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「イマジン」の哲学
 

−「想像(イマジン)」の翼を心の奥に持つ−


 
ジョンレノンは、「イマジン(想像してみよう)」と言った。

想像とは、頭の中で、何かを想い描くことである。ジョンは、まず、「天国も地獄もない社会を想像してみよう。我々の頭上にはただ空が広がっているだけではないか…」と歌う。「天国」は「地獄」の反対概念である。「地獄」という空恐ろしい世界があるからこそ、人は「天国」という概念を持ち出してきて、恐怖感を和らげるクッションとして使う。

つまり「天国」を想像することは、「地獄」の存在を了承している証拠なのだ。ジョンのように「地獄なんてない。」と、確信できれば「天国」だっていらない。広大に広がる空以外に、いったい何が必要だというのだ。そうジョンは言いたいのかも知れない。しかしこれはジョン自身が無神論者であることを示唆するものでも、虚無主義(ニヒリズム)を他人に勧めているのでもないことは明らかだ。これまで多くの恐怖概念によってイメージ付けられてきた天国と地獄というイメージを吹き飛ばして、もっと自由に想像の翼を持たなければいけない、とジョンの創造的直感が感じ取っているのである。

想像することは、新しい社会概念を構築することに通じる。むろんそれは、人間の意識の外部に、個体としてビルを建設するような生易しいことではない。言うならば、想像することは、深い自己の心の奥底に形成する「想像(イマジン)の翼」なのである。

ある時、オノヨーコが、70年代後半の時期、日本に来て、確か福島かどこかのコンサート会場でこのように言ったことがある。
「私は皆さんの潜在意識に呼び掛けているのです。それはあなたの20年後の意識に対してであり、30年後の意識に対してです。ですからどうぞ、心の奥で私の話を聞いてください。」

面白い問いかけではないか?潜在意識で聞け、と言われても、どうしていいのかわからない。でもとにかく、その20年は過ぎた。その時、オノヨーコが言ったことは、すっかり忘れて、このあなたの潜在意識という言葉ばかりが脳裏に残っている。まあ、おそらく想像の翼をたくましくしなければ、世の中は見えて来ないということに尽きる。

ジョンとヨーコが書いたという「イマジン」という歌は、その意味で、個々人の潜在意識を目覚めさせる気付け薬の効果を持つ歌かもしれない。それにしても我々のイメージは、多くのステレオタイプの既成概念によって、がんじがらめに押さえつけられていて、本来人間が持っているはずの想像力を殺されているということになる。

想像の翼が頭の中に生えてきたら、様々なことが、まず潜在意識の中で起こるのかもしれない。そうなると自分を縛っていた国家という概念も消え、宗教による癒しも必要なくなる可能性だってある。元々人間の心には、神の概念と重なり合う、神聖な領域があるのだ。それをユングの言葉で言えば、「集合的無意識」ということになる。禅の言葉で言えば、「自分の中から来る光りだけを信ぜよ」、となる。

もしも人間の潜在意識の中にあるという神聖なる心の領域にスイッチが入って、「想像(イマジン)の翼」がバタバタと羽ばたきを始めたら、人間は自分では想像も付かないような、次元の高みまで、飛翔できるはずである。その意味でもジョンレノンの「イマジン」という歌は、単なる非暴力や反戦の歌などではない。それは人間の本来持っている想像力を開放し、増幅し、世界中の人々が、多様な考えを認め合いながら、平穏に暮らすことの素晴らしさを呼び掛けた未来からのメッセージソングなのである。

つまり「イマジン」は、ジョンとヨーコの潜在意識を源としながらも、いつしかそれは遠い未来にある崇高なる精神と合致して、現代に生きる人間の神聖なる意識領域に、しみじみと働きかけてくる未来からの呼び声なのである。でもその内容はいたってシンプルだ。こんな風に、

「何でも、まずは夢想(イマジン)から始まるのだよ」と。佐藤
 

 


2001.9.28

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