童話 熊ゴンの戦争

 

童話はいつも寓意を秘めている。

あなたはこの話にどんな寓意を読みとるか?

*  *  *  *  *

ある奥山に熊の一家が住んでいた。大きくて強いお父さん熊のゴンと愛嬌のあるお母さん熊のミミ、それにアト、サキ、デズの三兄弟である。一家は、原生林の生い茂るこのふる里の山で、何不自由なく幸せに暮らしていた。ところがある日、一発の銃声が響いてからというもの、一家の運命がすっかり変わってしまった。

その日、一家は木の実を取りに、いつもの道を沢づたいに歩いていた。その時ふいに、「バーン」という音が、山にこだました。しばらくそのこだまが山という山に鳴り響いて、アト、サキ、デズの兄弟は、両親のそばに来てうずくまってしまった。銃声はその後も、数発が聞こえてきたが、どうやら、彼らの身に被害は及ばずに済んだ。半日余り身を潜めていた一家だったが、山にも夕暮れが迫り、一家は辺りに注意を払いながら、奥山に戻って行った。

わが家に戻ってまもなくのことである。隣の山にはゴンの兄のデン一家が住んでいたが、その妻キキが、息を切らせて走ってきた。その話に寄れば、デンは、さっき猟師によって撃ち殺されてしまった、というのだ。デンの妻は、泣きながら、ゴン一家の所に来てこう言った。

「ゴン、うちの人が何を悪いことをしたというの?ただ木の実を取りにいっただけじゃないの。昔からね、人間は、我々熊族の皮を剥ぎ、肉を取り、内蔵を薬にしてきたと言う話を、おじいさんから聞いたことがあったけど…まさか自分の身内がそんな目にあうなんてさ…」

「それでデンは、どうなったの?」怒った顔でゴンは言った。

「それがさー、猟師が群がって、その場で皮を剥いで、肉を取って、バラバラにされちゃったって、その場に行って見たら、少しばかりの血が残っていただけだったのさー」

「だれか、その場を見た奴がいるのか?」

「いたさー私の息子のヤレが見ていた。はっきり見ていた。デンは息子を助けようとしてわざと猟師の目立つ所を走ったのさー。だからヤレは木陰から、全てを見ていたんだ。にやにや笑いながら、デンを解体して運んで行ったらしいとさー」

「やつら、そこまで熊を馬鹿に仕上がって、ただじゃーおかねーぞ。それでヤレは大丈夫なのか?ヤレが心配だな」そう言いながらゴンは立ち上った。

「そうなのよ。すっかり性格が変わってしまって、とにかく人間に復讐するって、そればっかりなのさー」

そこでじっと聞いていたゴンの妻ミミが口を挟んだ。

「そりゃー無理もないね。大好きなお父さんを目の前で殺されてしまったんだからね。あんなにやさしい子だったのにね。ヤレはいくつになったけ?」

「この秋で7つになるのさー」

「そう、もうりっぱな大人ね。ほんとうにかわいそうに」と言いながら、ミミはキキを抱きしめた。

 幼いアト、サキ、デズの三兄弟は、いったい何が起こったのか、あまり理解できなかったが、お父さんやお母さんやおばさんが泣いたり怒ったりしている姿を見ながら、何か大変なことが、今起きつつあるかもしれない、という漠然とした不安を感じてどきどきしていた…。

その夜、ゴンは悔しくて、悔しくて眠れなかった。何度か寝返りをうっていると、ふいになま暖かい風が頬を撫でて、デンの霊がゴンの枕元に現れた。

「ゴンよ、俺は悔しい。その気持ちを、どうしてもお前に伝えたかった。ゴンよ、お前なら、俺の悔しさがわかるだろう。人間どもが憎い。何の理由もなく、我ら熊族の住んでいる山に入って来上がって、我がもの顔で、木を切り倒し、住処を追われた我々を容赦なく、撃ち殺していく、こんなことが許されてたまるか。なあ、ゴンよ、そうだろう」

ゴンは、「そうだ、デンその通りだ」と言いたかったが、口が硬直して動かなかった。

デンの霊は続けた。

「俺は息子を守った。男して当然だろう。きっとヤレは、このことで、深く傷ついているはずだ。とうさんは、きっと自分の身代わりになって、死んだのだと思っているはずだ。でもゴン、それは違う。俺はヤレの父として、男として当然のことをやったまでだ。ヤレは、身体は一人前だが、まだまだ子供だ。子供として、学ばなければならないことがたくさんある。きっとあいつの勝ち気な性格からして、人間に復讐することを考えるはずだ。そこを何とか止めさせてほしい。もちろんこの俺を殺した猟師は憎いさ。しかしヤレには、まだその力がない。もしヤレが、そんな事に一生懸命になれば、我が一家は破滅してしまうだろう。何としてもそれは避けてほしい。それが出来るのは、おじさんであるゴンお前だけだ。頼む…。ゴンよ」

