奥州後三年記

 

凡例
  1. 底本には仙台叢書第一巻奥羽軍記所収(寛文二年の印本)を使用した。
  2. 読み辛いので原文にはない段落を付けを行った。 

2000年6月吉日
佐藤弘弥

 
 
 

 
奥州後三年記序
  
朝家に文武の二道あり。たがひに政理を扶く。山門に顕密の両宗あり。をのゝ護持を致す。是聖代明時の洪業より出て。神明佛陀の余化にあらずといふことなし。しかるに本朝神武天皇五十六代。清和天皇の御子貞純親王六代の後胤。伊豫守源頼義朝臣の嫡子陸奥守義家朝臣八幡殿と號す。堀川院御宇永保三年に。奥州の任に就く。爰にみちのくに奧六郡を領せし。鎭守府将軍清原武則が孫。荒河太郎武貞が子真衡が。富有の奢過分の行跡より起りて。一族ながら郎従となれりし。秀武ふかきうらみをふくみて。合戦をいたす其余殃廣に及て、つゐに武衡家衡をせめられしに。大軍ちからをつくし勇士名をあぐる。戦ひそのかずをしらず。此間に大将軍陸奥守の武徳威勢。上代にも又稀なり。所謂雪の中に人をあたゝむる仁心は。陽和の気膚にふくみ。雲の外に雁をしる智略は。天性の才胸に蓄ふ。或は士卒剛臆の座。はかりごとをもて人をはげまし。あるひは凶徒没落の期。掌をさしてこれをしめす。仍て寛治五年十一月十日の夜。大敵すでに滅亡して残黨ことごとく誅に伏す。其後解状を勒して。奏聞叡感尤はなはだし。俗呼でこれを八幡殿の後三年の軍と称す。星霜はおほくあらたまれども。彼佳名は朽ることなし。源流廣く施して今にいたりて又彌新なり。古来の美談誰か其威徳を仰がざらん。世上のしるところ猶ゆくすゑみにつたへ示さん事を思ふ。後漢の二十八将其形を凌雲壹に寫す。本朝賢聖障子名士を紫宸殿に圖せらる。かるがゆへに今此繪を調をかしむる所なり。これらの来由につきて。此畫圖東塔南谷の衆議として其功を終ふ。狂言戯論の端といふことなかれ。兒童幼学の心をすゝめて。讃仰の窓中時々是を抜きて。永日閑夜の寂寞をなぐさめ。家郷の望の外よりゝこれをもてあそびて。嘯風哢月( の吟詠にまじへんとなり。後素精徴のうるはしき。丹青の花春常にとゝまり。能筆絶妙の姿金石の銘。古に耻べからず。彼此共にuあり老少をなじく感ぜざらめや。于時貞和三年法印權大僧都玄慧。一谷の主命にして。大網の小序を記すといふことしかり。

 
 

奥州後三年記上

永保のころ奧六郡がうちに。清原真衡といふものあり。荒河太郎武貞が鎭守府将軍武則が孫なり。真衡が一家はもと出羽國山北の住人なり。康平のころほひ。源ョ義貞任宗任をうちし時。武則一萬余人の勢を具して。御方にくはゝれるによりて。貞任宗任をうちたいらげたり。これによりて武則が子孫六郡の主となれり。それよりさきには。貞任宗任が先祖六郡の主にてありけるなり。真衡の威勢父祖にすぐれて。國中に肩をならぶるものなし。

心うるはしくしてひがことををこなはず。國宣ををもくし朝威をかたじけなくす。これによりて堺のうちをだやかにして兵おさまれり。真ひら子なきによりて。海道小太郎成衡といふものを子とせり。年いまだわかくして妻なかりければ。真衡成衡が妻をもとむ。當國のうちの人はみな従者となれり。隣國にこれをもとむるに。常陸國に多気權守宗基といふ猛者あり。そのむすめをのづから頼義朝臣の子をうめることあり。頼義むかし貞任をうたんとて。みちの國へくだりし時。旅のかり屋のうちにて彼女にあひてけり。すなはちはじめて女子一人をうめり。父祖宗基これをかしづきやしなふ事かぎりなし。

