コメント

石見銀山「登録延期」の衝撃と平泉

佐藤 弘弥



高館橋の下の造成地(道の駅か?!)
(07 年5月4日 佐藤弘弥撮影)


 1 石見銀山ショック

07年5月12日の夜、日本中の世界遺産関係者に巨大津波のような衝撃が走った。この6 月、世界遺産登録になると思われていた「石見銀山」(いわみぎんざん 島根県大田市)の世界遺産登録に待ったが掛かったからだ。

マスコミ情報によれば、ユネスコ世界遺産委員会に、イコモス委員会が報告書を提出し、 「登録延 期」を勧告したようだ。これまで日本政府が推薦書を提出した「遺産候補地」で、取消や待ったが掛けられたことは一度もない。それだけに、文化庁を含めた関 係者の衝撃は計り知れないものがある。

これまで、石見銀山は、平泉などと同じ年の2001年に世界遺産の暫定リスト入りして依頼、順調に登録へのステップを踏んできた。その結果、平泉よりも一 年早く、今年の6月には、世界遺産に登録されるものと見なされてきた。

昨年6月に平泉で開催された「平泉の文化遺産」国際専門家会議(主催 文化庁、岩手県、一関市、奥州市、平泉町)の、「世界遺産フォーラム」の場でも、石 見銀山の世界遺産入りの状況について、大田市からの報告を聞く限り、まったく順調な足取りを踏んでいる様子だった。私には、平泉の先を行く世界遺産という マラソンレースの先頭を走るエリートランナーのように見えた。

島根県、大田市が主導し、地元の住民も一体となった「石見銀山行動計画」が策定され、この遺産を未来に永続的に引き継ぐための指針が明確に示されていた。 何しろ、石見銀山の研究はかなり前から進んで来ており、暫定リスト入りまでも、島根県と大田市は、30億円の予算と人材を投入して、万全の構えをひいてい たのである。




高館橋より平泉バイパス越しに高館方向を見る
(07 年5月4日 佐藤弘弥撮影)

 2 「登録延期」となった理由

イコモス委員会の指摘は、地元紙「山陰中央新報」によれば以下の5点となる。

(1)推薦書 「東アジアの地域のみならず欧州社会を含めた東西の文明交流の歴史に多大な影響を与えた鉱山遺跡」
 指摘「この点を証明する詳細な物証が示されていない」

 (2)推薦書「16世紀に独特の精錬技術を応用して銀生産を軌道に乗せ、採掘から 精錬に至る小規模な労働集約型経営を集積させることによって優れた運営形態を進化させ、大量で良質の銀生産に成功したことを示す極めて重要な考古学的遺 跡」
 指摘「さらなる調査研究が必要」

 (3)推薦書「銀山と鉱山町、街道、港と港町など、往時の鉱山運営にかかわる土地 利用の総体を明りょうに示し、山林に覆われて当時のまま保存されているところに価値がある」
 指摘「採掘活動がどのように顕著な景観を形成したのか明らかにする調査研究が必 要」

 (4)推薦書「構成資産として銀鉱山と関連した街道、鉱山町や港町を国の文化財と して指定・選定している」
 指摘「これらの指定・選定の範囲が不十分」

 (5)推薦書「他の鉱山遺跡との比較研究の成果を示した」
 指摘「アジア地域にある日本国外の他の鉱山遺跡との比較研究に関する情報が不十分」』 (「山陰中央新報」(07年5月14日)より引用)


以上、5つの指摘を、大雑把に見通せば、遺跡の価値そのものを、イコモスの調査委員が、石見銀山の遺産としての価値を理解できなかったことがまず上げられ る。

一方で推薦書を書いた日本側の人間からすれば、今でも石見銀山遺跡の歴史的・文化的価値の真性性の証明は十分だと考えていると思う。しかし肝心の遺跡の景 観が、どうなっているかということを考えてみれば、問題ははっきりしてくる。厳しい言い方をすれば、世界遺産の景観としてのクオリティが欠如しているとい うことだ。

山の中にある採掘坑道の龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)や、一見段々畑に見えるような製錬所(清水谷製錬所)、あるいはどう見ても、荒れた竹藪にしか見え ない銀山柵内(ぎんざんさくのうち)は、ユネスコ世界遺産の景観としては、はっきり言って物足りな過ぎる。この辺り、(3)の指摘によく現れている。山を 指して、ここで昔製錬が行われていた、と言っても、それを証明する物証とそれなりの美しい景観は絶対に必要なのである。

