶりに驚きながら、高舘の廃墟に到着する。そこは今は何もない。彼方には束稲山がそびえ、真下には、大河北上川が流れている。夕日が大河に反射し、黄金のように輝いている。「いったいこれは、なんだ。あの時の平泉や高舘の栄華は幻想だったのか」絶句する海尊。そこで海尊は、北上川の畔で真っ赤な夕日が高舘に向かって沈むのを目の当たりにする。その夕日の中に海尊は義経たちの最後の時の幻影を見る。その時、再びあの亡霊の声が聞こえる。「汝、己から逃げし者、闇の世を流離いて、何処へ」海尊は恐怖の余り耳を押さえて立ちつくす。暗転。

第3場.高舘を訪れた夜のこと、海尊は、眠れぬままに、寝返りをうつ。おそらく焼け野原となった高舘を見ながら、己の罪の深さに、今更ながら、驚いているのだろう。八尾がそんな海尊に気づく。「あんた眠れないのかい。無理もないよね。これでぐーぐー眠られた日にゃー。義経様や弁慶様も浮かばれない。何かを感じ取ってくれなきゃーと思っているよ。きっとね」そして八尾は、訥々と自分の生涯について、語り始めるのだった。自分の家族について、自分の境遇について。やがてその八尾の言葉に癒された海尊は、眠りに落ちる。

第4場.海尊は、再び悪夢にうなされる。また聞こえてくるあの亡霊の声。
「汝、己から逃げし者、闇の世を流離いて、何処へ」
海尊は、己の罪の重さを思い知らされ、泣き喚き、叫ぶ。しかし一度ひねくれてしまった男の心がそうそう直るものではない。案の定、弁慶に対する悪口に発展し、口調は激しくなり、八尾はそんな海尊に頬を張る。
 

第5場.八尾が食物と義経の首が鎌倉に送られたというニュースを携えて帰ってくる。海尊はどうして良いか分からなくなり、義経にもらったという手箱を笈より取り出す。その中には、小さな仏像と、文が入っていた。その文には、義経の心が書いてあった。海尊は、初めてこれにより、自分の生きるべき道をはっきりと自覚することとなる。

第6場.白い装束を着て、何処かへゆこうとする海尊を見て、八尾は慌てる。もしや、義経の意志を受けて立ったという大河兼任の乱(文治5年12月から文治6年3月)に参加するのではないかと勘違いをする。しかし海尊はきっぱりとそのことを否定し、「唱導によって、義経の意志を全国に伝えていく」と、話す。八尾は感激し、自分も一緒にその道を歩いていきたいと語る。

第7場.劇中劇。数年後、ある寺の境内で、唱導をしている海尊と八尾の姿があった。民衆に義経主従の物語を語っているのだ。これは後に、「源平盛衰記」となり、「義経記」を生む源泉となった。
まず海尊が、熱を込めて、腰越状を読み、この文の経緯を語る。
次に八尾が、静御前の生き方を語る。

第8場.義経没後、十年にして頼朝が謎の死を遂げた。しかし今の海尊に、頼朝に対しての恨み辛み等という感覚はまるでない。ただ一言「悲しい」という。この言葉は、一般的な意味の悲しいではなく「慈悲」の悲しさである。どうやら海尊は、弱虫の逃亡者から、移ろいゆくこの世の森羅万象をすべて受け入れて生きる境地に至ったようだ。



 
 
 

第一場
 

平泉近郊の山道 夕暮れ近く

    人目を避けながら海尊と八尾登場。
   
    (平泉の高舘に向かっている。
    八尾は先頭で、堂々と、樵に変装した海尊は、
    長身を折り曲げるように、くねくねと)
 

八尾 何をこそこそしているのさ。かえって怪しまれるよ。

海尊 だって知っている者にあったら、どうする。

八尾 その時は、その時だ。

海尊 きっと、ふん捕まって、首を切られる。

八尾 大丈夫さ、あんたみたいな小物を相手にする、
     泰衡様じゃあないさ。

海尊 (急にムキになって)
     何を、俺が小物だと、

八尾 ああ小物も、小物。
     弁慶様が鯛ならあんたは痩せた目刺しってとこだ。

海尊 目刺し・・・(急に大声で)俺は、常陸坊海尊だ。

八尾 ああ、それでいいのよ。それで。
   「自分の犯した罪がどんなものであるか。しっかり見るんだね」

海尊 ああ、みるさ。見るとも。(胸を張って、開き直って歩き始める)

八尾 もっと普通にできないかね。普通にさ。

海尊 普通?・・・こうか?(どこかぎこちない)

八尾 もっと顎を引いて。

海尊 こうか?

八尾 駄目だ、こりゃー。
   陸に上がった河童だね。まるで。

海尊 河童で結構。

八尾 高舘まで、あとどのくらいだい?

海尊 あと半里だな。

八尾 どきどきするかい?

海尊 ああ、胸が苦しくなってきた。

八尾 少し休むかい。

海尊 ああ。

      (傍にある石に腰を下ろす二人)

八尾 握り飯でも喰うかい。

海尊 いやそんな気分じゃない。

八尾 そうかい。あたしはいただくよ。
     (うまそうに食べる八尾)

海尊 (独り言のように)
     まったく、女ってのは、いいよな、喰いたい時には、
     いつでも食える。

八尾 何か言ったかい。

海尊 いや、なに、義経様のことを考えていた。

八尾 義経様は、御自害なさったというが、
   御遺体はどうなったんだろうね?

海尊 考えられない・・・。

八尾 考えたくないんだろう?

海尊 (しんみりと)
   あの朝、殿は覚悟されていた・・・。

八尾 何だって?

海尊 殿は、死ぬことを覚悟されていたのさ。

八尾 あれだけの人物。
   自分の運命ぐらい知っていて当たり前だ。

海尊 でも、俺には分からない・・・。

八尾 何がさあ?

