炎の人観る

佐藤版「炎の人」



滝沢修氏逝去の報に接し、矢も盾もたまらない気がして、6月25日(日)、新宿紀伊国屋「サザンシアター」に向かった。

もちろん劇団民芸創立50周年記念「炎の人」(ヴァン・ゴッホ小伝)を観劇するためだ。もちろん私は前売りチケットは手配していない。思い立った時、勢いで行くのが、佐藤スタイルである。最初から行動を決めてしまっていては面白くない。劇団に電話で当日券があることを確認すると、12時30分過ぎに劇場ロビーに着いた。劇は1時半に始まる。補助席もあったが、後ろの席で自分を納得させた。ロビーを見渡した。無意識に、故滝沢氏の影を探した。しかし22日に亡くなった劇団代表滝沢修氏の影はどこにもなかった。ただ故人の遺志を継いで、淡々と劇団の遺産としての「炎の人」を演じようというのだろう。素直に滝沢精神を受け継ぐ劇団の志の高さというものを感じ感動を覚えた。これこそが故人に対する最良の供養かも知れないと思った。ともすれば創設者が亡くなり、ぎくしゃくしてしまうのが組織というものの現実だ。心の中で、「滝沢さん素晴らしい劇団を作られましたね」と冥福を祈った。

やがて1時半が来て、幕が開き、第一場が始まる。少し違和感があった。正直に感想を云わせて貰えば、炭坑夫達のストライキに巻き込まれて宣教師失格の烙印を押される場面であるが、この場面は、プロレタリア演劇時代の影を引きずっていて、納得が行かなかった。炭坑夫達のストライキと言ったって、今の人でピンと来る人がいるだろうか。そもそも現代の人で、炭坑夫とはどんな仕事する人かも分からない人がいる。日本でも全国の炭坑自体、ほとんど閉鎖されてしまってないのだから、この場面には演出に工夫がいる。思い切って、セリフを代える位のことをやっても良いのではないかと思った。

やはり演劇は、生きものだから、五〇年前の戯曲で時代に合わなくなった所は、変えても良いのではあるまいか。また宣教師の卵のゴッホを切る神父の冷たいセリフ回しに、配慮の欠いた嫌らしさのようなものを感じた。おそらく作者三好十郎という人物の中にある宗教に対する考え方が反映しているのだと思うが、あのように無神論者的なゴッホ像を作り上げていいものか、いささか疑問が残る。

全体としてこの第一場で開示される階級社会の矛盾が、その後まったく展開されることなく、この場だけで終わるのであれば、思い切って、この第一場は、書き換える勇気があって良いと感じた。ともかくいったん開示された社会矛盾の論理が店晒(たなざら)しにされて消えてしまうのはおかしい。今回の演出では、セリフをかなりカットしてあるらしいが、原文を読んでいないので何とも言えないが、もしかしたらこれは戯曲の構造上の欠陥かもしれない。もしこの場面を私が作るとすれば、こうである。(大雑把にスケッチ)

* * * *

第一幕
 第一場
ベルギーの炭坑町
ゴッホの借家
幕が開き、暗闇から、モーツァルトのデベルテイメント(奇想曲、k334番?)が軽快に流れる。唐突に終わると、ドアをノックする音が響き渡る。ドンドンドンドン。同時に照明が付く。
ストライキで傷つき倒れた炭坑夫が、よろよろとゴッホの部屋にやって倒れる。名はハンス。この町の炭坑夫だ。顔は、石炭で黒人のように真っ黒である。
炭坑夫ハンス「どうしよう。仲間が次々と逮捕されている。どうしよう。ゴッホさんどうしよう」
ゴッホは、途方にくれる。悲しい顔をする。感情がこみ上げて号泣し倒れ込む。
ゴッホ「許してくれ、ダニエル君たちの為に、自分は何もして上げることが出来ない。許してくれ。」
びっくりした炭坑夫ハンスが、逆になだめるようにゴッホを抱き起こす。その音に気づいた家の老婆アンナも駆けつける。
老婆「どうしたんだゴッホ。何かあったのかい?」

