ジョン・レノンに「グロウ・オールド・アロング・
ウィズ・ミー」(Grow old along with
me)というラブソングがある。素敵な歌だ。そう、ずっと思ってきた。だが、ほとんど知っている人がいない。
英語の「GROW」には、様々な意味がある。私は、この歌を聴いた瞬間、愛する人に、「Grow
old」と呼びかけたジョンの感性に唸ってしまった。もうずっと前のことだが。
歳を取るということは、本来魂の「成長」として考えられる。老いの先には、死の瞬間が待っていて、老いということに積極的な意味を持っている人は少ない。
あのブッダにしても、人生を生老病死の「苦」の世界と悲観的に感化することで、将来の王の座を捨てて、仏道修行に入った。老いることは、若いゴータマ・
シュッタルタと呼ばれたブッダが感じたほど悲観的なことではない。老いるということは、機械としての肉体の生命力が失われて行く過程である。それは病気の
リスクが高まる過程でもある。
しかし老いをもっと積極的に受け入れれば、老いの中に肯定的な意味が忽然と見えてくる。ジョンの「Grow old」に、私はある種の悟りをみる。
若い頃には、肉体の生命力が精神までをも支配してしまい自分の持つ精神本来の個性が顕れて来ないものである。老いるということは、ブッダの出家以来、常に
否定的悲観的に考えられてきた。
ジョンは、この歌によって、老いに積極的でより肯定的な意味を見いだしている。ジョンが「Grow
old」と歌った「老い」というものを、私がさらに哲学的な解釈を加えるならば、「老い」とは、自己本来の精神が顕れる時である。それは肉体のエネルギー
が弱まってきて、精神と肉体のエネルギーのバランスがほどよくなることを一瞬でもある。「熟年」の本来の意味はそこにある。つまり老いることは、精神が肉
体をコントロールし始める絶好の時期となる。とすれば老いこそ、人がこの世に生を受けた意味を理解し、生き生きと生き始める人生最良の実践期である。しか
し現在の社会システムはそのようになっていない。今の熟年期は、リタイアする人生の目標を見失う時期となっているのは残念だ。
黒
澤明の「生きる」という映画を思い出す。うだつの上がらない小さな町役場のノンキャリア(役人)が、退職を目前にし、癌と宣告され、余命幾ばくもないこと
を知る。そこで、彼は、はたと考える。「自分は生きていたのか」、「自分は何のために生まれたのか?」と。そして彼は自分が取り組める問題「小さな公園」
を守るために闘うことを決心するのである。それまでは、長いものには巻かれていた性格を一変させ、社会正義を貫こうとする。映画の中で、守り通した公園の
ブランコで彼が歌う「命短し恋せよ乙女♪」の歌声は圧巻だ。
三十代後半のジョン・レノンが、直感的に歌にした「Grow
old」という言葉に、私は人生の秘密を教えられたような気がした。「僕と一緒に歳を重ねて行こう」と恋人に呼びかけたジョンが、そこまで考えていたかは
分からないが・・・。
2005.7.2 Hsato