海尊 (独り言のように)
   殿には、もっと生きていて欲しかった・・・。
   何であのように、運命を受け入れてしまわれたのか・・・。
   兄貴も俺も鈴木様も亀井だって、みんな戦って死ぬ覚悟だった。
   しかし殿だけは、違っていた。

八尾 何が違っていたのさ。

海尊 うまく説明出来ないが、違うのだ。
   あの戦の神の化身のようなお方が、すっかり穏やかな顔をなさって、
   こう言われた。

     「弁慶、それから皆もよく聞いてくれ。
    よくここまで、このような男について来てくれた。
    実に楽しい人生であった。
    私は誰に恥じることなき人生を送ってきた。
    それもこれもみな、お前達のような家臣がそばにいてくれたからだ。、
    私はいい家臣に恵まれた。
    
    鎌倉の兄上と比べれば、それは一目瞭然だ。
    兄上の腹心は、いったい誰だ。
    範頼の兄君か?
    あの線の細さでは、兄上を支えきる器量はない。
    では北条時政か?
    あの腹黒い狸じじい、何を考えているのやら、
    所詮腹心の器ではない。
    それなら梶原か?
    (笑いながら)
    冗談にもほどがあるというもの、
    あのような狐が腹心では、いつ寝首を掻かれてしまわんとも限らない。
    では和田義盛?
    あんな弱気な人間では話にならん。
    それとも大江広元?
    戦もできない木っ端役人に何ができる。
    畠山重忠ではどうだ?
    ただの剛の者。
    どんなに力が強いと言って見たところで、
    我が弁慶には勝てまいて。
    要するに、兄上には、頼りとする人間は、
    ただの一人もおらんのだ。
    強いて挙げるなら政子殿ぐらいなものか。
    
    どうあってもそんな兄上を支えたかったのに・・・。
    きっと兄上は、そのうち後悔するだろう。
    気が付いてみたら、周りが敵ばかりになっていることに気づいてな。
    
    それに引き替え、私の家臣はどうだ。
    大した恩賞も授けられないのに、
    黙って私について来てくれた。
    今は亡き佐藤継信。
    そして忠信。
    京で囚われた三條吉次高次。
    伊勢三郎義盛。
    その他諸々の家臣がいた。
    みんな私の為に命まで投げ出して働いてくれた。
    そんな家臣に支えられ、
    私は、己の運命を切り開くことができた。
    そして亡き父の汚名を濯ぐため、
    ありとあらゆる困難に、
    耐えて、耐えて、
    ついに平家一門を壇ノ浦で討ち滅ぼした。

    でもそれで、私の役目は終わったのか?
    それでは、これまで、骨身を惜しまずに働いてくれた
    みんなに余りにも申し訳がない。
    
    本当に私の役目は終わったのか?
    そんな馬鹿な、と何度も考えた。
    しかしここにおいて答えははっきりした」
    
    我々は、この一言に驚いた。
    すぐに兄貴が聞いた。
    「ど、どんな答えなんですか」
    我々は驚いて、殿の周りに集まって、じっと殿のお言葉を待った。
    すると短く、
    「私は逃げん」と言われて席を立たれたのよ。
    
    それを兄貴は、もし噂通りに、泰衡様が攻めてきても、
    逃げずに勇猛に戦って死ぬという決意に受け取ったようだった。
    しかし俺は正直ただただ動揺した。
    何故なら、殿の盾となって呉れていた忠衡様が、盛んに
    「ここは一旦、津軽に退却して、体制を立て直して」
    と、勧めてくれていて、当然、殿はそのような道を選択される。
    そう思っていたからだ。
    それが今更、わずかな手勢で逃げもせず、
    勝ち目のない戦をするなんて、
    死ににいくようなものではないか。
    そう思ったのだ・・・。

八尾  (急に)
    ちょっと待って、向こうから、10人ばかり侍が来るよ。
    ひょっとすると泰衡殿の侍かもしれないよ。
    
       暗転
       
    
 

第二場
 

平泉−高舘(北上川の畔)夕暮
 

       急に明るくなる。
       全てが赤一色に染まる。
       空が燃えている。
       大空が火事のようだ。

海尊  (空を見上げながら)
    これはどうしたことだ。
    この空の赤さは・・・。

八尾  本当に普通じゃない。

海尊  (観客のいる正面を見、指を指して)
    この大河の向こうには、殿の館があった。
    ああ夕日が沈む。
    館に向かって夕日が沈んでいく。
    幻影か?
    あの日々は幻影だったのか?
    殿。
    継信殿
    忠信殿
    伊勢殿
    鈴木殿
    亀井殿
    片岡殿 
    鷲尾殿
    増尾殿
    備前殿
    駿河殿
    兼房
    喜三太
    兄貴、弁慶の兄貴・・・。
    みんないなくなってしまった。
    あの館とともに燃え尽きてしまわれた。
    まるであの空は、血の色だ。
    殿とみんなの血の色だ。

    本来なら、俺が真っ先にお供をしなければいけなかったのに、
    怖くて、怖くて、逃げてしまった・・・。
    何と取り返しのつかないことをしてしまったのだろう。
    みんな逝ってしまったというのに、
    俺は一人不様に生き恥を恥を晒す。
    追手に怯え、びくびくと、山野をさまよう。
    こそこそと逃げてはみたものの、
    逃げる俺に隠れ家は何処にもない。   

    (その場に崩れて膝をつく)

      (その時、ふいに強烈な不興な音と共に、
       亡霊の声が響く)    
      
亡霊の声 「汝、己から逃げし者、闇の世を流離いて、何処へ」
          「汝、己から逃げし者、闇の世を流離いて、何処へ」
    
海尊  (耳を押さえながら)
      聞こえる。
      聞こえる。
      聞こえる。
      (八尾に向かって)
      聞こえたか?

八尾  (分からないといった表情で首を振る)

海尊  確かに聞こえたぞ。
    「自分からは逃げられないぞ」と、誰かが言った。
    
八尾  きっと義経様よ。

海尊  殿?

八尾  「しっかりしろ」と、励ましてくれているのよ。

海尊  そうだろうか?
      殿も兄貴同様、俺を怒っているに違いない。

八尾  あんた義経様のお気持ちというものを考えた事がある?

海尊  いや。

八尾  そうでしょう。
      義経様は、あなたにきっと、
      「しっかり生きろ」と言われているのよ。

海尊  お前の言っている意味がわからない。

八尾  鈍い人ね。あんたしかいないじゃないの。
      義経様のお気持ちを伝えて行ける人は。

海尊  俺が義経様の気持ちを伝える
    
      (急に空の色が黄金色に変化する)

八尾  見て、空が黄金色に輝いている。

海尊  何と、まばゆい。
      これこそ奥州の空。
      金色堂が空に映っているようだ。
      初代清衡様以来、
      営々として造り上げられてきた黄金の都、
      平泉を染めるにふさわしい空の色だ。
    
八尾  (指を指して)
      ほら雲が流れていく。きれいだわ・・・。

海尊  おお・・・。
      金色の雲が、栗駒山に向かって・・・。
      (雲を目で追いながら)
      殿、殿、殿・・・。
    

       暗転
    
 
 

第三場 

山小屋 暗闇

             この場は、暗闇の中で演じられる。
             すべての照明を落とし、静かに、演じられる。
             これはある種のラブシーンである。

           しばらく海尊の寝返りの音や
          小さな咳払いが聞こえてくる。
 

八尾  (小声で優しく)あんた?

海尊  ああ。

八尾  眠れないのかい?

海尊  うん。

八尾  今日のことを考えておいでだね?