ゴッホ「ああ、ハンス、俺は無力だ。神に仕えていながら、目の前で苦しむ人ひとり、助けられない。俺はこのような無力な俺を恨む。神がこのような俺を作ったことを恨む…」

ハンス「何を言うんだ。君は十分、俺達の為にやってくれている。有り金の全てを、俺達の為に使い、借金までしている。誰もが君のことは認めている。そんなに自分のことを責めるのはよして欲しい。我々は十分君に感謝している。感謝しても、感謝してもしたりないぐらいさ。」

アンナ「そうだとも、ゴッホ、あんたのことを悪く云う者は、この辺りにはいないよ。協会から神父さんが、あんたのことを調べに来るそうだが、みんなで言ってやるとも。宣教師の卵、ビンセント・ヴァン・ゴッホは、よく頑張って、人々と町の為に頑張って、布教活動に精を出しているとね」

ゴッホ「でも、アンナ、俺は分からないんだ。自分が頑張れば、頑張るほど、みんなの暮らしが悪くなる。自分はひょっとしたら、この町と、この町の人々にとっては、疫病神ではないかって、ね。」

ハンス「そんなことはない。君は俺達の救いの神さ。だからそんなにもう、自分を責めるのはよしてくれ。頼むから…」

ゴッホは、突然、黒炭を出して、自分の顔を黒く塗り始める。
ゴッホ「俺はは、恥ずかしい。恥ずかしい。本当に恥ずかしいんだ。」
見る間に真っ黒くなる。一種異様な空気が、周囲に流れる。
しばし間があって、炭坑夫の仲間が4、5人、ドドッと入ってくる。相当慌てている様子。しかしゴッホがそれを振り返ると、その連中が大笑いする。そのうちの一人が笑いながら云う。
ジャン「どうしたんだ。ゴッホさん。何のマネだ。ええ、」
ゴッホが「恥ずかしい」と小声で云うのを制止しながら、老婆のアンナが、云う。
アンナ「ゴッホは、あんた達に恥ずかしいんだと。白い顔で神に祈っているのが、たまらなく恥ずかしいんだと」

ジャン「いいかい。ゴッホさん。あんたは、白かろうが、黒かろうが、正真正銘のビンセント・ヴァン・ゴッホという一人の人間だ。我々はあんたに感謝している。だからどんな事があったって、卑屈になる必要はない。それはあんたが、我々に教えたことではないか。はじめの時、あんたは、俺にこう云ったぞ。覚えているか。(ゴッホの声色で)。ジャン・ポール・ジュール、あなたは創造主の神を心の底から信じたことはあるのか。神はあなたをこの世で唯一の人間として、創造された。炭坑で石炭を掘るのがあなたの仕事だが、あなたは自分の顔が石炭で黒くなったことを恥ずかしいと思ってはならない。むしろそれはあなたの勲章ではないか。神の前では誰もが平等の権利を有している。分かるか。ジュン。」

仲間が、ジャンの似ているしゃべり口に大笑いしながら、口々に「そうだとも」とか「ゴッホさんあんたこそ卑屈になりなさんな」とか云いながら、ゴッホの周囲に集まって慰める。ゴッホはみんなに勇気づけられながら、立ち上がる。観客の方を見ながら、
ゴッホ「そうだ。俺は誰でもない。ビンセント・ヴァン・ゴッホ。ビンセント・ヴァン・ゴッホだ。神に仕える者…」

暗転。

説明の声「それからもゴッホは、炭坑労働者の窮状を救おうと献身的に働いた。しかしながら、その後ゴッホはベルギーのカトリック協会本部から、宣教師を一方的に解任されてしまう。理由は、無心論的な扇動をした疑いがある…。というものだった。この解任については、諸説があるが、ここでは敢えてビンセントが心根の優しすぎる青年だったという説を採ることにしよう。神自身、ビンセントの天賦の才が絵であることを見抜いて居られたのかもしれない。ともかくこうして心優しきビンセント・ヴァン・ゴッホは、子供の頃からの夢であった画家の道をまっしぐらに突き進んでいくことになるのだった・・・。」

