天王覚え書き

 
 


1. 達谷から市野々、沼倉の里で御天王さま(ごてんのう)と言って信仰しているのは、牛頭天王(ごずてんおう)のことである。

2. 牛頭天王とは、スサノオのことである。

3. 牛頭天王は、元々インドの神々の一人であった。

4. 牛頭天王は、韓国語のソシ(牛)、モリ(頭)に由来する。

5. 韓国には、ソシモリ山(牛頭山)が現存する。

6. 牛頭天王信仰は、インドから中国をへて、日本に伝播した。

7. 牛頭天王は、祇園精舎の守り神である。

8. すなわち牛頭天王信仰は、スサノオという日本の荒ぶる(気の荒いこと)英雄と仏教の荒ぶる神との習合である。(牛頭天王は、神仏習合によってスサノオと習合した)

9. 本来、牛頭天王は、薬師如来のことである。

10. 日本書記(講談社文庫p49)に曰く、

「スサノオの行いがひどかった。そこで神々は、千座(=ちくら)の置度の罪を科して追放された。このときスサノオは、その子五十猛神(いそたける)をひきいて、新羅の国に降りられて、曽戸茂梨(ソシモリ)のところにおいでになった。そこで不服の言葉を言われて「この地に私は居たくないのだ」と。ついに土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国のヒの川の上流にある鳥上の山についた。」この後に、オロチ退治となる。尚、五十猛は、帰ってくるときに、たくさんの樹木をもってきて、日本中に植樹した。

11. 「八坂神社旧記集録」(明治3年編集)によれば、祇園社(現在の京都八坂神社)の創設は、斉明天皇即位二年の656年8月、韓国の調進副使伊利之使主(イリシオミ)が再来したときで、新羅の牛頭山に座すスサノオの尊の御神霊をお移ししたとされる。11年後の天智天皇6年(667年)社号を祇園感神院(ぎおんかんじんいん)として宮殿が造営された。

12. 京都八坂神社は、明治維新前までは、社名は、八坂神社ではなく、祇園社または、祇園感神院と呼ばれた。

13. 八坂神社の祭神は、スサノオの尊、クシイナダヒメの尊、八柱の御子神である。

14. 奈良時代からの神仏習合によって、スサノオの尊は牛頭天王と、クシイナダヒメの尊はサガラ龍王と、八柱の御子神は、バリ采女(龍王の第三女)とされた。

15. 備後の国の風土記が言うには、

「昔、北の海にいた武塔(むとう)の神が、南の神の娘に求婚に来た折り、日が暮れてしまい、丁度その場所に住んでいた二人の兄弟に宿を頼んだ。兄は蘇民将来(そみんしょうらい)と言う名で大変貧しい暮らしをしていた。逆に弟巨旦将来(こたんしょうらい)の将来は豊かでたくさんの家や倉などを所有していた。ところが、この豊かな弟は、けちくさい了見で、一夜の宿を貸さず、兄の蘇民将来は、貧しいにもかかわらず、粗末な粟飯などを出して親切に武塔の神を持てなして返した。しばらくしてこの神が八人の子を率いて返ってきてこのように言った。「私は、そなたの親切に報いたいと思うが、そなたの子供たちは、家におるか?」「はい、娘がひとりおります」蘇民将来は、答えた。「そうかでは、茅の輪を、腰に巻かせなさい」と神は言われた。蘇民は、素直にその通りにすると、その晩のうちに神は、蘇民の娘一人を残してすべてを殺してしまわれた。そしてその後にこのように言われた。「私はスサノオの神である。もしも後の世に疫病が流行ることがあれば、『私は蘇民将来の子孫である』と名乗って、茅の輪を腰に巻きなさい。そうすれば疫病から免れるであろう」佐藤訳

16. 上記の蘇民将来の逸話は、日本書紀におけるスサノオ追放時の四面楚歌(しめんそか)状態に似ている。すなわち、スサノオは青草を編み、箕の笠をつけて、神々に一夜の宿を乞うたが、誰にも相手にされず、風雨の中を、一人寂しくヒの川のほとりに降りていくのである。この時のうらみがスサノオの神の基本的特徴として宿っているはずだ。

17. 貞観11年(869年)、京の都で疫病が流行した折、それは牛頭天王のたたりとされ、祇園御霊会(ごりょうえ)=祇園祭が始まった。

18. 今日祇園祭りは、京都三大祭のひとつに数えられ、夏の京都の風物詩となっている。

19. 逆も真である。薬師如来であるからこそ、たたれば、疫病の猛威をふるうこともある。

20. 宮城における祇園社は、桃生郡鹿又村の八雲神社である。旧称は、牛頭天王社である。

21. 尚、この八雲は、日本書記におけるスサノオの尊の歌である。「八雲立つ」から来ている。

22. 牛頭天王信仰は、陰陽道を伝える陰陽師や修験道の行者の手によって全国津々浦々に伝えられた。

23. 牛頭天王信仰は、支配のためのイデオロギーであったのはまちがいない。

24. 栗駒山にも平泉から多くの修験道の行者が入っていたようだ。

25. 行者滝などの地名はその名残である。

26. すると牛頭天王(御天王さま)信仰は、純粋な意味での郷土の土着信仰とは言い難い。
 

 


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2000.01.10