海尊  ・・・うん。

八尾  でも今日見てきて、良かったろう。

海尊  ああ。

八尾  もしこれで、今日もぐーぐー、
     イノシシみたいないびきをかいたら、
     義経様も弁慶様も浮かばれないよね。

海尊  会わせる顔がない。

八尾  誰でもさあ、人には言えない深い罪というものがあると思うね。
     あんたの場合は、それが余りにも強烈で決定的だったんだね。
     罪を犯さない人間なんていない。
     そうだろう。
     生きてりゃさあ、
     気がつかないうちにも小さな虫を何十匹と踏みつぶしているよ。   
     生きるってことは、罪を犯すことだ。
     神様だって、仏様だって、生きているときには、
     あたしらと同じようにさあ、己の罪の深さを恥じて、恥じて、
     暮らしていたに違いない。
     そんな気がするね。
     もし、「あたしは、罪を犯したことはありません」
     と、言う人がいたらそれは詐欺師か、
     気づかないかのどちらかだ。
     今、あんたは自分の罪に正面切って向かったところだ。
     つまり気づきつつあるって云うかなあ、
     でもあたしはさあ、これはお世辞でも何でもなく、
     今日のあんたを見て、よく分かった気がするんだよ。

海尊  何を?

八尾  何というかなあ、
     この、あんたが、生まれついて、
     運命付けられているものと云うのかな・・・。

海尊  「運命付けられているもの」?

八尾  そうさ。運命を道と言い換えてもいいかもしれない。

海尊  道?

八尾  人にはめいめい辿っていくべき道というものがあると思うんだ。
     たとえば、頭が良く生まれた人は、
     頭を使って、他の人に奉仕するというさあ。

海尊  じゃあ、頭の良くない俺みたいな人間は?

八尾  何を言ってるんだい。
     あんたには人一倍の体力があるじゃないの。

海尊  なるほどね。

八尾  この世にはさあ、必要のない人間なんていないんだよね。
     自分の辿るべき道さえ分かったら、その人間は百人力だ。
     ところが、この道というものは、
     口でいうほど簡単に見つかるたぐいのものではない。
     たいがい、生活に追われ、途中で分からなくなって、
     一生を終えてしまうんだ。

海尊  何でそんなにおまえは、そんな難しいことにこだわっている。
     俺には、おまえの感覚が分からない、というか不思議だ。

八尾  実はね。あたしもこんなに考える質ではなかったさ。
     つい三年前まではね。

海尊  何か訳があったのか?

八尾  そうさ、大ありさ。
     あたしはね、若い頃、あんただって、
     聞けば「ああ、あの家か」というような家の侍女をしていたことがある。
     それもこれも、
     父のあてがってくれた道の上を
     ただただ歩いているだけだったんだけど・・。
     京の都で育った父は、あたしに読み書きから礼儀に至るまで、
     京風の教育を施してね。
     あたしも父が喜ぶのがうれしくて、素直にそれに従っていた。
     父はあたしに都人のように「和歌も作れ、恋もよろしい」と言った。
     ただし父のお眼鏡に適わない男は「初めから相手にはするな」
     初めは、それでもあたしも子供だったせいか、
     何の抵抗もせずに受け入れていた。
     そして父が選んだ奥州のさる高貴なお方との婚礼も決まり、
     結婚もしたわ。
     父が「奥州の某(なにがし)の息子との婚姻が決まった」という時は、
     正直驚いた。
     なぜあたしが、奥州くんだりまで嫁に行かなきゃならない。
     最初は、いやでいやで、仕方がなかった。
     でもその時、父にこのように言われた。
     「八尾よ。おまえは私の自慢の娘だ。奥州のさるお方が、
     京に上った時、おまえを見初められた。おまえの立ち居仕草が
     実に優雅に見えたらしい。是非とも嫁にと、仰せられている。
     どうじゃ」と。父は表面では笑っていたが、顔の何処かが引きつっていた。
     母から、後で
     「実は、わが家の家計が火の車で、どうしても嫁に行って欲しい」
     と言われた。奥州は金の産地。京の都以上に繁栄している所とも
     聞いて、正直あたしも興味があった。
     主人は、非常に頭のいい人で、やはりその母君は、
     京都から来た人だった。
     いっぱしの城持ちのその家は、あたしを大事にしてくれて、
     数人の侍女もつけてくれた。
     嫁いだ先は、藤原の家臣でありながら、年に数回、京と奥州を往来し、
     手広く奥州の金や毛皮などを運び、帰るときには、京の自慢の反物や
     仏像を運んでは、商いをしていた。
     その頃は夢中だったし、楽しいとも思った。
     そんな矢先に事件が起きた。
     主人が栗駒山に猟に出かけていって死んだ。
     崖に落ちたということだったが、それは嘘だったと思う。
     何故ならどう見ても主人の遺体には、崖から落ちたという痕跡がなかった。
     ただ胸に小さな傷があっただけだった。
     あたしはきっとこれは事故で、流れ矢でも当たったのだろうと思った。
     しかしそれは転落事故として片づけられた。
     その時、あたしの中には、小さな命が宿っていた。
     あたしは、自分のおなかをさすりながら、この子を丈夫に育てよう。
     そのように誓った。主人の両親も何とか、自分の孫を見たかったらしく、
     とにかく「大事にしろよ」「変わりはないか」と勇気付けてくれた。
     やがて桜の頃に赤ん坊が生まれた。
     言葉では言えないくらいにうれしかった。
     元気な男の子で、まるまる太っていて
     大きな声で泣く子だった。
     これであたしも強く生きていける。
     そう思ったわ。
     やっと女として、亡くなった主人に言い訳が立つとも思ったのに、
     三歳の冬に風をこじらせて、
     その子は亡くなった。
     一度曲がり始めた運命の糸というものは、
     そう容易く元には戻らないものね。
     それから、主人の両親は、急にあたしに冷たくなり始めた。
     もちろんあたしの母親としての不注意を弁解するつもりはなかったわ。
     でも、両親から
     「あんたのせいで、大事な跡取りを亡くしてしまった。
      どうしてくれる」
     と、言われて、どうしようもない気持ちになったの。
     死んだ息子の歳を数えても、あの子が戻って来るわけはない。
     あたしは、悩みに悩んだ挙げ句、その家をとっさに出てしまった。
     私はどんどん歩いた。歩いて歩いて、気がついたら、
     このあたりに来ていた。
     
海尊  それではおまえも俺と同じでこの山に逃げて来たって訳か?!

八尾  実はそうなの・・・。

海尊  寒い。急に寒くなった。おまえのそばに行っていいか。

八尾  いいけど、調子に乗らないでよ。

海尊  いや、ただ寒いんだよ。
     ほんとに。
     でも人里離れたこんなところで、どうして生きていける。
     ましてや都育ちの姫がそんな・・・どう考えても無理だろう。

八尾  ここであたし不思議な人に出会ったの。

海尊  不思議な人?