真衡この女をむかへて成衡が妻とす。あたらしきよめを饗ぜんとて。當國隣國のそこばくの郎等ども。日ごとに事をせさす陸奥のならひ。地火鑪ついてとなんいふなり。もろゝのくひ物をあつむるのみあらず。金銀絹布馬鞍をもちはこぶ。出羽國の住人吉彦秀武といふ者あり。これ武則がはゝかたのをい又むこなり。昔頼義貞任をせめし時。武則一家をふるひて當國へ越来て。栗原郡営の岡にして。諸陣の押領使をさだめて軍をとゝのへし時。この秀武は三陣の頭にさだめたりし人なり。しかるを真衡が威徳父祖にすぐれて。一家のともがらおほく従者となれり。秀武そなじく家人のうちにもよほされて。この事をいどなむさまゝのことゝもしたる中に。朱の盤に金をうづたかくつみて。目上に身づからさゝげて。座にひざまづきて。盤を頭のうへにさゝげてゐたるを。真衡御持僧にて五そうのきみといひける。

奈良法師と圍碁をうちいりて。やゝひさしくなりて。秀武老のちから疲れてくるしくなりて。心におもふやうわれましき一家の者なり。果報の勝劣によりて。主従のふるまひをす。さらむからだに老の身をかゝめて。庭にひざまづきたるを。久しく見いれぬなさけなく。やすからぬことなりとおもひて。金をば庭になげちらして。にはかにたちはしりて。門のほかに出て。そこばくもちきたる飯酒を。みな従者どもにくれて。長櫃などをばかどのまへにうちすて。きせながとりてきて。郎等どもにみな物のぐせさせて。出羽國へにげていにけり。

真衡圍碁うちはてゝ。秀武をたづぬるに。かうゝしてなんまかりゐるといふを聞て。真衡おほきにいかりて。たちまちに諸郡の兵を催して秀武をせめんとす。兵雲霞のごとく集れり。日来をだやかに目出たかりつる六郡。たちまちにさはぎのゝしる。真衡すでに出羽國へ行向ぬ。爰秀武思ふ様われは勢こよなくをとりたり。せめおとされんこと程をふべからずといひて支度をめぐらすやう。みちの國に清衡家衡といふものあり。清衡はわたりの權太夫経清が子なり。経清貞任に相ぐうしてうたれにし後。武則が子太郎武貞経清が妻をよびて家衡をばうませたるなり。しかれば清衡と家ひらとは父かはりて。母ひとつの兄弟なり。秀武この二人がもとへ使をはせていひおくるやう。真衡にかく従者のごとくしてあるは。そこたちはやり。すからずはおぼさずや。思はざる外のこといできて。せいをふるひて。既に我もとへよする也。そのあとにこそたちいつはりて。かの妻子をとり家をやきはらひ給へ。さて真衡やうやくかたふくべきなり。そのひまをもとめんに。此時は天道のあたへ給ふ時なり。真衡妻子をとられ。住宅をやきはらはれぬときかば。われ雪の首を真衡にえられん事。さらゝ憂へはあらずといひをくれり。こゝに清衡家衡よろこびをなして。せいをおこして。真衡がたちへをそひゆく。みちにて伊澤の郡白鳥の村の在家四百余家を。かつゝ焼はらふ。真衡是をきゝて道よりまどひかへり。まづきよひら家ひらと。たゝかはんとてはせへる。清ひら家ひら又聞て。勢あたるべからずとてまたかへりぬ。

さねひら両方のたゝかひをしえずして。いよゝいかりてなほかさねて。兵を集てわが本所をもかため。又秀武がもとへゆかんとて。いくさだちすることはかりなし。永保三年の秋。源義家朝臣陸奥守になりてにはかにくだれり。真ひらまづたゝかいひのことをわすれて。新司を饗應せんことをいとなむ。三日厨といふ事あり。日ごとに乗馬五十疋なん引ける。其ほか金羽あざらし絹布のたぐひ。数しらずもてまゐれり。真衡國司を饗應しをはりて。奧へかへりてなを本意をとげんために。秀武をせめんとす。いくさをわかちてわが館をかためて。我身はさきのごとく出羽の國へゆきむかひぬ。

