花の 寺毛越寺の萩祭り



毛越寺本堂前 萩祭りの頃
(2004年9月19日 佐藤撮影)



常行堂遣水前の萩の花
(2004年9月19日 佐藤撮影)



毛越寺は花の寺である。四季折々、季節の花が次々と咲き、奥州の黄金の古都平泉を訪れる人々を迎えてくれる。初秋の九月、毛越寺を彩るのが萩の花だ。薄紅 色の小さな花弁を持つ萩は、春のあやめや夏の蓮と比べ、地味な花だ。しかし古来より、日本人は、萩の花の間を秋風が吹き抜ける風情をそこはかとなく愛でて 来たのである。

万葉集に、

秋萩を散らす長雨の降る頃はひとり起き 居て恋ふる夜ぞ多き
萩の花咲けるを見れば君に逢 はずまことも久になりにけるかも
藤原の古(ふ)りにし里の秋 萩は咲きて散りにき君待ちかねて

という歌がある。すべて巻第十「秋相聞」にとられている歌だ。万葉集では、この他にも「萩」の花を題材にした歌は、何故か恋の歌が多い。どうやら日本人に とって、萩の花は、「人恋しくさせる花」というイメージのようだ。古来より、日本人は、萩の咲く頃になると、どうにもロマンチックな気分になり、たまらな く人恋しくなる心を持つ人々だったのである。

一方新古今集には、

明けぬとて野辺より山に入る鹿のあと吹 きおくる萩の下風
身にとまる思を萩のうは葉に てこのごろかなし夕ぐれの空
秋はただものをこそ思へ露か かる萩のうへ吹く風につけても

新古今は、平安時代から鎌倉時代に日本人が詠んだ歌を集めたものだ。この頃、秋の花である萩の花は、もの悲しさを誘う花になり、いっそう深い哀愁を帯びた 象徴になったように見える。第一首の「鹿」に象徴されているものは、未明に自分の許を去ってゆく恋人のことであり、作者の恋人との別れへの不安を思わせ る。萩は散り際の切ない花である。地面に散った萩の小さな花びらを散らす秋風の冷たさが感じられ、別れの不安がいっそう助長されている。

奥州の花の寺毛越寺の池端を廻りながら、ふと自分のなかにある萩のイメージを詠ってみた。

ひとつ散りふたつ散りして萩の花秋風 清(すが)し大泉が池
みちのくの古寺咲く萩の散 り際の儚きを愛で故郷の花
夕暮れの茜の空に照り映ゑ る浄土の池に萩の花咲く

佐藤弘弥 記

*注 毛越寺の萩祭りは、毎年9月15日より30日に開催されます。



2006.9.1  佐藤弘弥

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