風神雷神図の想像力

 
俵屋宗達 風神雷神図
              俵屋宗達 「風神雷神図」 京都 建仁寺 国宝
 
昔、ある若い絵師が、殿様に「屏風に最強の虎の姿を描いてくれ」と頼まれた。この絵師にとってはまたとない好機であった。殿様にこれまで仕えていた年老いた絵師が死んで、殿様は、新しい絵師を探していたのだ。

ところが引き受けてはみたものの、絵描きは、困ってしまった。何故なら、この絵師は、虎など見たことがなかったからだ。仕方なく、先輩絵師の描いたものを見たりして、どうにか下絵を描いてみたのだが、何度試しても、大きなシマ猫にしか見えない。

一度虎をみるしかないと決心したこの若い絵師は、虎を飼っているという家をどうにかさがしあてて、門を叩いてみた。すると「虎は死んでしまった。今家にあるのは、皮(剥製)だけだ」と言われてしまった。「それでもいいので、模写させてください」と頼んで、どうにか、虎の下絵を描いた。

「死んだ虎では、虎の恐さが絵に出ないのでは?」と思いつつも、一目さんで仕事場に戻ると、三日三晩、この絵にかかりっきりになって、ついに大虎の絵をどうにか完成させた。殿様に絵を献上すると、絵に対して目の利かない殿様はたいそう喜んで、「なかなか良い出来映えだ。わしの絵師としてお前を召し抱えることにしよう」と、いうことになった。絵師は何度か、この絵は死んだ虎を描いたので、自分としては、たいした出来映えではない、と殿様に言おうとしたが、殿様があんまり、喜ぶものだから、ついに言いそびれてしまった。

翌日、絵師は、殿様に呼び出された。殿様は「今度は、風神と雷神を描いてはくれまいか」と注文された。殿様の厚い信頼と期待の手前、「分かりました」と言ってみたものの、絵師は困り果ててしまった。第一、風の神や雷の神なんて見たこともない。人の話では、京の都の建仁寺という禅寺に「風神雷神図」というものがあるらしい、ということを聞いて、京に上ることになった。建仁寺は、栄西の開いた禅宗の寺である。風神雷神図以外にも、龍の絵など、優れた美術品がある。
 

この「風神雷神図」という屏風絵を前にして、若い絵師は、腰を抜かすほど驚いてしまった。「何ということだ。この世にこんなすごい絵を描く人物がいるのか。なぜこんな絵が描けるのだろう」そう思うと、是非ともこの絵を描いた俵屋宗達という人物に会いたくなった。若い絵師はとにかく聞きたかった。

「どうしてこのような恐ろしい絵が描けるのですか」すると、宗達という大絵師は笑いながら、「そうじゃな、見たい見たいと思わないことかな」と答えた。「見たいと思わない、とは、いったいどういうことでしょう」「想像すること、頭の中で考えることじゃよ、さすれば、必ず描きたいものが、あちらから姿を見せてくれるものじゃ

若い絵師は、はっとした。自分がこれまで、何かにつけて、見なければ描けないと、頭から考えていることに気づいたのである。宗達に深々と頭を下げると、この若い絵師は、もう人まねはよそう。もし絵の題材がこの世にないとしても、自らの想像力を持って補えばいい、そう決心したのである。

そして若者は俵屋宗達とは、まったく異なる「風神雷神図」を描ききった。それを見た殿様は、いたく感心して、「わしは京の建仁寺で別の「風神雷神図」を見たことがある。もしかしたら、その模写のような作になるかと、期待していたところもあった。実はあの絵がわしは欲しかったのだ。しかしわしは、そなたのこの絵を見たとき、そんなことはどうでも良くなった。まさしくそなたの風神雷神図に心を動かされたのだ

見たから描けるものではない。創造力とは、想像力のこと。自分で考え、思考すれば、アイデアはどこからか必ずやってくる。佐藤
 


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1997.8.25