真衡出羽へ越ぬるよしをきゝて。きよひら家ひら又さきのごとくをそひきたりて。真ひらが館をせむ。其時國司の郎等に。参河國の住人兵藤大夫正経・伴次郎{仗助兼といふ者あり。むこしうとにてあひぐして。この郡の検問をしてさねひらがたち。ちかくありけるを。真衡が妻ふかひをやつていふやう。さねひら秀武がもとへゆきむかへるあひだに。清ひら・家ひらをそひきたりてたゝかふ。しかれども兵おほくありて。ふせぎたゝかふにをそれなし。たゝし女人の身大将軍のうつはものにあらずきたり給ひて大将軍として。かつはたゝかひのありさまをも。國司に申さるべきよしをいひやれり。正経助兼等これを聞て事とはず。さねひらがたちへきたりぬ。清ひら家ひらよせきたりすでにたゝかふ。

武ひらは。國司追かへされにけりときゝて。みちのくによりて勢をふるひて。出羽へこえて家ひらがもとにきたりていふやう。きみ獨身の人にて。かばかりの人をかたきにえて。一日といふとも。をひかへしたりといふ名をあぐる事。君一人の高名にあらず。すでにこれ武ひらが面目なり。このこくし世のむかしの源氏平氏にすぎたりしかるを。かくをひ帰し給へる事。すべて申すかぎりにあらず。いまにをいてわれもともに。同じ心にて屍をさらすべしといふ。家衡これをうけよろこぶ事かぎりなし。郎等とともにいさみよろこぶ。たけひらがいふやう。金澤の柵といふ所あり。それはこれにはまさりたるところなりといひて。二人相具して沼柵をすてゝ。かなざわにうつりぬ。

将軍の舎弟兵衛尉義光。おもはざるに陣に来れり。将軍にむかひていはく。ほのかに戦のよしをうけたまはりて。義家夷にせめられて。あぶなく侍るよしうけたまはる。身のいとまをたまはらんと。院にいとまを申侍て。まかり下りてなん侍るといふ。義家これをききて。よろこびの涙ををさへていはく。今日の足下の来りたまへるは。故入道の生かへりて。おはしたるとこそおぼえ侍れ。

君すでに副将軍となり給はば。武ひら家ひらがくびをえん事たなごゝろにありといふ。前陣の軍すでにせめよりてたゝかふ。城中よばい振て矢の下る事雨のごとし。将軍のつはもの。疵をかうむるものはなはだし。相模の國の住人。鎌倉權五郎景正といふ者あり。先祖より聞えたかきつはものなり。年わづかに十六歳にして。大軍の前にありて。命をすゝてたゝかふ間に。征矢にて右の目を射させつ。首を射つらぬきて。かぶとの鉢付の板に射付られぬ。矢をおりかけて當の矢を射て敵を射とりつ。さてのちしりぞき帰りて。かぶとをぬぎて。景正手負たりとてのけさまにふしぬ。同國のつはもの。三浦の平太郎為次といふものあり。これも聞えたかき者なり。つらぬきをはきながら。景正が顔をふまへて矢をぬかんとす。景正ふしながら刀をぬきて。為次がくさずりを。とらへてあげさまにつかんとす。為次おどろきてこはいかに。などかくはするぞといふ。景正がいふよう。弓箭にあたりて死するは。つはものゝのぞむところなり。いかでか生ながら足にて。つらをふまるゝ事はあらん。しかじ汝をかたきとしてわれ爰にて死なんといふ。為次舌をまきていふ事なし。膝をかゝめ頭ををさへて矢をぬきつ。をおほくの人是を見聞。景正がかうみやういよゝならびなし。

ちからをつくして。せめたゝかうといひども。城おつべきようなし。岸たかくして壁のそばだてるがごとし。遠きものをば矢をもちてこれを射。近きものをば石弓をはつして是をうつ。死するもの数をしらず。伴次郎{杖 助兼といふ者あり。きはなきつはものなりつねに軍の先にたつ。将軍これをかんじて薄金というふ。鎧をなんきせたりけり。岸ちかくせめよせたりけるを。首をふりて身をたはめたりけれはかぶとはかりをうちおとされにけり。かぶとをちける時本鳥きれにけりかぶとはやがてうせにけり。薄金の甲は此ときうせたり。助兼ふかくいたみとしけり。國司武衡あひくはゝりぬと聞て。いよゝいかる事かぎりなし。國の政事をとどめて。ひとへにつはものをとゝのふ。春夏仇(休?)事なく出立して。秋九月に数萬騎の勢をひきゐて。金澤の館へ赴きすでに出て立つ日大三大夫光任八十にして。相具せずして國府にとどまる。腰はふたへにして将軍の手の轡にとりつきて涙をのごひいふやう。年のよるといふ事は哀しくも侍るかな。生ながら今日君所作し給はんを。見るまじき事よといひければ。きく人みなあわれがり泣にけり。