* * * *

以上である。ゴッホが顔に墨を塗ることで、観客の耳目を集めると同時に、ユーモラスな印象を出す、、また白い顔を黒くすることで、ゴッホの内面の心の優しさを強烈に象徴させる。事実ゴッホには、貧しい炭坑夫達の中に入って、真っ黒い顔をして必死で働いている炭坑夫達の顔を見た時、自分の白い顔が恥ずかしくて仕方がなくなって、顔に墨を塗ったというエピソードが残されている。
 

「炎の人」は、文字通り劇団民芸設立以来演じている一番大切な出し物の一つである。1950年に創設された劇団民芸は、ゴッホの劇化を企画して、戯曲を故三好十郎氏に依頼。初演は、51年だった。主演のゴッホ役はもちろん滝沢修氏。滝沢氏の渾身の演技が話題を呼び、3ヶ月で6万人を動員するという空前のヒット作となった。今日の劇団の隆盛は、まさに「炎の人」ゴッホによって作られたと言っても過言ではないかもしれない。今回奇しくも滝沢氏が亡くなった時「炎の人」が、50周年記念として開演されていたのも不思議な縁というものであろう。

おそらくこの「炎の人」が長年に渡って再演されて好評を博している背景には、ゴッホを是非舞台化しようとした滝沢修氏や戯曲を書いた故三好十郎氏の中に、ゴッホの精神に通ずるものがどこかに存在し、必然的に生きたゴッホを舞台化することに成功したからであろう。滝沢氏の中にある演技をどこまでも深く追求しようとする精神は、どこかに狂気を孕んだ芸術的渇望であり、最高峰のものへの飽くなき探究である。それはまさに苦悩する人間ゴッホが、絵筆の先に求める微妙なタッチと相通じる感覚だからである。

今回ゴッホを演じている大滝氏の演技は、己の情熱を制御できないゴッホの内面を良く表現している。ゴッホは、おどおどして傷つきやすい軟弱な人間だ。それでいて、こと芸術に関しては、機関車のようにがむしゃらに走り続ける強情な一面を持っている。大滝氏は、そんなゴッホを文字通り、渾身の気迫で演じきっている。滝沢ゴッホから、大滝ゴッホへの継承はものの見事に決まったと云っていい。

ともかくこの「炎の人」(ゴッホ小伝)は、滝沢修という戦後の演劇界を代表する役者の役者としての遺産を引き継ごうとする大滝氏の渾身の演技を観るだけでも価値がある。舞台が終わった後、一番最後に観客との交流会に登場した大滝氏は、息も絶え絶えで、座っているのも苦しそうに見えた。それも当然だろう。御歳76歳(?)で1時半に始まった芝居で、4時半まで出ずっぱりなのだ。

文字通り乾坤一擲の演技を見せた大滝氏は、交流会の席上、若い役者と思われる女性の質問に答えて云った。

メッセージと言われても、特にありませんな。我々も滝沢さんのような人から学んできて、精一杯やって、人を感動させるような舞台を務めるしかないと思っているだけですからね

実に短くて明解な答えだった。大滝氏ほどの役者になると、誰もが、芝居だけではなく、その生き様をみている。芝居がまずければ、誰もその役者を注目しなくなる。自分の全存在を賭けて、役者として演技を見せるしかない。それが役者大滝秀治のメッセージなのである。

何ものかを受け継ぐとは、かくも疲れるものか、大滝氏の幕後の疲労困憊振りを思いながら、紀伊国屋ササンシアターを後にした。佐藤


民芸「炎の人」へのリンクは以下へ
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/mingei/honoo.htm
 


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2000.6.26
2000.6.27