ゴンは、目でこのように言った。「分かった。兄さん。絶対ヤレに無謀なことはさせない。誓う、ちゃんと小熊として学ぶべきことは、学ばせる。約束するよ。安心してくれ」

もう夜が白々と明けていた。東の空には、大きな星が瞬いている。

「もうすぐ夜が明ける。もう俺は帰らねばならぬ。さらばだ。ゴン、どうか息子をよろしくな。キキには、また会おう。いつも変わらぬ愛を捧げるよ、と言ってくれ、それで分かるはずだ…」そう言い終わるが早いか、デンの霊は、薄明の中に消えた。

*  *  *  *

目覚めると、妻のミミが、こっちを見ていた。

「どうしたのゴン、夢でも見ていたの?何か必死で話しているようだったけど?」

「いや、何でもない。何でもない」一瞬妻には、デンの霊が言ったことを話そうと、思ったが、余計な心配をかけるといけないと、止めてしまった。

「俺、心配だから、デンの家に行ってくる」デンは起きた瞬間から、不吉な予感を感じていた。

「あら、朝食もとらないでいくの?」ミミが心配そうにそう言った。

そのうちに三頭の子供たちも起きてきたが、いつもの和気あいあいとした空気はなく、何か、得体のしれない緊張感が、デンの一家を支配していた。ゴンは身支度を整えると、いちもくさんに山道を駆け下っていった。

 デンの家族の住まいは、隣の山の谷間(タニアイ)にある。ゴンが、木の葉に覆われた玄関を入ると、驚いたようにデンの妻キキが、こっちを見た。

「あれーゴンか?ヤレがいないのさー。起きたら、ヤレのやつ、いないのさー」

「遅かったか。きっとヤレは、猟師たちに復讐しようとしているんだな」

「どうしよう。ゴン、どうしよう」

「ひとまず、俺が、仲間を集めて、ヤレの後を追うしかない」

そう言うが早いか、ゴンは仲間の熊5頭を集めて、ヤレ救出隊を組織した。ヤレの発する匂いを辿ってヤレの後を追っていった。

その頃、ヤレは血走った目で、デンの血の匂いを頼りに、里に向かって一目散に走っていた。「絶対に許さない。とうさんをやった人間を血祭りに上げてやる。熊族の怒りというものを思い知らせてやる」何度も、この言葉を念仏のようにブツブツ唱えながら、やっと猟師の一人が住んでいる家を見つけた。その家の前には、肉をすっかりしゃくり取られたデンの哀れな皮が軒先に吊されてあった。

「とうさん、とうさん、ぼくのためにごめん、ごめんなさい」

その時である。がやがやという人間の子供の騒がしい声がした。猟師の子供が、父が熊を仕留めたというので、近所の子供に自慢をして回って、2人の子供を連れてきたのである。

「どうだ。おらのとうちゃんが仕留めた熊だぞ。大きいべ。夕べ肉は喰った。うまかったな。牛なんか問題にならない。少し固いけど、これこそ肉を喰っているって、味がするんだぞ」

「へー。でかいな。この熊を一発で仕留めるなんて、お前の父ちゃんすごいな」

「とんでもない。一発で熊が死ぬものか、一発撃ったが、急所をはずしたらしいんだ。父ちゃんもだいぶ慌てたらしい。何しろ、父ちゃんに向かって、まっしぐらに走ってきたんだから。手負いの熊は怖いんだぞ」

「へー、すごいな、それでお前の父ちゃんが、狙いを定めて撃ったのか?」

「そうさ、眉間を狙ってな。熊は父ちゃんの2m前で「がー」という声を2度上げて、死んだらしい」

黙って聞いていたヤレだったが、その怒りは頂点に達していた。「がー」という二度の叫びは「元気でくらせよ、ヤレ」「母さんをたいせつにな」という父の最後の言葉だった。このように一方にとっては、武勇談ではあっても、また一方にとっては悲劇以外のなにものでもない。だから簡単に武勇談などというものは、語るものではない。誰がどこで聞いているか、わからないのだから。

別にヤレも、猟師の子供を傷つけるつもりはなかったが、怒りがこみ上げてきて、「がー(ふざけるな!)」と叫んで、人間の子供の前に走っていった。まさか、里まで熊が来るとは、夢にも思わない3人の子供たちは、大慌てで、クモの子を散らすように四方に逃げていく。しかもヤレは、7才とはいっても、見かけは、立派な雄熊である。