将軍のいくさすでに。金澤の柵にいたりつきぬ。雲霞のごとくして野山をかくせり。一行の斜鷹雲上をわたるあり。鷹陣たちまちにやぶれて四方にちりてとぶ。将軍はるかにこれをみて。あやしみおどろきて兵をして野邊をふましむ。あんのごとく草むらの中より。三十余騎のつはものをたづねえたり。これかくしをけるなり。将ぐんのつはものこれを射るに。数をつくして得られぬ。義家の朝臣先年宇治殿へ参じて。貞任をせめん事など申けるを。江師匡房卿たち聞て。器量はよき武士の合戦の道をしらぬよと。ひとりごち給へるを。よし家が郎等聞てわが主ほどの兵を。けやき事いふおきなかなとおもひつゝ。よし家に此よしをかたる。義家これを聞てさる事もあるらんとて。江師の出られけるところによりて。ことさら会釈しつつ。その後彼卿にあひて文をよみけり。よし家われ文の道をうかがはずば。爰にて武ひらがために。やぶられなましとぞいひける。兵野に伏時雁つらをやぶると云事侍るとかや。

柵をせむる事。数日におよぶといへども。まだおとしえず。将軍つはものどもの心をはげまさんとて。日ごとに剛臆の座をなんさだめける。日にとりて剛に見ゆる者どもを一座にすへ。臆病に見ゆる者どもを一座にすへけり。をのゝ臆病の座につかじと。はげみたゝかふといえども。日ごとに剛の座につく者はかたかりけり。腰瀧口秀方なん一度も臆の座につかざりけり。かたへもこれをほめかんぜずといふ事なし。秀方は義光が郎等なり。将軍の郎等どもの中に。今度殊に臆病なりと。きこゆるものすべて五人ありけり。これを略頌につくりけり。鏑の音きかじとて耳ふさぐ剛のもの。紀七・高七・宮藤王・腰瀧口・末史郎といふは末割惟弘が事なり。

 

奥州後三年記上 終
 
 
 

奥州後三年記中

吉彦秀武将軍に申やう。城の中かたくまもりて。御方の軍すでになづみ侍にけり。そこばくのちからをつくすとも。やくあるまじ。しかじたゝかひをとどめて。ただまきてまもりおとさん。粮食つきなばさだめて。をのづからおちなんといふ。軍をまきて陣をはりてたてをまく。二方は将軍これをまく。一方は義光これをまく。一ほうは清衡重宗これをまく。かくて日数ををくるほどに。武衡がもとに亀次並次と云二人の打手あり。ならびなきつはものなり。是をこはうちと名付たり。武衡使を将軍の陣へつかはして。消息していはく。たゝかひやめられて徒然かぎりなし。亀次と云こはうちなん侍る。めいして御覧ずべし。そなたよりもしかるべき打手一人出して。めしあはせたがひに。徒然をなぐさめられ。侍るべきかといひをくれり。

将軍出すべき討手をもとむるに。次任が舎人鬼武といふものあり。心たけく身のちからゆゝしかりけり。これをえらびていだす。亀次城の中よりをりくだる。二人闘の庭によりあへり。両方の軍目もたゝかずこれを見る。両方すてによりあひてうちあふ事半時なり。たがひにいづれすきまありともみえず。あるほどに亀次が長刀のさき。しきりにあがるやうにみゆるほどに。亀次甲胄きながら。鬼武なぎなたのさきにかかりておちぬ。将軍のいくさよろこびの。時をつくりのゝしる聲天をひびかす。これを見て城中のつはもの。亀次が首をとられじと。うちより。くつばみをならべてかけ出。将軍のつはもの又亀次がくびをとられんとて。おなじくかけ合ぬ。又両方みだれまじりて。大きにたゝかふ。将軍のつはもの数多して。城より下るところのつはもの。ことゝくうちとられぬ。末割四郎これ弘。をく病の略頌に入たる事をふかくはぢとして。今日我剛臆はさだまるべしといひて。飯さけおほくくひて。出こと葉のまゝにさきをかくる間に。かぶら矢頸の骨にあたりて死す。射きられる頸のきりめより。喰たる飯すがたもかはらずして。こぼれ出たり。見るもの慚愧せずといふ事なし。将軍これを聞てなかしみていはく。もとよりきりとをしにあらざる人。一旦はげみてさきをかくる。かならず死ぬる事かくのごとし。くらふところのもの。はらに入ずして喉にとゝまる。臆病のものなりとぞいひける。

