流行り言葉で 読む日本の世相(5)

ハンカチ王子論

王子」的なヒーローを求める日本人の深層心理



佐藤弘弥


 「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹(18)が、07年6月3日、神宮球場で開催された早慶戦2回戦に先発し、勝ち投手となった。これによって、斎藤は甲子園 優勝投手に続いて、六大学春季リーグ優勝という新たな栄冠を得た。それにしても、この「ハンカチ王子」という言葉が流行語として、日本中を席巻している背 景には、一体何があるのか、考えてみたい。

 1 「ハンカチ」は流行・「王子」は不易

言葉から探れば「ハンカチ王子」は、「ハン カチ」と「王子」に分解される。さらに芭蕉の不易と流行の視点で見れば「ハンカチ」は流行であり、「王子」は不易となる。要するに世相論からみれば、あく までも現実のヒーロー斎藤祐樹は、移ろう「現象」そのものであって、実体は「王子」の方にあるということになる。この論考では、斎藤の個人的野球センスは 一切問わない。彼の才能についての考察は別の機会に行いたい。

さて、私は最近の斎藤佑樹という一人のアスリートの人気は、ある種の「社会現象」であり、実体は「王子」の方にこそある、と言った。このことの意味は、 「王子」のイメージのヒーローを求める日本人のメガネに叶った人物が、若くて爽やかな才能を感じさせる斎藤祐樹という新しいヒーロー像ではないか、とする ひとつの仮説である。

この仮説を裏付けるニュースがつい最近にあった。若干15歳のアマチュアながら、史上最年少でプロツアーで優勝した「石川遼」という少年の出現である。一 晩にして、彼もまた日本中の人が注目する「王子」となり、マスコミは早速「はにかみ王子」とネーミングをして、社会は即座にこれを受け入れた形だ。

どうやら、世相(日本人)は、「王子」のイメージのヒーローを探し求めているように見える。

まず「王子」という言葉が象徴しているものは何であろう。単純に言えば、「王子」とは「王」の血筋を引く男子という意味で貴種を象徴するイメージである。 したがって「○○王子」と名のつくヒーローは、雰囲気や表情に、苦労や貧困の影がなく、育ちの良さのようなものが漂っていなければいけない。

一方で、巷を見れば、最近の若者のファッションセンスにしてもや生き様にしても、アメリカのダウンタウンの影響が強く、どっちかと言えば、だらしのない格 好がクール(かっこいい)とされる傾向にある。そんな中では、若者の視点で見れば、特にかつての詰め襟をきっちりと着こなした学生服姿やアメリカのIB リーガーのようなスタイルなどは、「ダサイ」あるいは「カタブツ」とされる傾向がある。

そんな中にあって、いかにも育ちの良さそうな顔立ちの斎藤佑樹が、甲子園のブラウン管に連日映り込むことになって、「今時いない、好青年」というイメージ が、急「速に拡がることになって、少しばかりだが、世の中に良い子ブームが起きつつあるのかもしれない。

 2 ヨン様ブームからハンカチ王子ブームへ

このブームに最初に飛びついたのは、さまざまな世代層の女性たちだ。そこが実に不思議である。これまでの甲子園のアイドルとい うものは、延長18回を投げ抜いて翌日再試合に臨んだ三沢高校の大田幸司(1969)にしても、早実の先輩である荒木大輔(1980−1983)にして も、女子高生の騒ぎに留まっていた。しかし今回の斎藤の場合は、年齢は年齢層が若年層に限定されていないのである。

私は今回の「ハンカチ王子」ブームの中に、社会全体が何か純粋で無垢なものを求めている大きな日本人の無意識があるのではないかと思う。それは少し前ま で、あれほど人気だった「韓流ブーム」の「ヨン様」と通じる何ものかの「実体」が潜在しているのではと想像するのである。

今回の「ハンカチ王子」に好感をもって、斎藤の一挙手一投足を追う女性には、かつて「ヨン様」に夢中になっていたり、韓国まで言って「冬のソナタ」の撮影 現場まで出かけて行った人たちがけっこういると聞いた。

「ヨン様」ブームの時には、現実の生活を越えたこの世ならぬ純粋な恋や完璧な優しさを持つ上品な主人公への憧れが言われた。「ハンカチ王子」ブームにも、 この心理の流れが強く作用していると思うのである。

