標準語はつまらない ・方言は面白い

 

最近地方の若い人が方言を使わなくなって、妙に標準語とやらのNHKのアナウンサーが使うような、話し方をするのは興ざめな感じがする。やはりテレビの影響は絶大のようで、若者は、つまらない標準語やら、さして意味もない連続ドラマの主人公が話すように話すことにカッコの良さを感じているようである。

そもそも標準語を東京弁と思っている人がいるようだが、とんでもない。東京にも、れっきとした江戸弁独特のお国訛りというものがあるのである。嘘だと思えば、神田あたりで、お寿司屋さんに入って、そこにいるオヤジの言葉を聞けばすぐ分かる。
「最近は神田っ子もめっきり減って、こちとら形見がせまい」そんな話を、どっかの店のオヤジから聞けるかもしれない。

今では威勢のいい純な江戸弁を話す人もめっきり少なくなった。今は標準語でお茶を濁す地方人が、東京そのものを占拠してしまった感じさえする。やはり東京の人間も、東京が一地方であることを認識すればいいので。その意味でも、東京もんも、江戸弁ぐらい使えなければ、江戸っ子などとは言えないのである。

いまやお国訛りとしての方言は、佐渡島のトキのように住処と行き場を狭められていまった感がある。これは冗談だが、やがて日本中が、NHKのアナウンサーと化してしまったらどうなるのだ。

私は歳を召した老人が、お国訛りで悠然と話しているのをじっと聞くのが好きである。言葉の意味が聞き取れずとも、方言には、それを超えて、人に訴え納得させてしまう力がある。その発音の抑揚にリズムや音楽を感じ、何ともいい気分になる。

昔仙台に佐々木更三という代議士がいた。社会党の委員長までなさった人物で、その人の人を喰ったようなズーズー弁は、答弁の内容や政治的立場はともかく、少々辛辣な自民党批判であっても、彼の言葉には、その端々にユーモアセンスが溢れていて、実に清々しい感じがしたものだった。

現在言葉の上では、地方の時代などと喧伝されてはいるが、方言を重視しするような国語教育を押し進めているという地方があるなどとということを、とんと聞いたことがない。そもそも国語教育自体が、私にすればNHKのアナウンサー養成所でもあるまいに、歴史教育が、郷土史教育でないように、ますます東京中心の味も素っ気もない標準化の画一的な言語教育としか思われない。これは文部省中心の国語教育の考え方と大いに関係がある。

その意味では、アナウンサーが平気で関西弁を使っている関西的な思考方法を、他の地方も見習えば良いと思う。つまり標準語とは、世界の人々と話すときの公用語の英語と同じであって、いったん地方に入ったならば、お国訛りでしゃべり通す位のバイリンガル感覚を持っても良いのではないか。

本来持っていたもの(文化としての方言)を捨て去って、何が何でも標準語になびいてしまうという感覚は、言葉は悪いがポリシーもアイデンテイテイ―の欠如した物乞い根性ではないか。我々ももっと方言を見直し、真の地方文化の時代を実現したいものである。佐藤

 


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2000.2.8