家ひらが乳母千任といふもの。やぐらの上に立て。聲をはなちて将軍にいふやう。なんぢが父頼義貞任宗任をうちえずして。名簿をさゝげて。故清将軍をかたらひたてまつり。ひとへにそのちからにて。たまゝ貞任をうちえたり。恩をにない徳をいたゝきて。いづれの世にかむくひたてまつるべき。しかるを汝すでに相傳の家人としてかたじけなく重恩の君をせめたてまつる。不忠不義のつみさだめて。天道のせめをかうふらんかといふ。おほくのつはものをのゝ。くちさきをとぎて。こたへんとするを。将軍制してものいはせず。将ぐんのいふやう。もし千任を生捕にしたらんものあらば。かれがためにいのちをすてん事。ちりあくたよりも。かろからんといへり。

館のうち食つきて。男女みななげきかなしむ。武ひらよし光につきて降をこふ。よし光このよしを将軍にかたる。将軍あへてゆるさず。たけひらなをねんごろなること葉をもちて。よし光をかたらひていはく。我君かたじけなく城の中へきたりたまへ。その御供にまいりなば。さりともたすかりなんといふ。義光ゆくべきよしをいふと聞て。将軍よし光をよびていふやう。昔より今にいたるまで。大将次将の敵によばれて敵へゆく事は。いまだ聞をよばざる事なり。君もし武ひら家ひらにとりこめられなば。我百般くひ千般ふとも何のかひかあらん。そしりを萬代の後にのこし。あざけりを千里の外にまねかんといひて。口説はぢしむる事かぎりなし。

これによつてゆかず。武ひらかさねてよし光にいふやう。御身わたり給ふ事有べからずば。しかるべき御つかひ一人を給て。おもふ事よくゝ申ひらかんといふ。よし光らうどうどもの中に。誰かゆかんずるとえらぶ。みな季方こそまからめとさだむによりて。季かたをやる。あか色のかり。あをに無もんのはかまを着て。太刀ばかりをはきたり。城戸はじめてひらきて。わづかに人ひとりをいれ。城中のつはものかきのごとくにたち並。弓箭太刀かたな林のごとくしげくして。道をはさめり。

季方わづかに身をそばだてゝあゆみ入。家の中にのぼりてゐぬ。武ひら出合てかつゝよろこぶ。季かたちかく居よりてあり。家ひらはかくして出ず。武衡なをまげてたすけさせ給へと。兵衛殿に申さるべきよいしをいひて金おほくとり出してとらす。季かたがいふやう。城中の財物今日給はらずとも。殿原おち給ひなばわれらが物にて。こそあらんずれといひてとらず。武ひらうちより大なる矢をとりいでゝ。これは誰人の矢にて侍るにか。此矢の来るごとにかならずあたる。射らるるもの皆たえなんといふ。すゑかた見ていはく。是なんをのれが矢なりといふ。又立とて云やう。もし我をしちにとらんとおぼさば。只今爰にてみづからいかにもし給へ。まかり出んにそこばくのつはものゝ中にて。ともかくもせられんはきはめて。わろく侍りなんといふ。武ひらがいふやう。大かた有べき事にもあらず。ただとくとく帰給ふて。よくよく申給へと云てやりつ。季方さきのごとく兵の中をわけてかへる時太刀のつかに手をかけて。うちわらひ見て。少しも気色かはりたる事なくて。あゆみ出にけり。