八尾  とっても不思議なおばあさんだった。
     昔その人は、諸国を渡り歩く比丘尼(びくに)だったらしいわ。
     
海尊  諸国を放浪して仏法を説いていたわけか。

八尾  歳を取って歩けなくなってから、ここに落ち着いたらしいの。
     どうしても町中には、馴染めなくて、
     「自然の中で一生を終えたい」って、いつも言っていた。

海尊  へえ、なぜ、そのおばあさんは、ここに住むようになったのだろう。
     それに家族はいなかったのかなあ。

八尾  余り自分のことは話したがらない人だった。
     だから細かいことは知らないけれど、
     「自分は訳あって、諸国を巡る比丘尼になったけれど、
     若い頃の、つまずきがあって、こうして自分を深くみれた」
     って、言っていた。

海尊  その人に会ってみたいものだなあ。

八尾  一年前の夏に死んだわ。
     八十八だったの。
     実に美しい死に顔だった。
     悲しかったけど、
     その顔があまりに美しかったので、
     一刻ばかり、ずっと見とれていたくらい。
     自分の一生を全うした人の顔は、これだって
     思ったわ。
     たった二年ほどの付き合いだったけど、
     彼女には、かけがえのないことを教わったような気がする。
     「八尾さん、きっとあんたにもそのうち転機というものが、
     必ずくる。その時は、逃げなさんなよ。逃げたくなる気分を
     じっとこらえて、勇気を持って、それに立ち向かいなさい。
     その時何かが見えてくる。きっと見えてくる。
     行動するのは、それからでいい」

海尊  何か、自分が言われているようだ。

八尾  そうよ。逃げたら、何も見えなくなる。
     今日のあんたのように勇気を持って、
     じっと目を凝らしていれば、
     何かが見えてくる。

海尊  そこなんだ。何かが見えたような気がしたが、
     すぐに霧のように消えてしまう・・・。

八尾  大丈夫。
     直に見えてくる。きっとなにかが見えてくる。
     だから、あせってはだめ。
     そうでしょう。

海尊  (返事がない、どうやら眠ったようだ)・・・。

八尾  (静かな声で)
     眠ったの?

     
     
 

第四場 

八尾の小屋 早朝

            三場の続きで暗闇、
            少しの沈黙があり、
            四場に移る。
            急に海尊が、夢でうなされたのか。
            大声で泣き出す。
 

海尊  ウワーン、ウワーン、ウワーン。

八尾  我慢できない。

     (八尾起きあがりながら、小窓を開ける)
     (部屋中に充満する朝の光)

海尊  ウワーン、ウワーン、ウワーン。

八尾  (すっかり勝ち気な女に戻って)
     さあ、起きな。
     海尊。
     ちょっと。
     朝だよ。

海尊  (寝ぼけ眼で)
     兄貴が、俺を喰いに来た。

八尾  何を言ってるんだよ。

海尊  やはり兄貴は俺を怒っている。
     義経様も俺を懲らしめると言ってきかないようだ。
     俺は、殺される。
     懲らしめられる。
     鉄槌で脳天を割られる。
     首を切られる。
     だから俺はいやだったんだ。
     ちきしょう。
     兄貴とさえ会わなければ、
     こんなことには・・・。

        (そばに行って、バチンと頬を張る八尾)

海尊  痛い。
     何だよ。
     急に。

八尾  情けないからさ。
     このブタのケツ。
    この際、はっきり言わせて貰うよ、
     あんたは最低の男。
    ブタのケツでももったいないくらい。
     ブタのケツが泣いて、頼むから、
     その逃げた男とだけは一緒にしないでくれって言いそうな最低の男ね。
     しかも恩人の弁慶様を悪く言うなんて失礼にもほどがあるってもの。
    あんたと弁慶様では月とすっぽん、提灯に釣り鐘、あたしだって女だ。
     どっちに身を任す?と聞かれりゃ、もう絶対弁慶さんというに決まっている。
   
海尊  無礼な。我慢も限界にきた。
    やい、やい、やい、貴様、俺を何様だと思ってい上がる。
    泣く子も黙る常陸坊海尊様だぞ。
    女だと思って、だまって聞いていりゃー、
    いい気に成り上がって、
    こうなったら、長刀で真っ二つに切ってくれる。
    そこへ直れ。

八尾 (完全に見切った態度で)何をそんなに粋がっているのさ。
    男(さむらい)に成れなかった弱虫侍に、
     ダイコンよろしく切られるほど情けないあたしじゃないよ。

海尊  うるさい。
    憎たらしい。
     減らず口の女め。
    もう我慢ならん。

   (と立ち上がって、長刀を握ろうとした瞬間、
    投網を投げられて、散々竹の箒でしばかれる海尊)

    痛い。痛い。こしゃくなクモ女め。

八尾 逃げた男に言われたくないね。
   当分そうしていな。
   このうすのろのすっとこどっこいのバカ海尊。
   
     (小屋の外へ走っていなくなる)

海尊  女という動物はまったく得体の知れない怪物だ。
    ちきしょう。
    ふざけ上がって、何でこの俺ばかりが、女にもバカにされて、
    ええ、御大将ばかりが、いい女に好かれるって、
    筋書きになってしまうんだ。
   それこそ世の中は不公平じゃないか。
    俺だって、静様が好きだった。
    大好きだった。何でこうなっちまうんだよ。
    おっかあ、おっかあ、
    もっと優しい顔に生んでくれりゃーいい物を、
    こんな厳つい顔に生み上がって、おっかあ、おっかあ、
   
     (仕舞いには声が小さくなって)

    おっかあ、助けてくれよ。おっかあ…。

     (と泣いてしまう。やがて泣き疲れたのか、仕舞いにはいびきが聞こえてくる。)
   
     暗転
 
 

第五場 

八尾の小屋 昼

      だいぶ時間が経過したようだ。
      しかし相変わらず海尊は、投網にくるまって眠っている。
      そこへ威勢良く、八尾が入ってくる。
      手には酒瓶と大きな鶏冠の付いたニワトリを持っている。

八尾 また寝て上がる。
    いいよなこの男は、困ったら寝ればいいのだから。
    顔はヒグマだが、心はまるで三つのだだっ子だ。
    やい、海尊、起きろ、目を覚ませ。

海尊 (まるでさっきの剣幕はどこかへ吹き飛んでしまって、にたっとしながら)
    おお、びっくりするじゃないか。
    何だよ。
    人がせっかくいい気分で寝ているところをよ。

八尾  気持ち悪い男だ。
    何かスケベな夢でも見てい上がったな。

海尊 (ニヤニヤして)
     へへー分かるかい。
    静様のさー。夢を見ていたのよ。
    俺に団子をくれて、あのユリのように白いお方がにやりとされた。
    へへへー。

八尾 (そこへいきなりニワトリを顔に突きつけて)
    こんな奴か?!

