見過ごしている宝石

般若心経の智慧について

今日は智慧の付く話をしよう。 

人が見過ごしているものの中に、宝石のような価値のあるものが存在することがある。逆に、人が宝石と思っているものの中に、完全なまがい物が紛れていることがある。 

例えば、「般若心経」という短い256文字の短いお経がある。しかしこのお経を知っているという人はいても、真の意味を理解しているという人はほとんどいないはずだ。 

そもそも般若とは、智慧(ちえ)のことである。智慧とは、我々が日常に使う知恵と、少し異なっている。智慧とは、世の中のあり方や現象の深い知識のことである。それに対して知恵とは、生活をしていく上での、知っていた方が便利な知識のことである。つまり般若心経を暗記していることが知恵であり、般若心経の内容を深く理解していることが智慧である。 

般若心経とは、この智慧を理解し、自分の人間性を完成させるための教えなのである。多くの人は、お経というと、誰かが亡くなった時に、唱えるものと思っている。これがそもそも固定観念である。生きている人を救い、その人間の智慧を完成させようとするのがブッダの深い教えなのである。その般若心経を簡単に訳して見よう。あなたはそれを読んで、何だ般若心経とは、こんなことだったのかと思って、驚くであろう。 

般若心経(智慧の完成のための教え)

「まずブッダが弟子に向かってこのように言う。 

その昔、自分の道を捜している人が、  

この世の全ての現象は、移り変わり、変化するものであると知って、苦悩から逃れた。 

要するにお前の存在そのものが移り変わり、常に変化している。 

変化そのものがお前という存在の本質だ。 

だからお前の、感情も、観念も、意志も、知識すら変化していくものなのだ。 

お前という存在と同じように、世の中の全てが変化そのものである。 

新しく生まれる人間がいれば、一方では死んでいく人間もいる。 

汚いも、きれいもなく、増えることも減ることもない。 

世の中には、移り変わっていくという定めがあるだけだ。 

だから世の中に、感情も、観念も、意志も、知識など、あるわけはない。 

当然、眼も、耳も、鼻も、身体も、心もなく、 

色も、声も、香りも、味も、感触も、現象も、感じることなどできないのである。 

ただひたすら変化していくという本質があるだけだ。 

眼で見る世界がないのだから、意識する世界もない。 

長い時間で、世の中の本質を生成変化と考えれば、生も死もないと同じだ。 

生も死もないのだから、苦悩もない。  

苦悩の原因も、苦悩を取り除く方法もない。 

だから道を求めるものは、一切の浅はかない夢を捨てて、 

智慧の完成を目指し、ひとり静かな世界にたどり着くのである。 

過去も、現在も、未来も、道を求めるものは、智慧の完成を、 

目標とすべきである。 

お前もそのことを理解しなさい。  

そう言ってブッダは、次のような祈りの言葉を高らかに述べたのである。 

求めるものよ。求めるものよ。ひたすらに道を求めるものよ。 

理想の道を求めるものよ。  

悟れば、幸あり!!


これが「般若心経」の全貌である。もちろん佐藤が訳したものだから、よその人間の解釈とは若干違う。そんな馬鹿なと言われる人もあるかも知れぬ。しかし少し素直な気持ちになって、これを読めば、般若心経が、ただ単に死んだ人を導く為だけの教えではないことが分かるはずだ。実はこの余りにも有名なお経は、むしろ生きている人間を導くための教えなのだ。

我々は余りにも、固定観念をもって世の中を見過ぎている。おそらくお寺の坊さまだって、この教えの本質を深く理解している人間は少ないと思う。ただ教えられるままに読んだのでは「論語読みの論語知らず」ならぬ「般若読みの般若知らず」となってしまうのがオチだ。 

損や得ばかり考えていると、深い智慧はつかないと思った方がよい。このほかにも我々が見過ごしている宝石はきっとある。あなたのまわりにも…。佐藤

 
対訳 般若心経
佐藤弘弥

摩訶般若波羅蜜多心経 (仏陀が説かれた)大いなる智慧の完成のための教え。
観自在菩薩。     (仏陀が言う)ある時、観自在という求道者が、
行深般若波羅蜜多時。  智慧の完成を、深く実践修行し、
照見五薀皆空。     五薀(色受想行識)がすべて空だと見抜いて、                            
度一切苦厄。      一切の苦悩を超越した。
舎利子。       (仏陀が言う)舎利子よ、
色不異空。      (そなたの)体は空と異なるものではない。
空不異色。       空は、そなたの体と異なるものではない。
色即是空。       すなわち(そなたの)体は空であり、
空即是色。       空はすなわち(そなたの)体なのだ。
受想行識。      (体が空であるから)感情も、観念も、意志も、知識すら、
亦復如是。       また空そのものだ。
舎利子。       (仏陀が言う)舎利子よ、
是諸法空相。      諸々の世界の営みは、空の姿で現れる。
不生不滅。       生じることもなければ、滅することもない。
不垢不浄。       汚いということもなければ、きれいということもない。
不増不滅。       増えるということもなければ、滅するということもない。
是故空中無色。     だから、空中は無色で透明なのである。
無受想行識。     (体がないのだから)感情も、観念も、意志も、知識すらない。
無眼耳鼻舌身意。    眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、心もない。
無色声香味触法。    だから色も見えず、声も、香りも、味も、感触も、現象もない。
無眼界。乃至無意識界。 目で見える世界がないのだから、意識する世界もない。
無無明。       (この世には)無知もなく、
亦無無明尽。      また無知が尽きることもない。
乃至無老死。     (この世には)老いも、死もなく、
亦無老死尽。      また老いや死が尽きることもない。
無苦集滅道。      苦もなく、苦の原因も、苦の超越も、苦の超越の方法もない。
無智亦無得。      知ることも、得ることもない。
以無所得故。      得ることがないのだから、
菩提薩陲。       道を求める者は、
依般若波羅蜜多故。   智慧の完成を一身に願い帰依し、
心無圭礙。       心には、一点の曇りもない。
無圭礙故。       心に曇りがないのだから、
無有恐怖。       畏れもない。
遠離一切顛倒夢想。   一切のはかない夢物語を遠ざけて、
究竟涅槃。       ついに一人こころ静かなる世界に遊ぶ。
三世諸仏。       過去、現在、未来の諸々の目覚める者は、
依般若波羅蜜多故。   智慧の完成を一身に願い帰依し、
得阿耨多羅三藐三菩提。 比べるものとてない無上、正等、普遍の智慧を得る。
故知般若波羅蜜多。   だから(舎利子よお前も)智慧の完成の真言を知りなさい。
是大神呪。       これは神秘の真言である。
是大明呪。       これは光明の真言である。
是無上呪。       これは無上の真言である。
是無等等呪。      これは無比の真言である。
能除一切苦。      一切の苦を見事に取り除く。
真実不虚。       真実である。嘘ではない。
故説般若波羅蜜多呪。  だからこそ智慧の完成の真言を説くのである。
即説呪日。       そして(仏陀は)その真言を、高らかに説いて言われた。
羯諦。羯諦。      往ける者よ、往ける者よ。
波羅羯諦。       彼岸に往ける者よ。
波羅僧羯諦。      すべての彼岸に往ける者よ。
菩提薩婆詞。      悟りよ、幸あれ。
般若心経。       智慧の完成のおしえ。
 

 

2000/01/12 佐藤弘弥

義経伝説ホームへ