日本人の自我は薄い?!

 

確かに、欧米人に比べ、多くの日本人は、自分の意見や価値観を持っていないように見える。自分の意見だと本気で思っていたものが、実はいつかテレビで聞いたキャスターの意見であったり、雑誌で読んだ話だったりすることも多い。

元々日本人は考えるのが苦手で、親や先輩に従うのが美徳とされる傾向がある。それに対して欧米の人間は“I think that…”(私はこう思う)と自分の意見を言葉で表現する。これはまさに大きな違いだ。日本では若い人間が意見を言うと、生意気だとさえ言われる。欧米では自分の意見を言えない人間は仲間にすら入れてもらえない。 

ある心理学者によると日本人は欧米人に比べて自我の層が薄いと言われる。これはおそらく人種的特徴ではなく、神代の昔から支配者に都合のよい従順で扱い易い人間を、時の権力者が、いわば人間を家畜化してきたせいかもしれぬ。島国という地理的な条件も丁度幸いしたことは確かだ。家康の鎖国政策が、その典型的な愚民化の例だ。日本人は、まさに飼い慣らされた家畜に近い人種といったら言い過ぎだろうか。欧米人のように、個が確立し、はっきりした自我をもっていれば、いくら国のためとはいえゼロ戦に爆弾を積んだ「神風特攻隊」や一人乗りの陳腐な潜水艦に魚雷を抱えて敵の船に体当たりする「人間魚雷回天」という命令に従うものがいるとは思えない。 

太平洋戦争以前と以降で日本人の考え方がかなり変わってきた、という人がいる。しかし私はこれはうそだと思う。依然として日本人は体制に迎合的であり、自分なりの意見を持ってはいない。ただ勝者アメリカ人が与えてくれたアメリカ的な感覚に雰囲気で乗っているだけに過ぎない。 

自我の確立とは、エゴイスティックに自分の意見を述べることではない。それは自分の存在の価値と意味を絶えず意識し、自分の回りや自分の中で起こる様々な変化に対して、自分自らが、主体的に、また真剣に関っていくことではないかと思う。自我とはその中で出来てくる心の葛藤であり、自分なりの個性的特徴的なる意見である。自我というものを意識して厚くする気持ちが大切だ。佐藤 
 


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1996.9.10