 3 ボクシング亀田兄弟とハンカチ王子

この「ハンカチ王子」ブームの対極に、ボクシングの亀田三兄弟と父のストーりーがあるかもしれないと想像する。斎藤と亀田兄弟は、それこそ対極の生き様を してきた。一方は品の良い育ちの良さを感じさせ、亀田兄弟の場合は、成り上がりろうとする不良少年のイメージが強い。世相は、親子兄弟がが殺したり殺され たりの事件が各地で多発する中で、どちらかと言えば、亀田兄弟の青春の方が目立ちがちである。

このような日本社会の中で、多くの日本人の心に湧いて来るのは、純粋で上品で汚れを知らぬような「ハンカチ王子」や「はにかみ王子」のような育ちの良さを 感じさせるヒーロー像なのだろう。そこには日本人の古き良き理想の若者像に対する郷愁(ノスタルジー)が存在しているのかもしれない。

その意味で、亀田兄弟は、ハンカチ王子現象の対極にあるアンチヒーロー像ということになる。

しかし今、日本人は、すっかりアメリカナイズされ、どこか自分の存在理由(アイデンティティ)を失いかけている。日本人の心は、そんな空虚な自らの人生や 戦後日本を洗い流すようにして、無垢で高潔な純粋さを身をもって示す「ハンカチ・王子」斎藤佑樹のような新時代のヒーローを求めているということなのかも しれない。

 4 若きツタンカーメン王の黄金のマスクとハンカチ王子

6月4日、慶応大学を2勝1敗で破り、優勝をした早稲田大学野球部が神宮から早稲田大学のキャンパスまで優勝パレードを行った。キャンパスの特設舞台での 挨拶に立った斎藤佑樹は、声を弾ませ、眼をキラキラさせながら、「教育学部1年、斎藤佑樹です。自分がいる4年間は早稲田の黄金時代を築きたいと思いま す。わが早稲田野球部は一生勝ちます。」とスポーツマンらしく笑顔で言った。

その時、私はあのエジプトで85年ほど前(1922)、王家の谷で発見されたツタンカーメン王(紀元前14世紀頃に在位)の「黄金のマスク」を思った。細 面で、全体が醸し出す雰囲気など、イメージがぴったりなのだ。

ツタンカーメン王については、その多くは謎であるが、宗教改革王と呼ばれるアメンホテップ4世の息女と結婚し王家を継ぐ。始め名も「トゥトアンクアメン」 と呼ばれていたが、後に父王の宗教改革路線を放棄し、伝統的な多神教を復活させ、名を「ツタンカーメン」と名乗り、都も遷都(アケトアテン→メンフィス) するなどしたといわれる。18歳で夭折。その為に死因については暗殺説が有力。彼の死後は、エジプト王家の血筋は、大臣や将軍であった人物が王位を継承す ることになる悲劇の若き王であった。

このツタンカーメン王の墳墓が王家の谷より発見されたのは1922年。若くして亡くなった本人のイメージをなぞった仮面を造り、その遺体を 覆ったものと思われている。最近、そのツタンカーメンの顔が、エジプト考古学庁によりCG(コンピューターグラフィック)で復元された。細面で若々しくな かなかの好男子である。

黄金のマスクは、他にもある。だが、ツタンカーメン王の若さと才気のようなものを写し取ったと思われるツタンカーメン王のものは、別格の趣がある。それは エジプトとか日本とかそのような次元を遙かに越えた若さと高貴という人間の普遍的な価値観に触れる美のようなものが、このマスクの奥に造形されているから だろう。別の言葉にすれば、このマスクに世界中の人が魅了される理由は、若さと高貴という本質的なものを、このマスクが潜在的に持っているためであろう。

斎藤祐樹の表情にも、このツタンカーメンの黄金のマスクに通じる造形を感じるのである。

 5 ユング心理学の「永遠の少年」とハンカチ王子

早稲田大学のキャンパスの舞台で、ハンカチ王子は、6月6日が自分の誕生日であることを話し、こんな良い誕生日をが迎えられてうれしい、と素直に吐露し た。彼には、まだまだ少年の面差しがある。挨拶の冒頭でも、自分のイメージを崩せないので、と照れながら冗談を言ったらしいが、周囲の人間に祝福され、愛 される何かの要素を持っている。