熊野・高野山・吉野を結ぶ古道が「紀伊山地の霊場と参詣道」(2003年)として世界遺産に登録されたが、この登録に際しても、単なる古道が登録されたの ではなく、熊野には熊野本宮・新宮・那智の三社があり、高野山には奥の院と檀上伽藍、吉野山には金峯山寺蔵王堂や吉水神社など、世界遺産のクオリティを満 たす構築物が厳然と存在しているのである。このように考えると、石見銀山遺跡に関しては、景観の修景と整備が不十分であることは、誰の目に明らかである。

このイコモス委員会の5つの指摘を読む限り、登録に至る道は、非常に厳しくなったという思いが強くする。また(4)の指摘にあるように、遺跡の範囲を拡げ たことも問題だったと思う。これにより、やはり焦点がボケてしまったということだろう。これは紀伊の参詣道の登録もあって、文化庁も、やや気が大きくなっ たようにも見受けられる。

やはり、遺跡範囲を限定し、研究成果を景観にしっかりと反映させ、過去の製錬の状況などを、美的感性を持って修景すべきだったのではあるまいか。問題は研 究書ではなく、実際の遺跡の醸し出す景観のクオリティそのものなのである。


 3 代表的景観が見あたらない岩見銀山

世界遺産登録に当たっては、石見銀山に限らず、ユネスコ世界遺産条約の定めるところによって、その遺産の普遍的価値についての真正性 (authenticity)の証明が必要となる。おそらく岩見銀山研究者が一堂に会し、練り上げられたはずの推薦書が、いとも簡単に蹴られた理由は、さ まざまなことがあったと思うが、私なりに解釈すれば、元々石見銀山の遺跡というものは、一目見て誰も分かるというヨーロッパの石の建築群とは、まったく違 う姿をしているという点にあるのではなかったか。もっと言えば石見銀山の代表的景観のイメージが湧いて来ないのが大きかったのではないだろうか。世界遺産 の価値は、一目瞭然なものを最良とする。推薦書や論文を読まなければその価値が理解されないようなものは、どんなに優れた文章を持って推薦しようとも難し いということだ。まず代表的景観計画を策定し、その景観をとことん磨き上げて修景する努力が必要だ。登録目前でありながら、岩見銀山を代表する景観がない のは、やはり少し問題だったのではないだろうか。さらに街道や港周辺までの広い地域を一帯として遺産の範囲としたことで、いったいこの世界遺産は、何を見 せたいか、焦点が少しボケてしまったことはなかっただろうか。




高館橋の南から束稲連山を見る
向かって左から駒形山・束稲山・観音山
(07 年5月4日 佐藤弘弥撮影)

 4 平泉は大丈夫か?
 
遺産の範囲を当初よりも拡大したということについては、同じ年(2001)に暫定リスト入りした平泉にも当てはまる可能性がある。平泉には今秋にイコモス 委員会の調査委員がやってきて、来春に調査報告書をユネスコに提出し、夏にも登録される運びとなっている。

また「銀山」というものの普遍的な価値が証明されていない、というのであれば、「浄土思想」というものも、同じことが言えるのである。「浄土とは、いった い哲学なのか、宗教なのか」と正直な見解を吐露されたイコモスのオランダ委員のロバート・デ・ヨング氏の昨年6月の指摘は、まだ生きていると考えるべき だ。

昨年12月にユネスコ世界遺産委員会に提出された平泉の「推薦書」によれば、「浄土思想に基づく・・・」という言葉を簡単に言って、日本人の認識を前提に して記述しているが、浄土思想そのものが、西洋人にとっては、極めて難しい概念で、私は「浄土思想」を持ち出す前に、平泉を中心とする東北地方で起こった ゴールドラッシュとそれに伴う戦争の悲惨を説明し、初代清衡が到達した平和思想をこそ、強調すべきであると考えている。浄土思想という時には、マミダーバ (阿弥陀信仰)の説明も必要となる。それであれば、西洋人に対して、世界遺産条約の前文の先取性も比較的容易に証明できる「中尊寺落慶供養願文」の平和思 想の根本を詳しく説明し、恒久平和の理念を持って建設された都市「平泉」の普遍的歴史的価値を全面に押し出すべきである。

