イチローのWBC最後のヒットの心境を禅で解く

イチローのWBCでの最後のヒットのシーンを観戦し、その後のイチローのヒーローインタビューを聞きながら、ふと私の脳裏を「十牛図」のことが過ぎった。

?周知のように十牛図は、中国の北宋時代に成立した禅の指南書である。簡単に言えば、人間が自分探しの旅に出て、本来の自分を見つけ出して、悠々自適に生きるという、自己発見のマニュアルのような本で、自己発見の10の段階が円の中に図解されているものだ。

?一般には、悟りに居たるための書と考えられているが、私はそのような小難しいものというよりも、比喩的に自分を見つけるためにはどうしたらいいか、ということで、記されたものと思っている。

?そこで今回のヒットで何故イチローかと言えば、イチローがたまたま、こんな言葉を理性の回路を通さないような感じでしゃべったからだ。

?川崎選手に、彼はこの大会を通じて、自分が出ない時も、出た時も、一番声を出して頑張っていた選手、だからあの一、三塁のチャンスに、全部お前がもって行け、と思って送り出したが、凡打となり、自分に打順が回った。その時、自分を上から実況するような気持ちになって、さてイチロー選手がバッターボックスに入ります。そして日本ではえらいことになっている。ここで打てば、大変なことになる。こんな時にはたいていダメなことが多いのです・・・。欲が出ているわけですから。ファールを重ねる内に、さあイチロー選手高い玉をファールしました。そして何球目かに、低い球をファールした時、確信しました。もし勝負してくれたら、高い確率でヒットが打てると。そしたらそこで、自分での実況が終わり、あのヒットが打てました。

?これは、ある種の悟りではないかと直観した。十牛図では、悟りの境地は第8番 目の「忘牛倶忘」(じんぐうくぼう)である。これは暴れ牛である自分本来の心を取り戻して家に戻った人間が、ある時、暴れ牛の心も自分の心も、どちらも忘 れてひとつになるという境地である。これを図ではただの「」と書く。これは心を表すともされるが、とにかく「」 一字で、悟りの境地を指すと言われる。次の第9の境地は、「返本還源」(へんぽんげんげん)で、この時の図は、人間がまったくなく、春先と思われる自然の 芽吹く風景画生命力溢れる形で描かれる。最後の第10の境地が「入?垂手」(にってんすいしゅ)で、これは悟りを得たほてい様のような人物画、楽しげに街 をかっ歩する画となる。ところでこの「入?垂手」には、悟りもなにもかも忘れ、街に入って思う存分遊ぶという境地である。禅的に言えば「三昧」(ざんま い)に人生を楽しむということが近い。

?私は、イチローの長島茂雄さんを彷彿とさせるほどのハイテンションのインタ ビューと、自分を客観的に上から実況したということ、それからある一点で、静かになり、ヒットを打てたということから、イチローの心境が、第10の境地 「入?垂手」から第8の境地の「忘牛倶忘」という具合にチャンネルチェンジしたのではないかと感じたのである。

?私は、このイチローという類い稀な感覚をもったアスリートの凄さに、鳥肌が立つ思いがしたのであった・・・。
(佐藤弘弥記)


2009.4.3 佐藤弘弥

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