私たち日本人にとって、斎藤佑樹という存在は、夢の中で、自分の中にある「永遠の少年」と出会ったようなものである。そしてそれは、日本社会において、深 刻な格差拡大が叫ばれ、地方が夕張のように疲弊し、切り捨てられていく世相を吹き飛ばす補償作用の役割を担っているのかもしれない。

最近また老後の蓄えとして日本人が頼っていた「年金」が、社会保険庁の怠慢によって、どこに消えたか分からない状況にある。そんな暗い世相を、この「永遠 の少年」の面差しを持つ18歳の少年は明るくしてくれる存在なのである。

「永遠の少年」というキーワードは、ユング心理学のキー概念である。「永遠の少年」は「童子元型」のひとつで、ギリシャの叙事詩「転身物語」(オウィディ ウス著)に登場する童子神「イアッコス」を「永遠の少年」(プエル・エテルヌス:puer aeternus)と呼んだことから来ている。

ユングの共同研究者で高弟のM.L.フォン・フランツに「永遠の少年」(M.L.フォン・フランツ著 紀伊国屋書店 1982年刊)という興味深い著作が ある。実はこれは世界的なベストセラー「星の王子さま」の研究書で、「『星の王子さま』の深層」という副題が付けられている本だ。

その冒頭、”「永遠の少年」とは何か”の中に、このような記述がある。

「彼は神なる若者で、典型的な母神崇敬であるエレウシスの密儀のなかで夜生まれ、一種の贖罪者の役割を果たす。・・・このタイプの若者・・・は顕著な母親 コンプレックスを抱いていて、・・・ふつうよりも長く思春期の心理にとどまっている・・・つまり、十七、八歳の年齢ならばごく尋常であるような諸特性がそ のまま尾をひいているのである。それとともに母親への強すぎる依存が見られるケースが少なくない。」(前掲書「永遠の少年」)

つまり、この「永遠の少年」というタイプの若者には、マザーコンプレックスの傾向が多く見受けられるということになる。確かに「星の王子さま」を書いたサ ン=テグジュペリ(1900ー1944)その傾向が顕著だったようだ。

「星の王子さま」の物語を思い出していただきたい。飛行機が砂漠の真ん中に不時着した「ボク」の前に、ある晩、小さな少年がふい現れて、「ね、ヒツジの絵 をかいてよ」と話しかけてくるのである。そこから物語が展開する。

この物語を読んでいると、ボクに命の危機があったようには思えないが、実はこの物語の奥には、1935年、リビア砂漠に不時着し大けがをした時のヌミノー ス体験(神秘体験)を踏まえて書かれたものと推測される。

この事故の時、サン=テグジュペリには、飲み水もほとんど残っておらず、まさに死ぬ一歩手前にあった。何とか不時着から五日後に、遊牧民に助けられて九死 に一生を得ているのである。この時の体験を、後にふり返って、作者のサン=テグジュペリは、「太平洋の真ん中にいる時よりも、もっともっと孤独だった」と 述懐している。

つまり、この「星の王子さま」が書かれたきっかけは、命の危機もある夢うつつの中で、小さな少年の声がして、その少年を夢よりも、もっと強いリアリティを もって、「見た」という思いがあったのである。

この作者があったと思った「永遠の少年=星の王子さま」とはいったい何者なのか。おそらくそれは作者の中にある「永遠の少年」という「自己」であると同時 に、人間の心の中に等しく存在する集合的無意識(普遍的無意識)から来ている。つまり、この「永遠の少年」は、もう一人のサン=テグジュペリであり、人間 の中にある普遍的な少年像ということになる。

ユングは、人間の心の構造について、集合的な無意識を人間は直接触れることは出来ないが、個人の夢やひとつの民族の神話という形で反映されるものと考えて いる。ということは、個人の「永遠の少年」というイメージは、人間全体の意識と、数学で習った集合のように、交錯しているのである。もっと言えば、この 「星の王子さま」という作品が、個人のヌミノース体験から発した奇妙な物語であるが、それは人間あるいは人類全体の普遍的な「永遠の少年」のイメージを含 んでいたために、世界的なベストセラーとなり、1943年のアメリカでの英語版での出版から64年経った今でも、読みつがれ、ある種の現代の神話のような 物語となったということになる。

