情熱の危険について

情熱のつまづきと歳を重ねること


 

「年齢を重ねることは、すばらしい」と素直に思えるようになった。もちろん青春の熱い時期も確かに捨て難いものはある。しかし、とかく若い頃は、自分の中にある、肉体的なエネルギーが勝ち過ぎていて、そのエネルギーを持て余し気味のところがある。

若い日々の強烈すぎる情熱が、しばしば間違った判断を誘発し、他人を傷つけたり、誤解されたりすることもある。私自身、今になって思うと、20代前半の頃は、薄い氷の上を全力で走っているように、極めて危なっかしい存在だったかもしれない。

確かに情熱は、間違いを誘発し、人間の運命すら変えてしまう力がある。ひどい時には、国家の運命すら左右してしまう時もある。例えば、第二次大戦前のドイツ人は、ヒットラーという狂気をもった指導者の情熱に翻弄されて、自らがナチズムという熱病に感染し、ユダヤ人の大量虐殺という間違いを犯してしまった。人間は、間違いを犯す動物である。その間違いや挫折の原因が情熱であることはよくある話だ。

しかし私は、決して若さを全否定する訳ではない。若き人の情熱もすばらしい。ヒットラーと同じドイツ人の作家に、ゲーテがいる。そのゲーテに、「若きウエルテルの悩み」という傑作小説がある。かのフランスの英雄ナポレオンも、この小説を7回読んだと言う。私自身、夢中になってこの情熱的な小説を読んだ記憶がある。この作品は、若き日の情熱の危なっかしさをよく描いている。

手紙の形式で書かれたこの小説は、恋に破れた青年が自殺するまでを、リアリティーを持って描いた、ゲーテの自伝的小説だ。若きゲーテは、ロッテという女性に強烈な思いを寄せた。しかし彼女には婚約者がいて、ゲーテは、強い拒絶にあってしまう。その情熱的な恋愛経験が、この小説のベースになっている。もしゲーテが、小説という形で自分の情熱を発散していなければ、彼は、主人公アルベルトのように自殺していたかもしれない。それほど情熱というエネルギーは、強烈なパワーを持っているのである。

年のゲーテに「大きな情熱は、望みのない病気である」(「親和力」より)という言葉がある。確かに、人は、情熱がなければ生きられない。その若き情熱があって、初めて、若きナポレオンは、世界中に、フランス革命の自由の精神を伝えることができた。反面、その後のナポレオンの転落は、彼の情熱の強さが招いた悲劇であった。つまりナポレオンも、「情熱」と言う熱病にかかっていたのである。情熱は、まさに国家の運命さえも決めてしまう危険なエネルギーなのだ。
同じ熱病にかかった人物にマルチン・ハイデガーというドイツ人がいる。この人物は、20世紀の最高の哲学者と言われていたが、戦後になって、ナチス党員だった事実が判明し、彼ほどの知性の持ち主が、なぜナチス・ドイツのヒットラーのような政治的ペテン師の宣伝に乗ってナチス党員になってしまったのか?という疑問が、現在も哲学論争にまで発展している人物である。

私もこの問いかけを、この十年間、心の中で、ずっと温めて続けてきた。そして今やっと、その理由が分かった気がしている。彼の失敗の原因は、明らかに理想国家を求める情熱が熱病というマイナスのエネルギーに転化してしまったことにある。つまり彼は、あのヒットラーの狂気の中に、自分の求める理想の国家を見てしまったのだ。その頃の、彼の写真(右上)を見ると、彼の頭の中を、情熱が狂気となって支配している状態がよくわかる。この目は、狂気に憑(つ)かれた目である。その後、ドイツの敗戦と共に、ハイデガーは、左下の写真のように、正気を取り戻して、自らの哲学を再構築して、その生涯を終えた。

どんな人間でも情熱なしには生きられない。しかし情熱が熱病になり、狂気すら誘発してしまう危険なエネルギーであることも忘れてはならない。だからこそ年を重ねて、精神のバランスがとれることはすばらしいのだ。
佐藤
 


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1998.7