白鵬・綱取りの影で忍びよる相撲界の危機

横綱 誕生で浮かれる前に


  1 朝青龍時代から白鵬時代がやってくる!?

一時は、ケダモノのように強いな、と思って観てきた横綱朝青龍(26)が、今場所(07年夏場所)は10日目以降連敗などし て、あっさりと大関白鵬(22)の独走を許し、千秋楽結びの一番では、その白鵬と、がっぷり四つの大相撲から、上手を切られ、左から強烈な上手出し投げを 喰らって敗北を喫してしまった。星も10勝5敗と横綱としては、いささか物足りないものとなった。

大関白鵬は朝青龍を破ったことにより、全勝優勝となり、二場所連続優勝に自らで花を添えた。これにより来場所は、白鵬の横綱昇進は確実となり、来場所以 降、大相撲に久々東西ふたりの横綱が誕生することが確実となった。

周知のように、朝青龍、白鵬ともにモンゴルの出身である。彼らふたりに共通するのは、生活習慣、言語などまったく違う日本にやってきて、日本の若者すら理 解できない面が多い相撲界に入門し、日本語を勉強しながら、厳しい稽古に堪えて、角界の最高峰「横綱」の地位まで登り詰めたことである。

また彼らの父親は、両方とも、モンゴル相撲経験者で、とくに白鵬の父は、モンゴル相撲の大横綱として有名で、メキシコオリンピック(1968)のレスリン グ競技で銀メダルを取った国家の英雄的人物であるということだ。

白鵬は15歳で宮城野部屋に入門当時、175cm、89キロの小柄な身体のため、あまり期待されていなかったようだ。しかし親方は、手足の大きさや、柔軟 な足腰を見て、もしかすると化ける器と思って、とにかく稽古と食事には人一倍の気を使って、育てたのだという。

確かに徐々に大器の片鱗を除かせてきた白鵬の資質を特に注目していたのは、他ならぬ朝青龍だった。その理由は、非常に単純だった。白鵬の父が祖国の英雄的 な相撲取りで、朝青龍は、口癖のように「白鵬は必ず強くなる」と語っていたそうだ。

モンゴルは馬の国である。馬にはサラブレットで分かるように血統というものがある。まさにその意味で、モンゴル相撲の英雄の子白鵬は、血統証付きのサラブ レットだったということになる。ふたりの体格を比較してみると、朝青龍が身長184cm、体重148kgに対し、白鵬は192cm、152kg で、身長差がかなりある。

身長はともかく、今後白鵬については身体がもっと大きくなることが予想され、千秋楽の後、九重親方(元横綱千代の富士)は、「これから、どれほど強くなる か分からないほどの器」と語ったという。

 
 2 三つの感慨(注文と期待)

千秋楽のふたりの横綱大関の対決を観戦しながら、私は三つの感慨が浮かんだ。

ひとつ目は朝青龍への注文だ。朝青龍には、どんな強者にも時節というものがあり、必ず曲がり角が来ること。その時に、どのような心構えを持ち、下から自分 の地位を脅かす者と、渡り合い、受け入れ、あるいは最後にバトンを渡していくか、という身の処し方についてであった。もちろん朝青龍はまだ26 歳。老け込む年齢ではない。最近は、再三稽古不足が指摘され、今場所では連敗した12日目からの三連敗を指摘したのか、千秋楽の白鵬戦の解説で「朝青龍は 稽古の蓄積がなくなった」(舞の海秀平氏談)との厳しい指摘もある。相撲界には「三年先の稽古」という格言があり、先輩関取の指摘を素直に受け入れても良 いのではないか。

また厳しいことを言えば、朝青龍については、一人横綱を長いこと良く務め上げて来たと褒めたい反面、ともすれば、場所前の稽古で、出稽古に来た他の部屋の 関取を、必要以上に荒っぽい稽古で、ケガをさせるなど、横綱としての人格と品格が問われている。後輩が横綱に昇進しようとしている今こそ、白鵬に先輩横綱 として範を示すべきである。

ふたつ目は白鵬への期待である。白鵬には今後の心の持ち方について問題だ。これまでは、良きにつけ、悪きにつけ、朝青龍という「手本」あるいは「目標」が あったのだ。だが、これからはそれが無くなる。相撲界の伝統を踏まえ、自らの力で新たな「白鵬像」を作り上げねばならない。もう「手本」も「目標」もな い。自らが相撲界のトップとして、若手の「手本」となり「目標」とならなければならないのである。

幸い、白鵬は優勝インタビューで、横綱土俵入りの型をどうするか聞かれると、「宮城野部屋の横綱吉葉山(横綱在位1954年3月場所ー1958年 1月場所)がやっていた不知火型」と、即座に答えていた。すでに横綱になる設計図が、描かれている証拠だ。これは素晴らしいことだ。横綱の道は険しく長い が腹を据えて「横綱に叶う人格」を確立して貰いたいものだ。


 3 改革は不可避!!国技としての「相撲界」

最後のひとつは、相撲界全体への改革への期待だ。またそれは”相撲は日本の国技”なのだから「強い日本人力士よ、今こそ出でよ!」という祈りにも似た思い から発するものだ。

現在、角界入りする若者は、ますます少なくなる一方であるという。相撲界自身が、どうみても封建的な徒弟制度しか見えない相撲部屋制度や、相撲茶屋などの 旧制度を、根本的に改めなければ、角界から日本人力士が居なくなる日が来る可能性だってないとはいえない。また八百長裁判というハードルも控えている。難 問山積だ。

白鵬の晴れ晴れとした雄姿を見ながら、相撲界のリーダーたちは、腹を据えて改革に本腰を入れないと、未来はそんなに明るくないぞ、と言いたい気分になっ た。




2007.5.27 佐藤弘弥


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