世界的なヒットと作とか古典になるような作品というものは、この「星の王子さま」だけではなく、ヌミノース体験が、きっかけになることが多い。ひとつの例 を挙げれば、今や日本の名曲から世界的なヒット曲となりつつある喜納昌吉氏(1943- )の「花〜すべての人の心に花を〜」という歌が出来上がった時の 話しを本人から直接聞いたことがある。

それは演奏旅行が続いて疲れ切ってベットに入った夢うつつの中で、白髪の老人が現れたとのことだ。喜納氏の話によれば、それは「夢というものではなく、妙 なリアリティを持った体験だった」という。

ユング心理学でこの話しを分析すれば、喜納氏は、「永遠の少年」という集合的な無意識ではなく、「永遠の少年」の対極にある「賢老人=翁」に出会ったこと になる。「花」という歌は、その意味で、広く世界に受け入れられていくのは、そのメロディや歌詞が普遍性を含んだ要素を持っているからである。


話しを「永遠の少年」に戻そう。考えてみれば、私たち男の中には、誰でも「永遠の少年」に近い心が残っている。それは、時々正体を現す。私の中の「永遠の 少年」も結構いたずらっ子で、マザーコンプレックスで、夢ばかり見ている。自分の思春期を想像してみる。すると、大きな悩みや劣等感を感じながら、それで もキラキラしていた時期が妙に懐かしくなる。これは思春期へのノスタルジー(郷愁)そのものだ。そんなノスタルジーが、理想
の形で顕現 している存在が、ハンカチ王子の斎藤佑樹少年ということになると思われる。つまり彼は、日本人の中にある「永遠の少年」のひとつの理想型なのである。
 

 6 光源氏とハンカチ王子

日本人にとって、「王子」に相応しいイメージの人物を辿れば、「光源氏」ということに行き着くかもしれない。もちろん「光源氏」は、あの平安中期11世紀 初頭、紫式部(生没年不詳)によって書かれた世界最古の長編小説「源氏物語」の主人公で、架空の人物だ。モデルは、栄華を極めた関白太政大臣藤原道長 (966-1027)と言われているが、定かではない。紫式部は、道長に請われ、その娘で一条天皇の皇后となる中宮彰子の教育に携わっていたこともあり、 男女の関係もあったとも言われる。

紫式部という女流作家の想像力の中で生まれたキャラクターであり、もう少し砕けた表現をすれば、紫式部という女性の想像力の中の理想の男子像ではなかった かと推測される。

源氏物語は一般に長編小説と言われる。確かに全体で54帖(編)に及ぶボリュームがある。日本文学史の碩学(せきがく)小西甚一氏は、この小説を長編とい うよりは「短編のつみかさね」(小西甚一著 「日本文学史」講談社学術文庫 1993年刊)の風情があると語る。つまり一話完結でありながら、もっと読み たくなるような構造があるということになる。

当時の貴族の女性や宮中にいた女性たちにとって、光源氏の一生をえがいた「源氏物語」は、それこそ胸躍らせる娯楽小説だったのではないだろうか。戦後、技 術の目覚ましい発達によってラジオやテレビが、新しいヒーロー像を誕生させたが、それと同じような現象が、この「源氏物語」には起こったことが予想され る。

それは光源氏というキャラクターには、宮廷の女性たちの理想の男性像や恋愛像が反映しているということである。と同時に、その後も、この「源氏物語」は日 本の女性たちに受け継がれ、江戸時代には、大名家の姫たちが、嫁ぎ先に、花嫁道具と一緒に、美しく細工された高価な箱に入れられた「源氏物語」を持参して 行ったという歴史もある。

藤原氏によって確立された古代天皇制の中において、娘を持つことは、権力を握るための第一歩であった。現に藤原道長自身、ライバルの兄たちをけ落として、 自分の娘を皇后にして、自分の摂政の立場を得たのである。女流作家として、今に語り継がれる紫式部や清少納言が、活躍したのは、このような時期である。

そして光源氏のようなキャラクターが現れたのは、女性の視点からの理想の男性像の表出であり、そのことの意味は、今日私たちが考えているよりは、遙かに女 性たちが、自分の意見を持ちながら、喜々としてして生きていたことの何よりの証明かもしれない。

このように考えると、今回の「ハンカチ王子」としての「王子現象」の背後にも、「光源氏」という「王子」に熱狂した平安時代の「王子ブーム」同様、世代を 越えた幅広い女性たちが、理想の男性像として「王子」的なイメージの男性像を求めていたところに、ピタリとそのイメージに合う「ハンカチ王子」斎藤佑樹が 現れたということではあるまいか。
 
