寓話 家宝

 
 

 ある家に、昔から伝わる立派な槍が飾ってある家があった。

父は、息子にこう言って聞かせたものだ。

「太郎や、この槍はなあ、うちの先祖様が、関ヶ原の戦でな、大手柄を立てた縁起のいい槍だ。この家の宝だ。今度はこの槍をおまえに渡すことになるが、大事にしなくてはいけない。ある時はなあ、この槍を見たドロボーが余りの立派さにそのまま逃げ出したこともあるくらいのものだ。」

太郎は、「へー、そんなにすごいんだ。さわって見ていい」と言ってさわろうとしたところ、父からこっぴどく叱られた。

「なんてことをする。さわっては駄目だ。手垢がつく。この槍はなあ、この家を守ってくれる守り本尊だ。当主たるもの、そのくらいの心配りがなくてどうする」

太郎は、見たい気持ちを無理矢理抑えて、その槍の前から姿をけした。

その夜、悪いことにドロボーが忍び込んだ。物音に気づいた太郎は、ドロボーだ父さん。ドロボーだ。と叫んだ。ドロボーは、びっくりして逃げようとした。

「父さん、あそこ、風呂場の方に誰かいる。」という声に促されるように、父は起きてきた。息子は、得意げに槍を指さして、「父さん早く、槍で捕まえて」とやった。父は眠い目をこすりながら、

「おお、いかにも、こらまて、ドロボー」と言った。息子はわくわくした。何しろ家宝の槍先が見える。ドロボーは父によって串刺しにされるかもしれない。ドロボーは、もしかして、怖くなって、おしっこを洩らすかもしれない。びっくりして、腰を抜かすかも…等と一瞬で多くのことを想像した。

父は、慌てていた。息子の手前、それでも強気で、

「待てこのドロボー野郎。そこへ直れ。さもないと、この槍で一突きだぞ」

太郎は、うれしくなった。やっと見れる。本物の槍が見れる。さすがにドロボーも観念したのか。金縛りに合ったように動かない。

父は、それを見て、すっかり図に乗った。さっとなぎしの上にある槍を手にすると、鞘(さや)を抜こうとした。抜けない?どうしたことだ。抜けない。太郎はどきどきした。逆にドロボーも目を丸くして、その場にたたずんでいた。父の額からはどっと汗が噴き出してきた。一瞬の沈黙があって、ドロボーが叫んだ。

「錆だ。錆びて使えない」

太郎は、「そんな、父さん、父さん」と泣きそうになった。父の方は焦って、柱に鞘をくっつけて、抜こうとしたがそれでも駄目だ。

ドロボーに精気が漲ってきた。「わはははー」笑っている。ドロボーがこともあろうに高らかに笑っている。太郎の目からは自然に涙が出てきた。後から後から涙が出て来てとまらない。それでも父は汗をだらだらと垂らしながら、槍先を出そうと必至になっている。

「じゃあっしは、これで、おさらばで、へへへー。全部いただきですぜ、槍の旦那。まぁ、せいぜい槍をお磨きなさいな。でへへのへー」と憎まれ口をきいて外に飛び出していった。

父は「待て、こら、卑怯だぞ、」と吠えるのが精一杯だった。そしてちきしょうこんなもの、と言って、家宝のはずの槍を思いっきり、床に叩きつけた。

ガシャーンと音がした。それは槍の悲鳴のように家中に響いた…。

すると、鞘が割れて、さび付いた惨めな槍先が顔を見せた。太郎はその槍先を、じっと見た。これがあのいつも聞かされてきた宝の正体だったのか。

父は、その場にへたへたと腰を下ろした。どうやら腰が抜けたらしい。それからというもの父はけっして、太郎にえらそうなことは言わなくなった…。

* * * * * *

寓意である。

どんなに立派だった槍でも、手入れを怠れば、非常の時には、何の役にも立たない。人間でもそれは同じだ。日頃から、自分に磨きをかけて、どんな状況でも対処できる状態に自分に磨きをかけることが肝心である。これは、槍の教訓である。さて、この解答とぴったりの答えを考えた人はいただろうか。
佐藤


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1999.11.12