ヤレは思わず、猟師の子を捕まえると、「がー(俺の父ちゃんを喰い上がってこの野郎)」と言いながら、5mばかりぶっ飛ばした。猟師の子は運悪く、軒の土塀にぶつかって気絶してしまった。頭からは夥しい血が噴き出した。

外の騒々しい気配に気づいたのか子供の母親が、様子を見に来て驚いた。何しろ熊が、自分の息子を喰いにかかろうとしているように見えたのだ。

「キャー、人殺し、クマだ。クマだ。父ちゃんクマに、太郎が喰われちゃうよ」

ヤレもびっくりした。その母親の声の大きいことといったら、まるで雷が目の前に落ちたようなけたたましさだった。

その声で、ふと我に返ったヤレは、頭のどっかで父の声を聞いた。

「ヤレ、駄目だ。来ては駄目だ。お前にはお前のやれなければならないことがある。ここはお前の来る所じゃない。走れ、走って逃げろ」

 奥で妻の声を聞いた猟師は、「クマ」という響きに、片方の眉をひくりとさせた。猟師としての本能をかき立てられたのだ。すぐに鉄砲に手をかけると、玉を込め、ドドドッとばかりに外に飛び出して行った…。

猟師の妻の声が響いて、ゴンは近くにヤレがいることを知った。ゴンは猟師の家の裏の竹藪の前でみんなを止めた。

「みんな申し訳ないが、俺がまず様子を見てくるから、ここで待っていてくれ、もしも俺が一度吠えたら、ここにある竹を揺すってできるだけ大勢で来ているように見せかけてくれ。もしも二度吠えたら、この場で声を合わせて吠えてくれ」

父の声に我を取り戻したヤレは、取りあえず一度、家に帰ろうと思った。相変わらず、猟師の妻は、大声を張り上げて、自分の息子を守ろうとしている。ヤレが背を向いて山に向かって走ったとほぼ同時に、バーンという銃声が辺りの空気を引き裂き、ヤレの足下を銃弾が駆け抜けて行った。

「ヤレ、こっちだ。ヤレ」その銃声を聞いて、ゴンが叫んだ。

「おじさん。ゴンおじさん」ゴンの声に勇気づけられたヤレは、ゴンの声のする竹藪に向かって走った。猟師は態勢を立て直して、再度銃身をヤレに向けて、狙いを定めた。

「くそ、いまいましい熊公め。さては親の仇を取りに来上がったな。飛んで火にいる夏の熊め、ぶっ殺してやる」猟師は、そう言って引き金を引いた。今度は、玉がヤレの頭をかすめて行った。このままではヤレもやられると思ったゴンは、「がー」と一度吠えた。するとそれに合わせて、竹藪全体が揺れた。一瞬猟師は、驚いて目をむいた。

「何だあれは?」

ゴンはさらに「がー、がー」と二度吠えた。すると仲間の熊たちが、声を合わせて「ガオー」とすさまじい声で吠えた。

「熊の化け物か?」さすがに熊を殺しなれた猟師も怖くなった。竹藪全体が揺れたかと思うと、これまで聞いたこともないような声で熊が吠えている。下手をすれば、自分の家族全体が殺されてしまう。これは熊のたたりか何かか?本気で猟師はそう思った。

 

そうしているうちに、猟師の息子の太郎が息を吹き返した。

「あんた。太郎を早く、病院に、熊なんて、どうでもいいよ。あんた」

「…」そんな母親の声を聞きながら、いったい何をしているんだ、というような表情で太郎が、母親を見た。すぐに父の猟師もそばに来た。

「太郎、大丈夫か?痛いところはないか?」

「うん」と太郎はいった。顔は鼻血で真っ赤だったが、ぶつかったのが土塀なので、大きなけがには至らなかったようだ。太郎は、安心したためか、急に大声で、わんわんと泣き始めた。

「あんたが、熊ばかり、殺しているから、こんなことになったんだよ。あんたはそれでいいだろうけど、太郎はどうなってもいいのかい。今日という今日は、ほんとに太郎が身代わりで殺されるかと思ってしまったよ」

「かあちゃん、とうちゃん、夢を見たんだ。怖かった。大きな熊が、夢に出てきた。ホントだよ。その熊のお化けは、俺にこう言ったんだ」

―おい、小僧。どうだ。熊の肉を食った気分は?俺の肉がたっぷりお前の腹の中に収まっている。お前は俺を食って征服したつもりのようだが、食われて魂だけになった俺の方が、お前のすべてを支配しているのだ。お前の親父は、わしの息子を殺そうとした。だから俺は息子を守るためにお前の親父に撃たれてしまった。悔しい。わかるか?小僧。悔しいということのホントの意味がな…。

その話を聞きながら、猟師は、背筋に寒いものが走った。もしも逆の状況になれば、自分は熊のように、太郎の身代わりとなって、自分の身を捧げられるだろうか?