季方が世のおぼえ。是より後いよゝのゝしりけり。城をまきて秋より冬にをよびぬ。又さむくつめたくなりてみなこごへて。をのゝかなしみていふやう。去年のごとくに大雪ふらん事。すでに今日明日の事なり。雪にあひなばこごへ死なん事うたがふべからず。妻子どもみな國府にあり。おのゝいかでか。京へのぼるべきといひて。泣くゝ文ども書てわれらは一ぢやう。雪にをぼれて死なんとす。是をつりて粮料として。いかにもして京へかへり上るべしと。云て我きたるきせながをぬぎ。のり馬どもを國府へやる。城中飢にのぞみて先下女に童部など。城戸をひらき出来る。軍どもみな道をあけてこれを通しやる。是をみてよろこびて。又おほくむらがりくだる。

すゑ武将軍に申やう。このくだるところのげす女童部。みな頸をきらんといふ。将軍その故をとふ。すゑ武がいふやう。目の前にころさるゝを見ば。のこる所の雑人さだめて降らじ。しからば城中の粮疾盡べきなり。すでに雪の期になりたる事を。よるひるをそれとす。片時なりともとくおちなん事をねがふ。此くだる所の稚童女部は。城中のつはものどもの愛妻愛子どもなり。城中にをらはをつとひとりくひて妻子に物くわせぬ事あるまじ。おなじく一時にこそ餓死なんずれ。しからば城中の粮。今すこしとく盡べきなりいふ。将軍之を聞て尤しかるべしといひて。降る所のやつどもみな目の前にころす。これを見て永く城戸をとぢて。かさねてくだる者なし。

 

奥州後三年記中 

 

 

奥州後三年記下

藤原の資道は将軍のことに身したき郎等なり年わづかに十三にして。将軍の陣中にあり。よるひる身をはなるゝ事なし。夜半ばかりに将ぐん資みちを。おこしていふやう。武ひら家ひらよろこびて落べし。こゞへたる軍どもおのおのすべしたるかり屋ども。火をつけて手をあぶるべしといふ。資みちこのよしを奉行す。人あやしく思へども。将軍のをきてのまゝにかり屋どもに。火をつけてをのゝぐ手をあぶるに。まことにそのあかつきなんおちけり。人是を神なりとおもへり。すでに寒のころほひに及ぶといへど。天道将軍の心ざしをたすけ給ひけるにや。雪あへてふらず。武ひら家衡食物ことごとくつきて。寛治五年十一月十四日の夜。つゐに落をはりぬ。

城内の家どもみな火をつけつ。畑の中にをめきのゝしる事地獄のごとし。四方にみだれて蜘蛛の子をちらすに似たり。将軍の殺すにぐる者は千萬が一人なり。武衡にげて城のうちに。池のありけるに飛入て。水にしづみてかほを叢にかくしてをる。つはものども入みだれて。これをもとむ。つゐに見つけて池より。ひきいだしていけどりつ。又千任おなじく生虜にせられぬ。家衡は花柑子といふ馬をなん持たりける。六郡第一の馬なり。これを愛する事妻子にすぎたり。にげんとて此馬敵のとりて。のらん事ねたしといひて。つなぎ付てみづから射ころしつ。さてあやしのげすのまねをして。しばらくにげのびてけり。城中の美女ども。つはものあらそひ取て。陣のうちへゐて来る。おとこの首は鉾にさされて先にゆく。女はなみだをながしてあとにゆく。

将軍武ひらをめし出て。みづから責ていはく。軍の道勢をかりて敵をうつは。むかしもいまもさだまれるならひなり。武則且は官符の旨にかませ。かつは将軍のかたらひによりて。御方にまゐり加れり。然るを先日従僕千任丸にをしへて。名簿あるよし申しは。くだんの名簿さだめて。なんぢ傳へたるならん。すみやかにとり出べし。武則えびすのいやしき名をもちて。かたじけなく鎮守府将軍の名をけがせり。これ将軍の申をこなはるゝによりてなり。是すでに功労をむくふにあらずや。いはんやなむぢらは。其身にいさゝかのこうらうなくして。むほんを事とす。何事によりてかいさゝかのたすけをかふるべき。しかるをみだりがはしく。重恩の主となのり申。その心如何たしかにわきまへ申せとせむ。武衡はかうべを地につけて。敢て目をもたげず。なくなくたゞ一日のいのちをたまへと云ふ。