海尊 (子供っぽく驚いて)
    わー、び、びっくりするじゃないか。
    どうしたんだよそれ?

八尾  泣き虫に食わしてやろうと、思ってさー。

海尊 (小声で)さては見られたか。

八尾 酒もあるぞ。町で買ってきた。

海尊 いや、何年振りだろう。
   酒ってどんな味がしてたっけ?

八尾 大げさな奴だ。まったく男ってものは、
   酒と女と博打と戦しか頭にないのかね。

海尊 おお、何とでも言ってくれ、
   さあはやくそれを俺に呑ましてくれ。
   (と投網も構わず、手を指し出す)

八尾 まったく何て男だ。
   自分に投網がからみついているのも忘れてい上がる。

海尊 へへへ、何と言われようと、
   俺も男、酒と少しばかりの愛があれば、
   生きていけるって、訳さ。

八尾 ずいぶん、気取ったものだね。
   ええ、その投網を明けたら、
   さっきの剣幕であたしの身体を
   ダイコンのように切るって魂胆じゃないよね。
   
海尊 ああ、そんなこともあったっけね、
   そこは俺様のいいと頃よ。昨日の敵は今日の友。
   懐が深いって言うか、慈悲心に満ちあふれている。

八尾 (調子の良い、海尊のせりふを遮るように)
   分かったわよ(と言いながら投網をとる)。

海尊 ふう、トンボの気持ちがよく分かったね
   (と言うが速いか、酒を瓶ごと煽ると、
    野獣のようにニワトリを食らう)

八尾 わーそこは、鶏冠だよ、
   頭まで食って上がる。
   生だよ。
   焼いてやろうと思ったのに何だよ。
   この人。

海尊 いや、実にうまい。
   最近木の実ばかり食って、
   やせたウンコばっかりで鹿になるかと思っていたところさ。

八尾 いっそ鹿になればいいさ。
   鹿は春日権現様の化身というじゃないか。
   あんたもそれを食べて、
   少しは考え方を変えたらいいさ。

海尊 食べている時は、何を言われても気にならん。
   やはりさっきは腹が空いていたんだ。
   空腹は人を変える。
   だとしたら、俺を空腹にしないでくれ。

八尾 何をへんてこな理屈をいっているのさ。
   食べたら知らせたいことがある。
   早く食べな。

海尊 少し待ってくれ、
   骨が硬いが、この骨がうまい。

八尾 …(食べ終わるのをじっと待って)いいかい?

海尊 (酒を一息で煽って)ああ良いとも。

八尾 (急に悲しい顔になって)
   海尊よくお聞き。
   義経公の首が鎌倉へ送られたそうだ。

海尊 ほんとか。

八尾 何でウソなどつける。

海尊 いつだ。

八尾 今日の朝早くだそうだ。

海尊 …。

八尾 何とも悲しい行進だったらしいよ。
   平泉を出た100騎ばかりの侍は、
   みな白装束の上に黒い鎧を付けて、栗原寺に入り、
   そこから一路、鎌倉へ向かわれたそうだ。

   その異様な出で立ちに、街道の人々は、
   一言も言葉を交わさなかったが、
   それがすぐに義経公の首の葬列と分かったとさ。
   一人一人と地元の民が、街道に現れては、
   頭を擦りつけるようにして義経公の首桶と思われる
   隊列を見送っていたが、
   すすり泣きの声がどこまでも長く続いてようだ。
   前を通るときに、
   樽で酒が揺れるような音がしたらしい。
   きっと義経公の首は、酒の中に浸されていたに違いないね。

海尊 酒の中に御大将の首が…

八尾 首桶は前後二人の兵隊が担いでいて、
   まわりは何とも言えないお香の香りが
   たちこめていたとも聞いたよ。

海尊 そうか、殿、殿…。

八尾 (思い出したように)
   おお、そうだ、首桶は二つあったとさ。
   おそらくもう一つは、弁慶様のに違いない、とみんな噂していた。

海尊 兄貴の首もか…。

八尾 そうさ、たまらないね。奥州の火は消えたってことだ。
   泰衡って御館(みたち)はいったい何を考えておいでなのかね。

海尊 この俺と同じよ。

八尾 えー?

海尊 俺と同じで、臆病がりよ。
   あの人のことはよく分かる。
   性格もお優しいから、
   ついつい頼朝様のような押しの強い人にはつけ込まれてしまう。
   その上あのお方の祖父、基成様もその娘である母上様も京生まれの京育ち。
   そんな二人に大事に育てられて、
   およそ戦の世には不向きのお方に育ってしまわれた。

八尾 確かにね。

海尊 うまく鎌倉殿の口車に乗ってしまわれたのよ。
   鎌倉殿にとって、義経の殿さえいなくなれば、
   平泉攻略は容易いこと。

八尾 すると頼朝様が攻めてくるというの?

海尊 ああ、もちろんそうなるだろう。

八尾 何か良い智慧はないものかね。
   あんた、
   このままむざむざ、ここまで百年かかって築いてきた奥州を
    鎌倉勢に取られていいの。

海尊 良いわけはないさ。
   そんなことは俺だって重々承知のすけよ。
   でも今の俺に何が出来る?
   
八尾 そこを考えてよ。
   あんたも男だろう。
   何かよい思案はないの!?

海尊 うーん(としばらく考えて)
   おお、そうだ。
   殿からいただいたものがある。

     (海尊、小屋の奧にある笈を明けて何やら、
      黒漆の手箱を取り出し持ってくる)

八尾 それはなに?

海尊 以前殿から頂いたものだ。

八尾 殿って義経様のこと?

海尊 そうさ。

八尾 何が入っているの?

海尊 分からない。
   ただ「本当に困った時に開きなさい」
   と、渡されたものだ。

   (紐を解き、蓋をとる。
    中には、小さな金の毘沙門天の仏像と文とお金が入っている)
   
八尾 その仏像は?

海尊 殿の守り本尊、毘沙門天だ。

八尾 いつ頂いたものなの?

