2003.5.26
宮城沖地震の教訓

-災害時のインターネットの有効性-


去る2003年5月26日午後六時二十四分頃に発生した宮城沖地震(?)には、びっくりした。地震の揺れもすごかったが、それ以上に、びっくりしたのは、被災地との連絡がまったく取れなかったことだ。

この地震で明らかになったのは、NTTの電話回線が、非常時にはまったく役に立たないという現実だ。何しろ、災害の現地と連絡が取れるようになったのは、翌日の2時半であるからほぼ二十時間は、コンタクトが取れなかったことになる。そんな中で他社のau(KDDI)の携帯電話同士では、比較的容易に通じたらしい。IP電話も問題なかったようである。

今後は、これを教訓に、既存の防災対策を緊急に改めることが必要だ。それにしても今回の電話回線の長時間に渡る不通という事態は、NTTという巨大企業が、神戸の大地震の教訓をくみ取らず、ただ携帯電話販売戦争にだけに汲々としてきたことの証ではないのか。

今回非常時にまったくの機能不全となってしまったNTTといい、真夏時の停電が懸念される東京電力といい、親方日の丸でぬくぬくと生き抜いてきた大企業の怠慢ぶりと無責任ぶりには、ただただ呆れるばかりだ。

今回の災害で明らかになったことは、非常時には、NTTの回線網のような中央集権的な巨大システムではなく、インターネットのような草の根のネットワークこそが、役に立つということである。もともとインターネットは、核戦争になった時の、通信網を確保するための手段として、米軍の研究機関によって軍事的ネットワークとして考え出されたものだけに、緊急時には、より大きな力を発揮する可能性がある。インターネットによる情報の活用こそ、今回の地震による最大の教訓ではなかったか。

ともなく、どんな状況でも、パソコンがネットと通じていれば、どこにいても、その人は世界と情報を共有していることになる。停電になってしまえば、どうしようもないが、ノートパソコンに大容量バッテリーさえ確保できれば、外部との連絡はなんとかとれる。

事実、この地震に素早く反応したのは、インターネット情報産業の先駆けヤフーのトップページだった。あっという間に、緊急情報のリンク先とニュースをまとめて刻々と情報を蓄積し公開した。それに引き替え、宮城県・岩手県など、被害にあった地域を統括する県の対応ぶりにも、ひどかった。まったく非常時のプログラムが働いていないことをいみじくも露呈した。県警などのホームページもまったく更新はなし。いったい何がどうなっているのか、分からない有様だった。

おそらくネット担当者が、帰宅したかなにかで、招集できなかったのかもしれないが、これからの災害対策の基本は、正しい情報の収集と開示にあるのだから、各県、各県警のネット管理者の、緊急時の行動マニュアルは早急に作るべきであろう。

また官邸の行動も問題外にひどかった。いったい日本の危機管理体制はどうなっているのか。国民の命と財産を守れないでは、国家としての体をなしていないと言われても仕方がない。有事法制も大事かも知れないが、まずは緊急時の被害対策、とりわけ地震などは、日本には、関東大震災クラスの地震や、それ以上と言われる東海大地震など、いつどこで起きても不思議はないのだから、緊急に手を付けてもらわなくては困る。

テレビ報道であるが、民放の地震情報は、結構問題があると感じた。どことは言わないが概ねどの局も、情報の集まりづらいことも影響しただろうが、はっきり言って大げさで繰り返しが多い。災害のスキャンダラスな部分ばかりを繰り返す流すので、災害が現実よりも大きく、テレビを観る者に感じさせてしまう危険がある。だからここは、災害報道の情報規定のようなものを統一基準として早急に策定すべきだろう。結局、今のままではNHKしか信用できないという結果にならざるを得ない。この点、民放各社は考えるべきであろう。

今回で救いだったのは、各市民レベルの初期対応が、予想以上に冷静だったことだ。宮城や岩手は、これまでも何度も地震に見舞われ、各自が、どのように対処するかということでは、ある意味、心構えがあったと言える。仙台のおばさんに電話した所、『「本格的な地震が来たか?」と思って、まず火の始末をし、最小限の貴重品だけを持って、ドアを開け放って、逃げ道を確保した。』と語っていた。多かれ少なかれ、仙台市民の発生後の対処は、実に冷静だったようだ。

総括すれば、今回の地震は、震度6という揺れの割には被害が少なく、その点では不幸中の幸いであった。反面、冷静に振り返ってみれば、日本における地震防災対策のプログラムの欠如をいみじくもはっきりと浮き彫りにした自然災害であった。国や自治体には、これを災害の神の啓示として受け止め、早急にインターネットの情報収集などを骨子とした現実に見合った二十一世紀の時代の災害対策マニュアルを練り直してもらいたい。と同時に個人としても、災害時の連絡網としてのノートパソコンやバッテリーの確保、またIP電話の利用など、自分の身は自分で守るという自助の気概をもって、対策を打つべきであろう。どんなことを言っても、東京にも関東大震災クラスの大地震はやってくるのだ。それは明日かもしれない。佐藤

 


20035.28
 

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