猟師は、猟師になって二十数年、一度たりとも熊の家族のことなど考えたことはなかった。指折り数えてみれば、すでに自分は、99頭の熊を猟という名のもとに殺戮している…。その罪の深さは、いまさら消せるものではないが、自分の家族に危害が及ぶことになって、はじめて自分がしていることの非情を知り、自分のしてきたことの罪の深さを感じていた。もしも仮に自分の息子の太郎が殺されたとしたら、おそらくこの裏山に住む熊という熊を恨み、絶滅に追いやるまでの殺戮に狂うかもしれないと思うと、急にそんな自分が怖くなった。

「父ちゃん、怖い顔しているか?」猟師は、息子に向かってそう言った。

「ああ、怖い、ホントに怖い。いつもあんた熊をしとめた話をする時、薄気味悪く、にやっとするだろう。ぞっとするよ。ほんとだから…」妻がそう横から、口を差し挟んだ。

「…時々、父ちゃんが怖くて、近づけなくなる時があるよ。友達には自慢するんだけど、ホントは俺、父ちゃんが怖くて怖くて仕方ないんだ」

猟師は、息子が実の父である自分のことを「怖い」と思う瞬間があるということを聞いて愕然とした。きっと自分の中にある「熊をしとめたい」と思う心が、まわりの人間に、そのように映り、また少なからぬ影響を与えていることも知った…。心の中で猟師は、「このままでは家族が駄目になってしまう。何とかしなくては…」と思い始めていた。

*  *  *  *

ゴンは、ヤレを連れて、キキの待つ家に辿り着いた。すぐにミミが涙で彼らを出迎えた。

「ヤレ、心配したよ。ヤレお前の気持ちはわかる。でもね、お父さんはきっと、お前が仇を討つことを喜ばないと思うよ。いつもお父さんは、ヤレについて言っていたよ。ヤレにはりっぱな雄熊になって欲しい。だからまだまだヤレには、教えることが沢山あるんだってね。やりたいことをやるのは、誰でもできる。しかしやりたいことを我慢して、もっと別のやり方を考えるのも知恵だとも言っていたよ。母さんも悔しいけど、これからは、ゴンのおじさんに色々相談しながら、生きて行かなきゃね。ヤレ」そういうとミミは、優しくヤレを抱きしめた。

「母さん、心配かけてごめんなさい。自分を見失いかけた時、父さんの声が、聞こえた。もしもあの時、あの制止の声がしなかったら、とんでもないことになっていたかもしれない。父さんや母さんが、一番いやがる結果を招いていたかもしれない」

「そうかい。父さんなんて言ったの?」

「あんまり覚えてはいないけど、母さんの所へ戻れって、言ってくれたような気がする」

「そうかい。ヤレ、父さんらしいね。父さんはいなくなったけど、父さんは、今も我々のことを見守ってくれているんだよ」

ここで初めてゴンが口を出した。

「兄さんの霊も、殺された時の憎しみを深く理解し始めているようだね。さすがは兄さんだと思うよ。悔しさを悔しさで終わらせない。その悔しさというものを、兄さんは前向きのエネルギーに変えてしまったのかもしれない」

*  *  *  *

こうして一時は、熊族と人間との戦場になるかと思われた奥山にも静けさが戻った。ゴンは兄を失ったことで、自分の家族だけではなく、兄の家族の面倒をよくみて、熊族の長(おさ)に収まった。熊族で問題が起こると、ゴンは公平にしかもよく相手を見ながら、いいアドバイスを送った。

さて人間の猟師の家族には、もっと劇的なことが起こった。聞くところによれば、猟師は、鉄砲を処分し、猟師であることをやめた。そして今はわずかな田畑を耕して、息子をなんとか大学に入れた。息子も賢明に勉強をして、ある時、父に向かって

「父ちゃん、俺、獣医さんになりたい。いいだろ?!」と言った。

「そうか、自分の思うように生きなさい」狩猟の道から、すっかり足を洗った父は、そう言ってにっこりとした。そんな親子を「あそこの息子は、親の業を消そうとしているさ」と、近所の人々は、盛んに噂しあったということである。了 佐藤
 


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1999.7.16