海尊 つい十日ほど前だったかな。

八尾 何か文が添えてあるわね。
   読んで。

海尊 (文を大事そうに開いて、文を読み始める)
   
    「常陸坊海尊に告ぐ」

     (稲妻が発光する)
     (やや遅れて雷鳴が轟く)
     (たじろぐ海尊)

    これはどうしたことだろう。
    殿を感じる。
    殿が近くに来ておられる。

     (改めて文を持ち直して読み始める)

    「これは私の命である。
       この毘沙門天の中にわが魂は眠る。
    これを誰にも渡してはならぬ。
    よいか海尊。
    たとえ私の亡骸(むくろ)がどうなろうと、
    この毘沙門天だけは
    誰にも渡してはならぬ。
    だからお前は死んではならぬ。
    生きるのだ。
    海尊。
    お前にはまだやることがある。
    犬死は断じて許さぬ。

     (稲妻と雷鳴)

    海尊。
    私のために生きるのだ。
    お前は、この毘沙門と共に、諸国を渡り、
    私の心を伝えるのだ。
    ただし私のために弁解をしてはならぬ。
    愚痴をこぼしてもならぬ。
    ただ正直に、この私がどのように戦い、
    どのように生き、そしてどのように逝ったか、
    ありのままを伝えてくれればいい。
   
    海尊。
    侍には、侍の誇りというものがある。
    たとえ命を取られても、譲れぬ意地というものがある。

     (強烈な雷鳴)
     (一瞬たじろぐ海尊、かまわず続ける)

    これまで、お前たちには、散々苦労をかけてきたが、
    海尊お前には、まだやってもらうことがある。
    私は侍の誇りと意地を通すため、今ここで死なねばならぬ。
    もはや命を惜しむ私ではない。
   
     (激しい雨音)

    見事、死んでみせよう。
    継信、忠信、待っておれ。
    お前たちの忠義に報いて、
   
     (落雷の音)  

    死に華を咲かせてみせよう。
    だから海尊。
    お前は泣いてはならぬ。
    悲しんでもならぬ。
    生きるのだ。
    生きて、私の心を伝えるのだ。
    頼んだぞ。
    海尊。
       文治五年閏四月十八日
    九郎判官源義経記す」

      (文をしまう海尊。
      海尊立ち上がる。
      大泣きに泣いて、外に飛び出していく。
      激しい雨に打たれる海尊。)

海尊 (空を見上げながら)殿、殿、殿

      (八尾も外に飛び出す)
      (雷は、見る間に、遠ざかっていく)
     
八尾 (空を見上げながら)
   見て、あそこに虹が、(と、指を指す)

海尊 (泣きじゃくりながら)
   こんな美しい虹は生まれてこのかた見たことがない・・・。
   はじめて、自分の人生がみえた・・・気がする。

八尾 自分の人生?

海尊 ああ自分の歩いていく道が見えた。
    
    
      家に入っていく海尊。
      
海尊 (ひざまずき、仏像に黙礼し、小声で念仏を唱え始める)
   ・・・。
         
 
          暗転
 
 
 
 

第六場 
 

山奥の小屋 冬

    忙しく山伏姿に着替えていく海尊。
    そこへ八尾が入ってくる。

八尾 あんたどうしたんだ。その格好は?
   
海尊 見れば分かる。山伏姿よ。

八尾 (少し慌てて)
   びっくり、するじゃないか。
   急にさあ。

海尊 いよいよ、俺も起つべき時がきた。

八尾 発つって、あんた。
   
海尊 起つのよ。男として。

八尾 あんた、何だよ。
   水くさいじゃないか。
   発つなら、発つと、
   はっきりそう、言ってくれればいいじゃないか。

海尊 (何を言っているという顔で八尾を見る)・・・。

八尾 (半分泣きながら)
   大河兼任様の決起に合流するつもりだね。
   兼任様が決起してから、薄々感じてはいたが、
   ああ、いいよ、何処へでも行ってしまいな。

海尊 何か、少し誤解しているようだな。

八尾 何が誤解だよ。
   あたしはね。
   情けないんだよ。
   えー、これまで、短い間だったけど、
   一緒にやって来たじゃないか、
   それなのに、あんたは黙って発つという。
   あたしの気持ちなんて全然分かってないね。

海尊 やっと、分かった。

八尾 (怒って)分かってない。

海尊 違うんだ。
   誤解だよ。
   誤解。
   
八尾 誤解?

海尊 起つって、俺が言ったのは、
   今日から唱導に立つと決めたのよ。
   だからたつ違いって訳だ。
   もちろん、そのうち諸国を回るつもりだよ。
   でもまだその時期ではない。
   世の中を見極めないと行けない。
   今日は近くの村々の辻に立って、
   自分の唱導の腕を磨こうと思ってさあ。
   
八尾 (安心した顔で)
    ・・・そうだったの。

海尊 何が「そうだったのか」だよ。
   八尾、お前こそ、まだ俺を分かっていないね。

八尾 でもあんたいきなりその格好をして、
   しゃきっと、されたら、
   えー、誰が見たって、戦に行くとしか思えないじゃないの。

海尊 開き直り上がったな。

八尾 だってさあ、あんた去年の夏、奥州に鎌倉の連中が来た時、
   今にも、飛び出して行きそうだったじゃないの。
   「義経様のお文の気持ちを踏みにじるつもり」
    と、あたしが言わなければ、きっとあんたは命を
    投げ出していたと思うわ。
    逃亡癖をやっと克服したかと思えば今度は、犬死願望を
    あんたの中に感じるようになった。

海尊 そこが俺を分かっていないというんだよ。
   確かに俺は、あの時、國衡様の陣へ馳せ参じて、
   憎い頼朝の兵隊と戦いたかった。
   畠山どのを先陣とする数万の鎌倉勢が、
   白河の関を越えたと聞いた時には血が逆流する思いだった。
   信夫の里には、継信様や忠信様の父上元治殿の館がある。
   あのお方には義経殿のお供をして何度か、
   お目にかかった事がある。
   本当に立派な殿で、
   あのお方と阿津賀志山(あつかしやま)で、合流し、
   畠山殿に一泡吹かせたかった・・・。
   しかし信夫はあっさり落とされた。
   國衡殿は、その後、名取まで退却したが、敗れて・・・、
   戦の趨勢は決してしまった。
   もしも義経様が生きておられて、奥州軍の指揮を
   國衡殿とともに執られていたらと思うと、
   返す返すも残念だ・・・。
   
   頼朝殿が8月22日、平泉の都に入った時には、
   一太刀浴びせてやろう、と何度も考えた。
   その度に、俺はあの義経様から頂いたあの文を見て、
   自分の気持ちを抑えてきた。
   だから今更、兼任様の戦には、参戦しない。
   もはや鎌倉殿の世が簡単に変わるとも思われない。
   死がぬのが怖いわけでもない。
   俺には俺の使命があるではないか。
   それはどこまでも生き、
   義経様の心を伝えていくことだ。
   俺は義経様や弁慶兄貴の為にも生き続けねばならぬ。
   人は人のために生きると、決めた時、
   初めて死の恐怖から乗り越えられる。
   もはや生も死も俺にとって大した問題ではない。
   まして逃げるなんて考えられなくなってしまった。

   だから、八尾よ、俺は簡単に犬死になんかしない。
   俺は見てやる。
   覇者となった鎌倉の侍たちのその後をな。

八尾 あたしも唱導に行きたい。
   いいだろう。
   あんたと一緒にいきたい。
   わたしにもあんたの片棒担がせておくれ。
   そうすれば楓さん遺志を継ぐことにもなる。
   わたしにも出来るかね。あたしも比丘尼になるのさ。   
   いいだろ。
   あんた。