 
 7 結論 日本文化の中の「ハンカチ王子ブーム」

ほんの少し前まで、日本のさまざまな世代の女性たちが、韓流スターヨン様の主演したメロドラマ「冬のソナタ」にあれほど感情移入し、主演スター「ペ・ヨン ジュン」を「ヨン様」として追いかけた背景には、愛に彷徨う「光源氏」の如き人物に魅せられたのである。この社会現象の奥には、おそらく日本の文化に眠る 「王子幻想」としての光源氏のイメージが作用していたはずである。

別の言葉に置きかえれば、「冬ソナブーム」の底流には、日本の精神文化の古い層として存在すると言われる「手弱女振り(たおやめぶり)」
(注*1)という言葉に象徴 される女性原理が働いていたということである。この逆の男性原理は「益荒男振り(ますらおぶり」(注*1)というが、「冬ソナブーム」では、この男性原理の関与は無 かったあるいは影が薄かったのである。

「冬ソナブーム」は明らかに、日本女性たちの感性が動かした社会現象であった。今回の「ハンカチ王子ブーム」もまた、この女性原理(日本女性の感性)の大 きな関与が、その光源氏的なイメージなど、ブームに拍車をかけたことは事実だが、働きから言えばあくまでも副次的であると思う。

要は、「冬ソナブーム」と「ハンカチ王子ブーム」には決定的な差異があるのである。それは「冬ソナブーム」では、「あのドラマの何がいいの」とそっぽを向 いていた日本のさまざまな世代の男たちが、今回の「ハンカチ王子ブーム」では中心にいることだ。そこには男性自身の青春の郷愁(ノスタルジー)あるいは、 暗い世相の補償としてあるのかもしれない。

以上、何となく、日本中が、あの屈託のない斎藤佑樹という好青年の笑顔というものに日本中が魅せられている理由というものが、朧気に浮かんで来たような気 がするのである。



最後にひとつだけ、意見を付け加えれることにする。それはマスコミの「ハンカチ王子」の加熱した報道振りを批判的にみる見方に対する私見である。私も少し 前の「冬ソナブーム」の時は、少なからぬ抵抗感を持ったことがある。しかし今考えると、それが日本人の精神文化の発露であって、日本人の魂の奥の奥の深い 部分から地下水のようにして湧いてくるであるとしたら、止めようもない時もあるということだ。それはもちろん良きに付け悪しき付けである。

このことは、戦前日本中を席巻した全体主義思想の恐怖を思い起こさせる。日本人の精神がひとつの方向に流れやすいとは良く言われることだ。同じ事はドイツ でも起こった。そして、ドイツでは、あろうことか、20世紀最高の哲学者と言われるあのマルティン・ハイデガー(1889-1976)すら、反ユダヤ主義 のナチズムに幻想を持ち、その協力者となってしまったのである。

どうして、あのように深い思惟の出来る世界的な哲学者が、ヒトラーのような単細胞な人間の宣伝に夢を持ってしまったのか。それはヒトラーという存在のなか に、ドイツ人の精神を昂揚させる「何か」があったということになる。

哲学者ハイデガーのナチズムへの傾倒という歴史的誤謬について、私はこれを永遠の謎とすることなく、このことを歴史の教訓とし、歎異抄の「善人なをもて往 生とぐ」ではないが「ハイデガーなおもて間違い犯すいわんや凡人我をや」と言いたいのだ。

私たち人間の心には、常にそんな判断の間違いをしでかしかねない要素があるということだ。だからこそ、「ハンカチ王子」ブームのようなものも含め、これを 相対化して分析しながら、それは日本文化とどのように結び付き、どんなところに源を発するものかということを、熟考してみることが大切だと思うのである。 (了)

(注*1)
「手弱女振り(たおやめぶり)」
「女性的で温厚優和な歌風。万葉集の「ますらおぶり」に対して、主として古今集以降び勅撰和歌集で支配的な歌風を指す。」(広辞苑)
(注*1)
「益荒男振り(ますらおぶり)」
「賀茂真淵らの歌人たちが和歌の理想として歌の風(ふう)。男性的なおおらかな歌風の意で、万葉集にはこの風があるとした。」(広辞苑)



2007.6.8 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