流行り言葉で読む日本の世相(8)「老人ホーム」


現代老人ホーム考


やはり老人ホームは現代の姥捨て山か?!


ずっと昔、私が高校生の頃、割と世間に知られた詩人の国語教師がいた。私たちは、その先生の容貌がどこか寺山修司に似ていたことから「テラさん」と呼んで 秘かに尊敬(?)していた。

そのテラさんが、授業中、急に大きな目をピカソのようにギラつかせ、私たちを睨み付けるようにこう言った。

「お前たちどうする。これからは高齢化の時代だ。核家族化が、ますます進む。お前たちが親となり、老人になる時には、子供は親を助けたりしない。いやでき ないのだ。俺は自分で老人ホームに行く。今からお前たちもよく考えておけよ。」

授業の前後のことは、まったく覚えていない。詩人の感性が言わせるのか、とその時は、少しだけ心に響いた程度だったが、自分がそれなりの年齢になってき て、テラさんの言葉が妙に気になりはじめたのだ。同時に、七十歳は既に越えているはずで、もう老人ホームにでも入っているのかしら、とテラさんのの動静も 知りたくなった。

そこで恩師である詩人の消息を知人に聞いてみたのだが、何のことはない。老人ホームなど、どこ吹く風で、詩人の協会のトップとなり、バリバリ行動している ということで、何かほっとした気分になった。現今の老人ホームは、まだまだ社会の「姥捨て山」のようなところがあり、テラさんのような人が落ちついて暮れ せるところにはなっていない。それが私自身の認識だ。

少し考えてみたら分かるのだが、あんな感性が洋服を着て歩いているような人物(テラさん)が、自分から老人ホームに入って、詩人と歌人の見分けもつかぬよ うなオネエチャンやアンチャンにあれこれ指図され、ラジオ体操や、同じ形の人形作りを強制させられていたら、きっとたまらない気持になって、一日とて、持 たないだろう。即座に、「帰る」と言い放って、老人ホームなど、飛び出してしまうに違いない。

もちろん、老人ホームにもさまざまあるのは分かる。公共と民間ではかなりの違いがある。一般とリハビリや治療を必要とする介護の別もある。いったん入居し たら死ぬまで抜けられないような文字通りの「現代社会の姥捨て山」か「タコ部屋」のようなところから、一流ホテル並み豪華さと完全介護、さらには病院まで ついているような超豪華なホームまである。

この巾は大きい。現在、高級老人ホームは、入所基準も私立幼稚園並みにうるさいという。身元引受人や高額の入居料は、相当に裕福な人間でないと入居は難し い。システムをよく分析して見ると、老人ホームといっても、老人をやさしく労ってむかい入れるというよりは、高齢者のそれまでの蓄えと受給する年金のすべ てを根こそぎにしてしまうようなズルさがむき出しではないか。それでも、表面の豪華さが、裕福な高齢者や早く年寄りをやっかい払いしたい家族の思惑と一致 しての人気なのだろう。しかしその奥を少し覗いてみれば、一見高齢者の人権や人生観を尊重しているようでいて、その実、高齢者の僅かな財産を根こそぎはぎ 取るが如きシステムでしかない。まあ、よく考え抜かれた老人を骨までしゃぶり尽くす高齢者搾取のえげつのないビジネスである。

本来、老人ホームや介護事業などの制度設計は、その公費負担と個人負担のバランスも含めて簡単ではない。誰もが老人になるのだから、今若い者が老人世代 を、順番に面倒をみるのが自然なのだが、日本の人口ピラミッドが、三角形から逆三角形になってしまって、若い世代が老齢者世代を支えるような状況にない。 広く社会が高齢者を受け入れ、黄泉の国に旅立つまで、なるべくなら健康なままで、生き生きと暮らせる社会の実現が必要だ。その為にも、生涯現役という言葉 もあるが、地域によっては、比較的元気な高齢者が、少し元気を損ないはじめた高齢者を励ましながら、介護をするような制度も必要と思われる。

これを自民党政権と厚労省は、はじめから氏素性も怪しげなコムスン(グッドウィルグループ)などの民間企業に開放したところに制度破綻がこんなに早く来て しまった原因があったのではないだろうか。

取りあえず、現在でも、健康な高齢者は、一般の老人ホーム(養護老人ホーム/軽費老人ホーム)に入居しても、それなりの充実した老後を過ごせるかもしれな い。しかし癌や脳疾患、けがなどで、リハビリ介護を必要とする場合は(特別養護老人ホーム)、目も当てられない現実がある。また一般のホームから、いつ発 病をしてしまった高齢者は、介護のホームや病院に移らねばならない事態に陥って、これが簡単にはいかないことが問題なのである。

現在、日本中、どこの病院でも、急患以外は、空きのベットが少ない。その結果、どうしても長期入院はできず、患者(高齢者)はリハビリ難民となって、病院 をたらい回しにされる傾向がある。いや、たらい回しは、まだいい方で、別の病院に入りたくても、厳しい審査が待っていたり、自宅で順番待ちをしなければな らない。このような状況が全国各地で恒常化しているのである。まったく介護を必要としている高齢者は、行き場を失い、社会から「何も生み出さず働けない人 間は死ね!!」と言われているような酷い現実が待っているのだ。

これは病院側の利益第一主義というよりは、老人介護をめぐる診療報酬制度の度重なる改定があって、病院そのものが生き残りのために、やむなくしている事情 もあり、単純に病院を悪者と決めつけることはできない。

何と言っても最大の責任は、政府と厚労省にある。彼らが高齢化社会の介護福祉の制度設計を根本的に間違えてしまったのである。都市部でも地方でも、現在介 護老人ホームに入寮するのは、大変な難関である。公の介護施設の場合は、地元の政治家が、自らの政治力(口利き)で、票を増やすようなこともあるようだ。

社会学者故鶴見和子さんの最後の著書「遺言」の中の言葉が浮かぶ。
「戦争が起これば、老人は邪魔者である。だからこれは、費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。老 人を寝たきりにして、死期を早めようというのだ。(中略)この老人医療改定は、老人に対する死刑宣告のようなものだと私は考えている。」(鶴見和子著「遺 言」藤原書店 2007年1月刊)

政人(まつりびと)いざ事問わん老人われ生きぬく道のありやなしやと 和子

政治家は心して、この鶴見和子さんの遺言を噛みしめなければならない。

 ◇

こうして考えてみると、日本は高齢者にとっては、ますます住みにくい国になっていることは明らかだ。恩師の詩人「テラさん」が、言った言葉をもう一度復唱 してみる。「高齢化は進む。俺は老人ホームに行く」確かに高齢化社会は進んだ。しかし彼は老人ホームには行っていない。ここに日本社会の抜き差しのならな い問題があるような気がする。つまり、現在の「老人ホーム」というものは、私の恩師である詩人テラさんのように感性も人権意識も人一倍強い人が、入って満 足できるようなところでは、まだない気がするのである。


2007.6.25 佐藤弘弥

義経伝説
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