世界で一番好きな顔

エルネスト・チェ・ゲバラ


「世界で一番好きな顔の人は誰ですか?」という木村さんの質問に、しばらく考えて「エルネスト・チェ・ゲバラ」と思わず、答えてしまった。彼は、キューバ、カストロ首相の友であり、キューバ革命の英雄である。我々が学生だった頃、彼は権力に立ち向かうもののシンボルだった。単にかっこいいとか、そんなものではなく、とにかく彼の生き様に共感したのである。
 

ゲバラは1928年、アルゼンチンに生まれた。父はユダヤ人だった。やがて医者となり、革命運動に志を抱いて、キューバに渡り、キューバ独立運動に参加した。当時のキューバは、アメリカの植民地状態で、アメリカにしっぽを振っているような政権が、貧しい民衆を苦しめていた。軍医として従軍したゲバラだったが、やがて作戦家として頭角をあらわし、指導者だったカストロとともにキューバを見事独立(1962年)に導いて「キューバ建国の父」とも言われる人物である。

既得権益を失いたくないアメリカは当然圧力をかけてくる。そのアメリカの力に対抗するために、カストロとゲバラは、ソビエトの力を利用した。二人ともソビエトを信用していた訳ではない。しかし、それしかアメリカに対抗する選択肢がなかったのだ。そして何とアメリカの目と鼻の先に核弾頭を搭載したミサイル基地を建設したのである。当然アメリカは、激怒し、艦隊によって海上を封鎖し、第三次世界大戦が起こりかけたのである。これがキューバ危機(1962年)である。その時のアメリカの大統領は、有名なケネディーだった。アメリカは、それからというもの30年以上の間ずっと、キューバを徹底して経済的に封じ込める政策を取っているのである。1989年のソビエト崩壊後は、ソビエトという後ろ盾を失ってキューバの経済状態は、ますます厳しくなってきているのが現状だ。

キューバ独立後、ゲバラは、工業相(大臣)となった。しかし彼は、それで満足できなかった。世界中の貧しい人のために何かをしたい。という気持ちが徐々に盛り上がりつつあった。その思いが頂点に達した時、ゲバラは、有名なカストロに向けての別れの手紙を書く。「君はキューバ革命を守らなければならない。しかし世界中で、僕の小さな力を必要としている所がある。僕たちには別れの時が来たのだ。どうか僕の気持ちをわかって欲しい」そして静かにキューバを去ったのである。時に、1965年10月3日、ゲバラ37才の秋であった。

その後、ボリビアに潜入したゲバラは、一人の山岳ゲリラ兵士として地元のゲリラ軍と合流し、貧しい人のために戦った。しかしボリビア政府軍も、アメリカのCIAの協力な援助のもとに徹底的な、ゲバラ捕獲作戦を展開した。不死身と思われていたゲバラも、戦うこと二年、ついに1967年10月8日、ボリビア政府軍によって捕獲され裁判も受けずに殺害されてしまったのである。享年39才であった。

最近そのゲバラの遺骨と思われるものが、ボリビアの共同墓地から発見され話題となった。テレビのニュースを見て私は驚いた。何故なら、ボリビアの民衆たちが、彼の遺体が祖国キューバに搬送されていく車に向い、次々と花を投げる姿が映っていたからだ。口々にゲバラを讃えながら、彼の冥福を祈っているのだ。

すでに彼が死んで三十年の時が流れている。確かに時代は変わった。ボリビアはかつてほどは、貧しくないかもしれない。しかしボリビアの人々は、ゲバラに対する感謝を忘れてはいない。それも当然かもしれない。一人の人間が、自分の命を投げ出して、よその国の民衆のために戦ったのである。もしキューバに残っていれば、彼は、安定した地位を約束され、英雄として暮らすことができたはずだ。しかも彼は、自分の作ったキューバを捨て、妻子を振り切って、貧しい人のいる地域に身を投じたのである。だからこそ今、ゲバラは、権力と戦っている人間たちの伝説のヒーローとなっているのである。

いわば彼の人生は、人のために生きた人生であった。彼の目の中にある妙な親しみと優しさを、あなたはどのように感じるだろうか。この欲望の嵐が吹き荒れる世界にあって、彼のように私欲という面がまるで感じられない人間は珍しい。そんな彼が、一人の英雄として伝説化するのは当然である。一切を捨て去り、自分の命までも投げ出して、他人のために何かをしようとする、その精神は我々に人間の崇高さと可能性を感じさせてくれる彼の肖像の中に、我々は人間の到達し得る最高の信念を見ているのかもしれない。佐藤
 


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1997.8.11