海尊 ああ、もちろんだ
   一緒にお堂を造ろう
   義経様のお堂な。 
         

      暗転   
 
 
 

第七場

寺の境内 (劇中劇)

      唱導をしている海尊と八尾
      お客様に正対して義経公の物語を語る海尊と八尾。
      「義経記」の原型である。

      まず海尊が、熱を込めて、
      腰越状を読み、この文の経緯を語り、
      次に八尾が、静御前の生き方を語る。

八尾  さてお集まりの皆様。
    本日皆様にお聞かせいたす題目は、
    まずは九郎判官義経殿が、涙で語る「腰越状」の一節。

    さて判官殿、元歴二年五月七日、壇ノ浦にて召し取ったる
    敵の御大将前内府平宗盛とその嫡子清宗を伴って、
    京を出立。
    同十五日夜半過ぎ、相州酒匂(さかわ)にご到着なさられた。
    早々に兄君頼朝殿に会えるものと思いきや、
    頼朝殿、判官殿を近づけず、
    一日、又一日と、いたずらに時はすぎ行くばかり。
    既に十日が過ぎ、しびれを切らした判官殿は、
    鎌倉の目と鼻の先、兄君に心の丈を記した文を
    送られた。
        
        (白装束で登場する義経に扮した海尊、
         沈痛な面もちで登場)
        (八尾は、次の朗読に合わせて舞う)

海尊    (静かな低い声で)
     「源義経おそれながらもうしあげます。

           このたび名誉にも兄君の代官に撰ばれ、
     怨敵平家を討ち滅ぼし、父の汚名を晴らしました。
     そこでこの義経、
     褒美をいただけるとばかり思っておりましたのに、
     あらぬ男の讒言(ざんげん))によ り、
     未だ慰労の言葉すら頂いてはおりません。

          義経は、手柄こそたてましたが、
     お叱りをうけるいわれはございません。
     悔しさで、涙に血がにじむ思いでございます。

          兄君、どうか私の言い分に耳をおかしください。
     梶原の讒言のどこに正義がございましょうや。
     このように鎌倉の目と鼻の先にいながら、
     お目通りも叶わず、この腰越で、数日を悔し涙で、
     暮らしておりまする。

          兄君、慈悲深きお顔をお見せください。
     これでは兄弟として生まれた、意味がございましょうや。

          それとも義経は、胸の内を語ることも許されず、
     また憐れんでもいただけぬのでしょうか。
     この義 経、生み落とされると間もなく、
     父君は討たれ、母君の手に抱かれて、
     大和の山野をさまよい、安らかに過ごした日は
     一日たりともございませんでした。

          当時、京の都は戦乱が続き、
     身の危険もありましたので、
     さまざまな里を流れ歩き、
     里の人々にも世話になり、
     何とか生きながらえて参ったのです。

          その時、思いもかけず、
     兄君が旗揚げをなさったという、
     心ときめくおうわさを聞き、矢も盾もたまらず、
     はせ参じた私でございました。

          またありがたくも宿敵平家を征伐せよとの
     ご命令をいただき、その手始めに、
     木曾義仲を倒し、あらゆる困難に堪え、
     次には平家を討ち果たし、
     亡き父君の御霊をお鎮めいたしました。
     それもこれも兄君に歓んでいただきたき
     一心で励んで参ったのです。
     義経には、それ以外のいかなる望も
     ございませんでした。

          さむらいとして最上の官位である五位の尉(ごいのじょう)に
     任命を受け入れたのも、
     ひとえに兄君と源家の名誉を考えてのこと…。

     にもかかわらず、
     このようにきついお仕置きを受けるとは…。
          この義経の気持ちを、これ以上どのようにお伝えしたなら、
     分かっていただけるのでしょう。
     何度も神仏に誓って偽りを申しませんと、
     起請文(ふみ)を差し上げましたが、
     未だにお許しのご返事を、いただいてはおりません。

          兄君、私は、ただただ静かな気持ちを得ることだけが望みです。
     もはやこれ以上愚痴めいたことを言うのはよしましょう。
     どうか賢明なる御判断を。

     元歴二年五月二十四日。
     源九郎義経」

八尾  さては皆様、判官殿のご心痛。
    いかばかりかと思われる・・・。

        (次の海尊の朗読に合わせて、八尾は、
              静御前を象徴する舞を舞う)

海尊  さて、さて、どこにも、
    いい奴、悪い奴
    いそうなもので、
    そのようで、
    腰越の文したためた
    判官殿の悔しさの
    陰で、喜ぶ男あり、
    その名を聞けば悪太郎
    梶原の景時、豚のケツ。
    散々ぱらの
    焼け野原。
    悪口雑言。
    罵詈雑言。
    兄弟仲を引き裂きて、
    己が栄達もくろみて、
    とどのつまりは、
    はえ男。
     
    鎌倉を、
    とって返して京の町。
    鎌倉打倒もやむなしと、
    叛意固めて都落ち・・・。
    義経主従うち揃い、
    大物浦(だいもつうら)からいざともに、
    西海目指してこぎ出せば。
    そこへ不意なる大嵐。
    平氏の亡霊現れて、
    ここは通さぬ。
    一歩も引かぬ。
    腹をくくって、
    やってこい。
    ただごとならぬと、
    弁慶は、
    舟の舳先で
    大見栄切って、
    大はったりの、
    経を読む。
    せめぎ合うつつ、
    小半時、
        
    気が付き見れば、
    和泉浦、
    わずか五人の難破船。
    判官、
    静に、
    弁慶、
    吉次、
    伊豆の有綱。
    九死に一生、
    へとへとの     
    やっとやっとの吉野山。
    さすがの判官、
    静を呼んで、
    別れを諭し、
    目に涙。
    静も、涙堪えつつ
    判官の苦しき心地、
    飲み込んで、
    安堵する間のない別れ。
    それも定めと判官は
    静に形見の初音の鼓、
    これを九郎と、
    渡したり。

    後は当てない逃避行。
     
      (八尾が静御前に扮し、舞と歌を披露)

八尾  (舞いながら歌う)
    「吉野山峯の白雪ふみ分けて入りにし人の跡ぞ恋しき」
          
        (海尊は、八尾が舞っている最中、
         客席に入り、愛嬌を振りまきながら、
         お布施の金を集める仕草をする)

海尊 ありがとうございます。
   本当にありがとうございます。
   みなさまから頂いたお布施は、
   一文たりとも無駄にせず
   義経公のお堂を建てる資金と
   させていただきますによって…。

     (舞を終わった八尾も客席に入る)
     (二人が舞台に戻って、揃って頭を下げ。暗転)

 

第八場

山小屋 早春
  
      小屋の中には、義経公の位牌を奉る笈の仏壇があり、
      中には、小さな仏像が光っている。
      海尊が、その前で神妙に何かを祈っている。
     
  
      不意に八尾が飛び込んでくる。
 

八尾 (息を切らしながら)
   あんた、大変だよ。

海尊 どうした?そんなに慌てて?