兼仗大宅光房におほせて。その頸を斬しむ。武衡いできらんとする時に。義光も目を見あはせて。兵衛殿たすけさせ給へといふ。爰によし光将軍にいはくつはものゝ道降人をなだむるは古今の例なり。しかるを武ひら一人あながちに。頸をきらるゝ事その心いかゞといふ。よし家よし光に爪まじきを。しかけていふやう。降人といふは戦場をのがれて。人の手にかからずして。後に咎をくひて首をのべまゐるなり。所謂宗任等なり。武衡はたゝかひ場にいけどりにせられて。にだりがはしく片時のいのちをおしむ。かれをば降人といふべしや。君この禮法をしらずはなはだつたなしといひてつゐに斬つ。千任丸をめし出して。先日矢倉の上にていひし事。たゞいま申てんやといふ。千任かうべをたれてものいはず。その舌をきるべきよしをきつ。

源直といふものあり寄て。手を持て舌を引出さんとす。将軍。大きにいかりていはく。虎の口に手をいれんとす。はなはだをろかなりとて追立。ことつはものいできてえらびより。金ばしをとりいでて。舌をはさまんとするに。千任歯をくひあはせてあかず。かなばしにて歯をつきやぶりて。その舌を引きだしき是を斬つ。千任が舌をきりをはりて。しばりかがめて。木の枝につりめげて。足を地につけずして。足の下に武衡がくびををけり。千任なくなくあしをかゞめて是をふまず。しばらくありてちから盡て。足をさげてつゐに主に首をふみつ。

将軍これをみてらうどうどもにいふやう。二年の愁眉けふすでにひらけぬ。但なをうらむところは。家ひらが首を見ざる事をといふ。城中の宅ども一時にやけほろびぬ。戦場城の中にふしたる。人馬麻をみだせるがごとし。縣小次郎次任といふものあり。當國に名を得たるつはものなり。城中の者のにげさらむとする。道をしきりて遠くのきて道をかtめたり。戦場をにげてのがるゝもの。みな次任にえられぬ。其中に家ひら。あやしのげすのまねをして。にげんとて出来たるを。次任これを見て打ころして。そのくびをきりて将軍の前に持来れり。

将軍これを見てよろこびの心。骨に徹る自くれなゐのきぬとりて。次任にかづく。又上馬一疋に鞍をきてひく。家ひらが首もてまゐるとのゝしる。義家あまりのうれしさに。たれかもてまゐるぞといそぎとふ。次任が郎等家衡が首を。鋒にさしてひざまづきて。縣殿の手づくりに候となんいひける。いみじかりける。陸奥國には手づから仕ぬる事をば。手作となんいひける。武衡家衡が郎等どもの中に。むねとするともがら四十八人が。くびをきりて将軍の前にかけたり。将軍國解を奉て申やう。武衡家衡が謀反すでに定任宗任に過たり。わたくしの力をもつて。たまたまうちたひらぐる事を得たり。はやく追討の官符をたまはりて。首を京へたてまつらんと申す。然れどもわたくしの敵たるよし聞ゆ。官符を給はらは勧賞をこなはるべし仍て官符なるべからざるよし。さだまりぬと聞て。首を道に捨て。むなしく京にのぼりにけり。
 

奥州後三年記下終
 

此記不知何人作也。備史君平宰相忠雄卿。所蔵本國記三巻。上巻土御門文殿寄人仲直。中巻持明院左少将保脩。下巻世尊寺従三位行忠。各寫其詞為。圖則晝工飛騨守惟久筆也。予得偶見尤欣賞寫而留為。其間假字遣等一随其本。眞字以眞字寫假字以假字寫不更一字。而又一梭了須為證本也。然彼以假字交艸行字。此以片假字交眞字。唯是之喚耳。

此記詞簡古而理較著。人僉曰平家物語下。出太平記上。予於此記亦云出平家上。然只讀至抜千任之舌蹈武衡之頭。暴刑有害道義。所不満于予心也。

此記巻首奮本己脱。惜矣史之關文也。而今欲補難獲它本。姑竢異日洽聞之士之為焉云爾。


 
 


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 2000.7.6 Hsato