日本の医療が危ない

−聖域なき財政再建のツ ケが医療現場に落とす影−


東京近郊に住む知人の話しである。最初はどうも偏頭痛がしていて、鎮痛剤などを飲んで 紛らわせていた。しかし一向に症状は、改善せず、歩いていると平衡感覚がない自分に気づき、病院に駆け込んだのであった。掛かり付けの医院で脳の写真を撮 ると、「悪性か良性かは判断できないが、大きな病院で精密検査が必要」ということで、某大病院を紹介される、約束の日にその病院に行くと、緊急の用事とか で担当医はいず、一週間後に、再度行くと、「脳腫瘍」との診断が下された。後頭部にかなりの大きさの腫瘍があるという。

ところが、ここからが問題だった。担当医は、手術のスケジュールが1ヶ月半後位にしかどうしても取れないというのである。知人はしぶしぶそのことを同意 し、家に戻る。しかし数日が経過すると、歩く時の支障とともに、徐々に言葉が詰まるようになった。しかし大病院の担当医は、スケジュールはどうしても変え られないというのだ。

周囲は、本人の症状が日に日に進むこともあって、別の病院に行くことに勧めた。そこで再度精密検査の結果、「放射線治療」をする治療方針が出された。同意 し、その治療を試みることになった。彼は民間の保険会社の医療保険に入っている。契約によれば入院と手術には、それぞれ給付金が出ることになっている。と ころが、彼が放射線治療で入院をすると、3日で退院させられることになった。入院待ちの患者がいて、ベットが足りないせいだと医師は説明した。周知のよう に入院は4日以上で、3日だと免責となり一切お金は出ない。結局、入院給付金は下りず、手術給付金のみが払われることになった。

以上のことを少し分析するだけで、日本の医療をめぐる厳しい現実が明らかになる。病院は慢性の人手不足に加え、ベット数も足りないこともあり、適宜・適切 な治療が患者に施せない現状にある。したがって入院も極々最小限で退院させてしまう現状にある。こうなると病院と医療をめぐる問題は、もはや社会問題その ものなのである。

かつて東京では、多くの救急病院があったが、最近では救急指定を自ら取り下げる病院が増えているという。慢性的な医師看護士不足や多発する医療事故訴訟な ど、病院の立場からすれば、リスクに見合わない状況が顕在化し、病院はやむを得ずそのようにせざるを得ない現状にある。このことは聖域なき財政再建という 大きな財政政策の転換によって、医療制度そのものにツケが回っていることになりはしないか。リハビリ制度の改悪同様、患者にとっては命の綱とも言える医療 現場において容易ならぬ事態が起きていることはもはや明らかである。

最近まとまった「医師の労働実態調査」(「深刻な医師不足を打開するための私たちの提言」日本医労連 07年4月24日発表より)でも、医師と医療現場を 取り巻く異常なほど苛酷な勤務実態が明らかとなっている。

それによれば、3割の医師が「過労死ライン」の月80時間以上の超過勤務をしていること、さらに3割近くの医師が、前月の休みがゼロと回答しているとい う。この現状は非常勤医や研修医でも同じで、彼らも月平均78時間の超過勤務をせざるを得ない状況に置かれている。中でも、苛酷な勤務もあり深刻な医師不 足が指摘されている産婦人科医や小児科医の場合は宿直回数が月平均で5.5回、4人にひとりが8回以上の宿直をこなしているという実態である。これでは患 者の実態に即した質の高い医療など望むべくもない。

現在、救急指定の病院の前はラッシュアワーのような状況が見られ、次々と運ばれる救急車が並んでいる状況も珍しいことではない。一方で入院している患者 は、病院側も緊急性の患者を優先するために、点滴が終わった後もなかなか点滴の注射針を抜いて貰えないような現実があるのだ。

ここにも病院の人出不足が影を落としているのである。こうした医療現場の混乱を見るとき、日本人の健康維持装置としての医療システム(ライフライン)に危 険信号が点滅し始めていることを強く感じる。東京の現状がこうなのだから、地方については推して知るべしである。

医療の危機が叫ばれて久しい。日本の医療は本当にこれで良いのか。これで世界第2位の経済大国日本の医療制度と胸を張って言えるのか。何のために私たち日 本人は高い税金を納めているのだろう。豊かさを少しも実感できない先進国日本の医療はいったいどうなってしまうのか。(佐藤弘弥記)


2007.4.26 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