2002年W杯
ジダンの夏終わる


2002年6月11日午後のことだ。長い笛が韓国の仁川のサッカー場に響き渡り、前回王者のフランスチームがデンマークチームに2-0で敗れた。この瞬間に、フランスのワールドカップ一次予選敗退が決まってしまった。 

それはまったく信じられないような光景だった。選手のあるものは頭を抱えてうずくまり、監督は茫然自失のまま深いため息を付いた。サポーターたちは、天を見上げて、「いったいなにがあったのだ」と叫ぶ者もいた。 

これが勝負というものだろうか。それにしてもこんな結末を誰が予想したであろう。優勝候補の大本命フランスチームが、予選三試合で一点も獲れないまま、母国へ帰る羽目になるとは・・・。

その瞬間、一ヶ月前まで、あれほど自信満々だったエース、ジダンの顔は、見る陰もなく青ざめ、静にスタジアムを去って行った。まるで神に見放されたナポレオンもこのような表情で、セントヘレナ島に流されたのかと思いやられたほどだ。 

確かナポレオンの言葉にこのようなものがあった。 
「流れに乗っている私を誰も押しとどめることはできない。しかし運が変わった時には、蚊の一匹でも私の命を取るのには十分だ」 

別に初戦でフランスを破ったセネガルを蚊と言うつもりではない。そうではなく、初めからこの大会におけるフランスチームを取り巻く空気が、実に重苦しいものであった。5月26日の地元韓国チームとの試合で、エースのジタンが左太ももに肉離れを負い、ジダン中心のチーム戦略に、微妙な狂いが生じた。フランスチームにとって、この負傷はあまりにも大きな出来事であった。その結果、初戦のセネガル戦(0-1で敗北)、第二戦のウルグアイ(0-0引き分け)、そして第三戦のデンマーク戦(2-0で敗北)と、まるで坂道を転げ落ちるようにしてフランスは、母国へ帰ることとなった。 

最後の第三戦にだけ強行出場したジダンであったが、左足にきつくテーピングをしたプレーは痛々しく、とても彼本来の鋭く相手の戦意を喪失させてしまうような動きは最後まで見られなった。「一点も取っていないことが、最後までプレッシャーとなった」ジダンは、悪びれず語ったが、いつもの自身に満ちた彼の言ではなかった。それは敗者の精一杯の答だった気がする。監督のルメールも「私の名誉が傷つくことなんてどうでもよい。私にはフランスが今後立ち直るためにやるべきことが残されている」と、いかにもプライドの高いフランス人らしく語った。 

戦前の予想では、「王者フランスには、死角らしい死角は見あたらない。」「優勝候補筆頭はフランスであり、フランス中心で、今大会も推移するだろう」と言った声が、サッカー関係者からファンの口から聞かれた。それがこうもあっさりと桜の花のように散ってしまうとは。最強と思われていた者が、ちょっとしたきっかけで、消えてしまう。まるで歴史や人生の妙を見るような気がした。こうしてジダンの短い夏は終わった。佐藤

 


2002.6.12
 

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