今回の「石見銀山ショック」の余波は、当然平泉にも伝わっているようだ。平泉町の高橋一男町長は「延期という前例のない勧告内容を正直驚いている。平泉も 足りないものが何か分かれば手も打てるだろうが…」(岩手日日新聞 5月14日)と戸惑いを隠せない様子だ。

事実、昨年6月の「専門家会議」以降、「金鶏山の鉄塔問題」、「高館の変電所問題」、「看板問題」などの改善が、急務とされているが、看板以外改善の見通 しは立っていない。それより何より、最大の問題は、コア・ゾーンである柳の御所跡が、工事現場の様相を呈し、遺産としての環境がすこぶる不良となっている ことだ。傍らには、平泉バイパスが、壁のように聳えて北上川という重要な川辺の景観を破壊し、100mほど東に移転し河道を変更されている有様だ。世界遺 産で重要なことは、遺跡の形状などが、不明なものを復元しないことだ。平泉の柳の御所周辺の景観は、まったく別の景観に変えられた上に、史跡公園を作る計 画があり、安易な復元の思想が、無量光院までの周辺地域を支配していることも問題だ。そこで住民は強制的な立ち退きを強いられ、さらにには、北上川の河川 敷周辺に、「道の駅」などという歴史的に普遍妥当性のない妙な構築物が国土交通省によって建設されようとしていることだ。

昨年の「平泉文化遺産」国際専門家会議では、そそくさと見せたくないところは、さっと流して、見せたので、問題も指摘されなかったかも知れないが、世界中 の遺跡を調査しているイコモスの専門家が独自の視点で、様々なチェック項目を持っているはずだから、現在の工事現場そのものにしか見えない北上川、衣川周 辺の遺跡群を見て、何でここまで遺跡を荒らすのか、と思わない方が不思議である。

さて平泉の推薦書には、その柳の御所跡について、『奥州藤原氏の政庁「平泉館」に比定され、政治・行政の中心的な施設であったことを示す地下遺構や豊富な 遺物が良好に残されている』というが、往時の景観が平泉バイパスによって、完全に破壊され、何をもって良好に残されていると言えるのか、この推薦書を策定 した人物の思いを知りたいのである。

最後に、石見銀山ショックの結論を導きたい。これまでの日本政府が推薦した13箇所の遺産が、問題もなく登録された中で、石見銀山が、「登録延期」となっ たことは、これまでの日本スタイルの登録へのステップに変更を迫るものと反省すべきだろう。学者・研究者を総動員しての真正性の証明以前にすべきことが あるのではないだろうか。それは、はっきり言えば、外国人がその遺跡を一目見て、「美しい」とか、「これは価値がある」とシンプルに理解できるような景観 を整備することだ。それこそが「コア・ゾーン」(核心地帯)の概念なのである。

これまでの世界遺産の多くを見れば、「切り取ったように美しい景色」が必ずあるものだ。残念ながら石見銀山には、それが見あたらないのである。このままだ と、今後においても、遺産の証明はたとえ出来たとしても、それが世界遺産として認められることは難しいと言わなければならない。この点は平泉と岩見銀山は 決定的に違う。平泉には、金色堂や大泉が池など、誰が見ても一目瞭然に美しいと実感できる景観がある。平泉において問題なのは、過剰な開発思想によって、 バイパスができ、河川改修 が進み、あってはならない遺跡のすぐ脇が工事現場そのものと化していることだ。特にコア・ゾーンとして、景観破壊の著しい柳の御所遺跡、無量光院遺跡があ ること は逆に、ネックになることが予想される。現在の平泉で、世界遺産としての価値を十二分に有していると思われる地域は、中尊寺、毛越寺、達谷窟(西光寺)、 骨寺 遺跡の4箇所と言ってよい。一関骨寺の場合は、村の中央を流れる本寺川のコンクリートを自然工法で、せせらぎに戻すことが早急に必要である。

(2007.5.14 平泉景観問題HP 代表世話人 佐藤弘弥記) 

2007.5.14 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ
平泉景観問題HP