八尾 これが慌てずに居られますか、
   頼朝公が死んだんだってさあ。

海尊 (人が変わったように冷静に)
   ほう、どうしてまた?

八尾 馬から落ちたんだってさあ。

海尊 馬から落ちた?

八尾 そうだって。

海尊 まさか。いくら顔が大きい、
   頼朝殿だって、あの人も仮にも侍だろ?
   ありえないなあ。

八尾 義経公のたたりだって、もっぱらの噂だよ。
   
海尊 たたり?(と、笑いながら)
   たたりにしたい者がいるんだろう?

八尾 それじゃ、あんたは、関東武者がやったというのかい。

海尊 それは分からない。
   でも義経公がたたるなんてあり得ないと言ってるんだ。

八尾 どうしてさあ?
   あんた仇が死んだんだよ。
   嬉しくないのか?
   少しは嬉しそうな顔するもんだよ。
   義経様や弁慶様、それから平泉をただの廃墟にしてしまった男だよ。
   あれから、10年経って、憎い仇が死んだんだ。
   あたしは嬉しいね。
   正直、ざまあ、みろって、感じがする。
   やっと、これで義経様も弁慶様、それから大勢のお仲間達の
   供養ができるってもんじゃないか。

海尊 供養はとっくにしている。
   殿は人をたたるような小さな人ではない。

八尾 何だよ(と、すねて小さくなる)

海尊 そう怒るな。
   
八尾 何か、変だよ。
   あんた最近さあ。
   狐か猿の霊でも憑いたのかい。

海尊 そんなものは、俺には憑かん。

八尾 でも絶対変だよ。
   最近のあんたはさあ。
   いびきだってかかなくなったしさあ。

海尊 ああ、それはあの亡霊の声が聞こえなくなったからさ。

八尾 あの何かい。
   (声を変えて)
   「汝、己から逃げし者、闇の世を流離いて、何処へ」
   って・・・?(海尊をのぞき込む)

海尊 そうだ。
   それから、世の中のことが、
   よく見えるようになった。

八尾 もういいよ。
   あたしは今日は徹底的に嬉しいね。
   素直に喜びたいね。

海尊 (神妙に)
   殿は成仏なさったのだ。
   俺には、それが分かる。
   実感としてね。
      
八尾 ・・・何を寝ぼけたようなこと言ってるのさ。

海尊 今日俺は、お前が里に出かけている間
   殿にこんなことを話してみた。
   「殿、10年過ぎてやっと、
    殿が泰衡様が攻めてくると分かった時の
    殿の一言が分かりました。殿はあの時、
    ”私は逃げん”と言って、席を立って
    しまわれました。あの殿の一言の意味が
    やっと分かったのです」

    すると、殿がこう答えてくださったような気がした。
   「海尊、やっと分かってくれたか。
    そうか。
    やっと分かったか。
    実は俺もあの時は、
    逃げたかった。
    でも逃げなかった。
    諦めたり観念したわけではなかった。
    自分らしい生き方を選んだのだ。
    それに何事も逃げたらだめだ。
    特に自分からはな」ってね。
    そしたら、急に兄貴の、
    怖い顔が浮かんできた。

八尾  また怒られたんだろう。

海尊  そうじゃない。
    ニヤニヤしてるんだ。
    気持ち悪い位さあ。
    どうだ、俺が、主人に選んだ
    殿に間違いはなかったろう。
    と言う顔をしていた・・・。
    だから八尾。
    俺はなあ。
    今更、頼朝殿が、この世を去ったところで
    少なくても嬉しいという気持ちにはなれんのだ。

八尾  そんなものかねえ・・・。

海尊  ただ悲しいだけだ。
    みんな逝ってしまって、
    何故自分がそんな風な人生を送ったなんて
    考える人もいない。
    義経公が亡くなってから早十年の歳月が流れたけれど、
    ますます世の中は、複雑になるばかりだ。
    そのことを考える人もいない。
    きっとその日、その日の生活とやらに
    追い立てられているのだろう。
    もっと目を開いて、
    世の中を見なければ。
    そして自分をみなければ・・・。
    勝者と思われた、頼朝殿すら、
    10年後には、ほれこのように
    あっさりとこの世を去ってしまう。
    俺は殿や兄貴や仲間の死など、多くの死に接した。
    あの秀衡公の死だって見せていただいた。
    その直後、頼朝殿は、待ってましたとばかりに、
    奥州を攻め、
    義経公を亡き者にし、
    黄金の国奥州を、わがものにした。
    でも今はどうだ。
    わずか十年足らずで、自分が黄泉の国へ旅立たれた。
    後白河の法王様だってそうだ。
    あれほどの権謀術数の人物が、死の前では無力だったではないか。
    誰だって死を免れることはできないというわけだ。
    いったい人は何のためにあのような陰謀を張り廻らしてまで、
    刹那の権力を手に入れようとするのか。
    俺はどうやら人間というものが、
    哀れに思えて来てしようがないのだ・・・。
      
八尾  何か湿っぽいね。
    今日はあんたにもう一つ話そうと、
    思っていた事があるのに、
    これじゃ、話せやしない。
    
海尊  すまん。八尾機嫌を直してくれ。
    つい、つい自分の世界に入ってしまった。
    
八尾  でも、いいや。
    明日話すよ。(と少しすねて)

海尊  八尾、何だよ。水くさいよ。
    話して、今聞きたいから。

八尾  (少しもったいぶって)
    そう、それほど、あんたが言うなら、うん・・・。

海尊  ・・・じらすなよ。
    お願いだから、話してくれよ。

八尾  (少し照れて)
    実はおなかに子供が・・・。

海尊  (信じられないって顔で)
    おなかに子供って、おまえ、
    
八尾  今日里で見て貰ったら、そうだってさ。

海尊  (飛び上がって)
    何だよ。
    それを早く言ってくれれば、よかったのに。
    八尾、よかった。
    本当によかった。
    10年も経っているし、
    俺たちに子供は無理って思っていた。
    (八尾の腹をさすりながら)
    ここに俺達の子がいる訳か。
    ええ、八尾、
    ほんとにそうか?
    
八尾  うそを付いてどうする。
    
海尊  おうそうだ。
    殿と兄貴たちに報告せねば。
    八尾、お前もはやく。
    ここに座って。
    ほら。

    (仏壇の前に二人が座り、チンとやる)

    (その音が妙にいい音に響いて、暗転)
 

(第二幕了)
 


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最終更新日:1999/11/07 HSato